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『母と暮らせば』
長崎を舞台に描く愛情物語
山田洋次監督の知性・才能が凝縮

 故井上ひさしは、自身の戯曲『父と暮らせば』(映画版は2004年、黒木和雄監督)の対となる作品の映画化を希望していた。その故人の意をくみ、戦後70年目の節目に当たる今年、山田洋次監督が『母と暮らせば』を映画化した。1931年生まれの同監督は自身の実体験を織り込み、戦争に翻弄(ほんろう)される庶民の姿を描いた、本作は山田監督晩年の傑作であることは間違いない。
 山田監督の作品歴を見れば、彼は「情」を見据える作家であることが分かる。初期はデビュー作『二階の他人』(1961年)、続いてハナ肇などを起用する『馬鹿』シリーズ(全3作)がある。
この時代の彼には、笑いに包んだ「情」とその裏にある非情、冷たさがみられ、その代表作が『霧の旗』(65年)であろう。同作は山田作品の中にあり異色作だが、彼の別の資質を感じさせる。そして、寅さんシリーズ、その後の『学校』(93年)に代表される貧困と教育問題をテーマとした作品群がある。
それから、いわゆる『武士の一分』(2006年)などのサムライもので、義理と人情の狭間に揺れる下級武士を採り上げている。そこには、家族と情の世界が再び押し出される。
そして『母と暮らせば』は、彼の「情」の世界と反戦の意図が色濃く現われている。


舞台は長崎

山田洋次監督
(C)2015「母と暮らせば」製作委員会

 山田監督は、井上戯曲の『父と暮らせば』の骨格を維持し、舞台を被爆後の長崎に設定した。父親役であった原田芳雄の代わりに吉永小百合を起用、宮沢りえ演じた娘役には男性の二宮和也が扮している。
原作の骨格を変えず、中身を新たにする山田監督と平松恵美子のオリジナル共同脚本は、井上作品の意図をくみ良く理解している。
冒頭、長崎の丘の上の住宅に幅広い帽子を被った女性が入って来る。眼下は長崎の海、素晴らしい眺望であり、長崎の町全体の美しさが強調される。彼女が訪れる日本家屋、あまりの精巧さにまず驚かされる。玄関代わりの勝手口に続く台所、大きな配膳用のテーブル、そして、奥は畳敷きの典型的な庶民の住宅で、何とも懐かしい趣がある。
彼女は手にした荷物をテーブルに置き、顔を覆っている帽子を取り、若い女性、町子(黒木華)の登場となる。彼女を迎えるのが原爆で息子を失くした福原伸子(吉永小百合)である。
この丘の上の住宅、一目見ただけでタイムスリップ感を覚える。まさに、昭和23年(1948年)、敗戦時の日本の家屋そのものだ。この冒頭シーンから、戦時を生きた山田監督の時代感覚が読み取られ、戦争を知らぬ人間には表現できぬ感性が冴える。見る者は、冒頭から山田洋次ワールドに引き込まれる。


人物設定

吉永小百合と黒木華(町子)
(C)2015「母と暮らせば」製作委員会

 『父と暮らせば』と対になる設定で作られた本作では、当然ながら男女の設定が逆である。子供に逝かれた母と息子の物語となり、亡くなった息子の婚約者に町子を配する。ここが本作の最初の苦心ではなかろうか。
登場人物は、この3人のほか、伸子に何くれとなく手を差し伸べる気の良い、上海のおじさん(加藤健一)、そして、隣家の主婦と、まるで演劇のような設定であり、少人数のおかげで、作品自体が締まっている。


異界との交流

黒木華(中央)
(C)2015「母と暮らせば」製作委員会

 原爆で亡くなった息子と母との交流
原爆投下で亡くなった1人息子福原浩二(二宮和也)と残された伸子との異界交流が物語の核となる。
被爆の3年後、母の伸子は、いつまでも悲しんでいられぬとばかり、息子のことを諦める決心をする。その時を待っていたかのように、息子浩二が異界から戻って来る。このタイミングこそ生者がきちんと死者を認識するきっかけである。
その日を境に浩二はしばしば母のもとに現われ、会えるはずのない2人の交流が始まる。



