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『ディーパンの闘い』
15年カンヌ映画祭の最高賞作品
フランスの移民問題に迫る

 2015年のカンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)受賞作品『ディーパンの闘い』(ジャック・オディアール監督、共同脚本)が公開される。最近のヨーロッパ映画としてはまれにみる早さの上映である。社会的テーマを持つ作品は興行上の採算の問題があるようで、なかなか上映されないのが実情だ。その中にあり本作は、良質なヨーロッパ作品を求める映画ファンにとり、大変ありがたい。

ディーパンとは

ディーパン
(C)2015-WHY NOT PRODUCTIONS−PAGE114−FRANCE 2 CINEMA

 タイトルのディーパンとは、主人公の名であり、彼はスリランカ内戦を経て、フランスへ辿り着いた難民である。
冒頭シーンは、まさに内戦そのものである。先ず、森が写り、兵士たちが木を伐採している。何事かが始まると思いきや、その木の枝は焚火の上に積まれる。死んだ兵士の火葬シーンである。次いで、兵士の中の1人が、軍服から平服に着替え、森を後にする。彼がディーパンその人だ。
続いて難民キャンプにシーンが変わる。子供を探す女性は、どこからか母親を内戦で亡くした9歳の少女を見つけ、2人で渡航斡旋所へ出頭する。係官は慣れたもので、女性2人とディーパンを家族として渡航を受け入れる。
ディーパンは家族を失い、女性も子供を、少女は母親を亡くし、全く血のつながりのない家族が渡航の便宜上、家族に仕立て上げられる。その方が、難民申請が通りやすいからだ。


スリランカの内戦

ディーパンと娘
(C)2015-WHY NOT PRODUCTIONS−PAGE114−FRANCE 2 CINEMA

 偽装家族の背景にはスリランカ内戦がある。大ざっぱにくくると、仏教徒のシンハリ人(人口の7割)とヒンズー教徒タミル人との民族対立である。この対立は元をただせば、旧宗主国である英国の植民地政策、特に、主要産業である紅茶プランテーションのため、多くのタミル人がインドから連れてこられた事実に端いた。
その後、現政権のシンハラ人に対抗する少数民族のタミル人の不満が爆発し、1983年に暴動が起こり内戦に突入。2009年までの26年間続いた。
タミル人の軍隊は、スリランカ東部、北部を支配下に置く、タミル・イーラム解放の虎(略称LTTE)であり、主人公ディーパンはLTTEの元兵士である。2009年にシンハラ人政府に制圧され、停戦となるが国内で28万人の避難民が発生し、そのうちの一部が海外へ渡る。
ディーパンを演じるアントニーターセン・ジェスターサンは、16歳から3年間、LTTEの少年兵として戦った。彼は現在、作家として活動し、本作ではオディアール監督に主役として抜擢された、素人俳優である。
元兵士の彼の存在感は、本作の足腰を強くしていることは間違いない。映像的にもディーパンの偽装家族がフランスへ渡るまでの、畳み掛ける演出のリズムは見応えがある。


約束の地フランス

ディーパン(右)と妻
(C)2015-WHY NOT PRODUCTIONS−PAGE114−FRANCE 2 CINEMA

 戦火を逃れ、着いた国がフランスであるが、このフランスに意味がある。記憶に新しい、2015年11月13日のパリ同時多発テロ事件や、同年1月7日のシャルリ・エブド事件など、フランスはテロと移民問題を抱えている。テロ実行犯たちは旧植民地マグレブ出身者の子孫であり、移民、難民問題を抱えるフランスに物語の軸を移す設定が上手く機能している。
フランスは、マグレブ諸国(アルジェリア、モロッコ、チュニジア)を植民地化し、収奪的経営によって多くの現地人を貧困に到らせた過去がある。この植民地政策により生まれた貧困者たちは、職を求め宗主国フランスへ出稼ぎに来たのが移民の始まりとされている。
移民たちは安価な労働力としてフランス経済の底辺を支えた。しかし、今もって両者間には目に見えぬ差別意識が続いている。フランス政府も移民に対し同化政策を取り、それなりに手を尽くしているが、この溝はなかなか埋まらない。
現在、移民は既に3世、4世世代になり、いわゆる下級労働者層を形成。家賃の低い、郊外の低所得者集合住宅(HLM)に住み、若者の失業率は高い。荒れる郊外と呼ぶように、たびたび警官と対立して暴動を起すなど移民は重大な社会問題となっている。
スリランカの内戦とフランスの移民問題を結び付け、普遍的な社会問題を重要な舞台背景とするのが『ディーパンの闘い』である。