2人の会話

加藤健一(左)
(C)2015「母と暮らせば」製作委員会

 心の準備が出来た母は、時々現われる浩二との会話が楽しくて仕方がない様子。久し振りに顔を合わす2人の話すことは、世間の親子と同じように、まずは周囲の人々の消息を聞くことから始まる。婚約者、町子をいまだに諦め切れぬ浩二は、彼女の消息を聞きたく、うずうずしている。
一方、町子も彼のことが忘れられず、結婚もせず、小学校教諭となり、折に触れ、独り暮らしの伸子の許を訪れ、あれこれ手伝い、話し相手となり慰める。この2人の関係は『東京物語』の老夫婦と、先ごろ亡くなった原節子の嫁の姿と酷似している。この辺りに、山田監督の小津安二郎監督と松竹大船撮影所への思い入れが感じられる。


町子の決断

産婆の母(吉永小百合)
(C)2015「母と暮らせば」製作委員会
 町子は亡くなった婚約者のことが忘れられないが、伸子は「良いご縁があれば、お受けなさい」と背中を押す。勿論、浩二は大反対だが、生きている町子のために彼女の結婚を認めざるを得ない。
町子は結婚する相手を、伸子に紹介するために1人の青年を伴って、丘の上の家までやってくる。ここがハイライトシーンとなる。2人の姿が長崎の美しい海をバックに現われ、家の中に入ると、青年は片足なのだ。ここで、彼も戦争犠牲者であることがわかる。
伸子と青年はあいさつを交わし、浩二の仏壇の前で合掌する。その後の演出は思わず息を呑むほどの鮮かさなのだ。乏しい会話、感極まる伸子、その時、画面から青年の姿が消え、伸子の単独画面となる。
青年の居ても立ってもいられない真情が、被写体から彼を消すことで浮かび上がる。思わず「うまいな」とうならざるをえない、山田監督の考え抜いた演出である。
片足の青年は、『父と暮らせば』の時に、生き残った娘(宮沢りえ)の婚約者に扮した浅野忠信である。寡黙な人間を演じれば右に出る者がいないくらいの中堅のうまい俳優の起用、山田監督の「してやったり」であろう。
そして、次がまた憎い。伸子宅を辞し帰る段で、一端、帰りかけた町子が振り返り、伸子の許に駆け寄り抱き合うが、本物の親子以上の近しさが迫る感動的な場面であり、山田監督の泣かせの技量が光る。





期待に応える俳優たち

 主演の吉永小百合、いまだにサユリストがいるほどの国民的女優である。彼女は年を重ねれば重ねるほど、人間的厚みが出、根は優しいが、凛(りん)としたたたずまいを持ち味とする、監督が安心して任せられる女優の1人であろう。
浩二役に扮する二宮和也はジャニーズ事務所所属のタレントだが、チャラついたところがない、好感度の高い若手俳優だ。演技的には一寸力味が感じられるが。
山田組には、格別にうまい役者が起用される。それが、加藤健一の伸子に思いを寄せる闇屋の上海のおじさんである。彼の存在はかつての同組のすまけいを思わす。
うまい役者で見せる山田組では、皆が善意の人間である特徴がある。悪のもつドクを出さない。これは、彼の人生観や希望を現わす手法と解釈できる。



最後の見せ場

 最後は、長崎市民による合唱団が登場し、原爆詩人、原民喜の「鎮言歌」(49年)が歌われる。作曲は坂本龍一である。この劇的な場面、戦争、平和についての思いが一気にたかまる。
脚本、演技、出川三男の美術と戦時の時代考証が精巧を極め、山田監督のもてるすべての知性、才能がここに凝縮されている。見るべき1作である。





(文中敬称略)

《了》

12月12日(土)全国ロードショー

映像新聞2015年12月7日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家