主人公のフランス生活

麻薬の売人
(C)2015-WHY NOT PRODUCTIONS−PAGE114−FRANCE 2 CINEMA

 ディーパンの偽装家族は、政治亡命者としてフランスに受け入れられるが、出頭する移民事務所の係官の対応が興味深い。当初、あふれる移民にうんざり気味だが、ディーパンがLTTEの元戦士と知ると、直ちに許可を出す。そこには、内戦を戦った兵士への敬意が感じられる。レジスタンス闘士への敬意と同様な心情をフランス人は現在も持ち続けているようだ。
この偽装家族はフランス語を全く話せないが、男性にはHLMの管理人の職を、女性には団地の世話役が家政婦の仕事を斡旋し、9歳の少女には、外人特別コースの学校が用意される。大変に人道的な対応である。

団地内の抗争
(C)2015-WHY NOT PRODUCTIONS−PAGE114−FRANCE 2 CINEMA

 ディーパンは持ち前の生真面目さで、掃除、郵便配布、そしてエレベーターの修理までやってのけ、周囲の信頼を徐々に得る。少女は学校での語学授業で、今や2人の通訳を務めるようになる。一方、女性が紹介された家庭の甥(おい)が麻薬密売のリーダーで、ここから、物語に起伏がもたらされる。
荒れる郊外、若い失業青年たちのうっ積した日常、そして、麻薬の密売と、絵に描いたような下層移民の生活が展開される。ここにオディアール監督の語りの上手さが冴える。



偽装家族

ディーパン(右)とチンピラ
(C)2015-WHY NOT PRODUCTIONS−PAGE114−FRANCE 2 CINEMA

 血のつながらない表面上の家族であり、昼は近隣の住民たちの前で家族を演じ、夜は、それぞれが孤立して暮す毎日である。ディーパンは、偽装家族の秘密を口外することを禁じ、もしばれれば強制送還もあり得ると、2人を納得させる。彼らにとって一番怖いのは強制送還であり、このことは安住の地を失うことを意味する。
しかし、一緒に暮らし、毎日顔を合わせればおのずと親近感が湧き、男性と女性が結びつくのは自然の流れ。少女は実の子のように懐く。順風満帆に見える一家の平穏な暮らしだが、麻薬の密売人グループの内部抗争に否応なく巻き込まれる。
一度は武器を手にしないと誓ったディーパンだが、やむなく家族を守るために、今一度戦う決心をし、団地の不良グループと対峙し、勝つには勝ったが自身もけがを負う。最終的には、郊外の団地に嫌気がさした妻となった女性の希望で、彼女の従姉(いとこ)の住む英国への移住を決める。


脚本の構成力

家政婦先の主人と
(C)2015-WHY NOT PRODUCTIONS−PAGE114−FRANCE 2 CINEMA

 オディアール監督は、ヌーベルバーグ前のウェルメイドのフランス映画の著名な脚本家で、ミステリー、ポリシエ(警察モノ)に腕を振った、超大物脚本家ミッシェル・オディアールの息子である。彼の本領は脚本家の父の血を引き、強固に構築された脚本の構成力にある。それ故に、オディアール作品には人を惹きつけて離さぬ緊張感が作中に貫流する。
彼のカンヌ国際映画祭での受賞は『預言者』(09年)のグランプリ(第2席)で既に約束された感があり、取るべくして取ったといえる。



作品の狙い

安住の地、英国での母娘
(C)2015-WHY NOT PRODUCTIONS−PAGE114−FRANCE 2 CINEMA

 家族を通し荒れる現代を描く
カンヌでの作品上映後の記者会見で、オディアール監督はしきりに作品の持つ社会性を否定し、むしろ、家族を採り上げる作品であることを強調した。
しかし、スリランカ内戦、フランスの移民社会と荒れる郊外などの問題、彼の発言は額面通りには受け取れない。家族の後ろに控える社会的現実を見据える作品としての位置づけを忘れてはいけない。そして、彼は、家族を通し荒れる現代を描いているのだ。

 



(文中敬称略)

《了》

2月12日(金)全国公開、TOHOシネマズ シャンテ、大阪ステーションシティシネマほか上映

映像新聞2016年1月25日掲載号より転載

 

 

 

中川洋吉・映画評論家