このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



『エマの瞳』
盲目の女性が主人公のラブストーリー
人間くさくも洒落た作品に

 イタリアから、人間くさく、しかも、洒落(しゃれ)た作品が届いた。『エマの瞳』(2017年/シルヴィオ・ソルディーニ監督、117分)である。わが国の場合、ヨーロッパ映画の秀作の公開が年々少なくなっている。恒例のフランス映画祭やイタリア映画祭では、前年製作されたお勧め作品がそれぞれ十数本上映されるが、一般公開は半数に満たない。その中で、2017年製作と少し古いが、秀作が陽の目を見ることとなった。

エマ(右)とテオ(左)  (C)Photo by Rocco Soldini ※以下同様

花のにおいをかぐエマ

ナディア(右)のフランス語レッスン

スーパーのエマ

仲睦しいエマとテオ

テオ

友人サッシャ(右)とエマ

エマとテオ

描き手の狙い

 舞台は現在のローマである。主人公は盲目の女性で、オステオパシー(身体全体を1つのユニットとして考える手技療法)施術師のエマ(ヴァレリア・ゴリノ)である。その彼女と、プレーボーイの40歳の中年男テオ(アドリアーノ・ジャンニーニ)との恋物語である。
この男女の描き方がひどく面白い。時に人生の機微をうがち、時に下世話な軽さがふんだんに織り込まれ、見て楽しい作品に仕上がっている。
シルヴィオ・ソルディーニ監督の狙いは、実に明確である。盲目の人は決して気の毒な存在ではないという前提に立っている。
つまり、他人の保護を必要とする人というステレオタイプ(固定的な考え方)な概念を打破し、盲目の人たちは不幸な人生を送っているわけではないと断じている。  
  

エマの境遇

 エマには、透明な青い目のイタリアの美人女優で、最近は監督にも進出しているヴァレリア・ゴリノが扮(ふん)している。
エマの職業は、前述のオステオパシーで、主として触診で体調不全を見付けるもので、あえて漢方で言えば「証」(患者それぞれの状態の把握)ではなかろうか。この療法について、わが国では一部の人にしか知られていないようだ。


「DID」

 冒頭、真っ暗闇の中で人の声が行き交う。ある男性が「先生の声はセクシー」と言えば、その先生も「あら、どうもありがとう」とノリがよい。
これは「ダイアログ・イン・ザ・ダーク=DID」で、1988年にドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケの発案により生まれたものだ。この暗闇の空間は、日常生活のさまざまな事柄を聴覚や蝕覚など、視覚以外で体験するワークショップである。これは、感覚の再認識を目的としている(以上、プレスシートから引用)。


2人の出会い 

 エマとテオの最初の出会いは、既述の「DID」ワークショップの暗闇である。お調子者のテオが声を掛けた主がエマであった。彼女はワークショップの講師なのだ。テオはお付き合いのきっかけをつかむため、翌日彼女の診療の予約を取る。彼の魂胆を先刻ご承知に違いないエマも、事務的に応じ施術をする。
治療後、女性にマメに手を出すテオは、エマをバール(酒場)に連れ出す。初対面の女性を誘うとは、なかなかいい度胸だが、「一度は試してみよう」と、それに乗るエマもさばけている。彼女はのどを潤すため、白ワインを注文、それもソーヴィニヨンときては、「おぬし、なかなか通だね」と口に出しそうになる。
その後、エマの家に移動し、そこに滞在している弱視の中年女性パティ(アリアンナ・スコンメーニャ)を交えての飲み直しに。皆よく飲む。イタリアもワインどころであり、男女ともに強く、ワインは人生を楽しむ格好の小道具となる。しかも選んだ白ワインが銘酒「バローロ」ときては、ワイン好きにはたまらない。
少し空腹になるも、冷蔵庫には小柱とフルーツしかない。盲人の泣き所である料理だが、それらの残り物を使って、エマはイタリア式にパスタで食べようと提案する。
そして、テオがエマ宅を辞去する際、「目の見えない女とどう」とあからさまなおちょくりを繰り出す。


ガールズトーク

 イタリア式人生の楽しみ方を提示
エマ宅に泊るパティは彼女のことをよく知り、1年前に離婚したエマに「もう1年もあっちの方、ごぶさたでしょう」と嫌みをかますと、エマは「たったの半年余りよ」と応じる。あけすけなガールズトークだが、ここにも、イタリア式人生の楽しみ方がよく見える。
性とは、生きる上に欠かせないごちそうと同じで、人生をより豊かにするものと考えている。この辺り、西欧とアジアとの性のとらえ方に大きな違いがあり、西欧人にとり性愛なしの恋愛など考えられないのだろう。


テオ

 テオは、ローマ市内の広告事務所勤務のクリエーター。注文主の依頼で、広告のコピーや、視覚アイデアを提案する仕事である。
私生活では、独身で1人住まいのテオであるが、夫のいる、美人で肉感的な女性グレタ(アンナ・フェルツェッティ)宅に通い、不倫関係を続ける。そして、朝早くこっそりベッドを抜け出し、自宅に戻りシャワーを浴びご出勤となる。典型的なプレーボーイの生き方だ。
調子がよく、口もうまく、女性へのサービス精神に富み、女性なら一度は付き合ってもと思わす男ぶりだ。


合体

 エマとテオは一層親しくなり、『釣りバカ日誌』風に言えば"合体"が待たれる。2人の仲が深まるうちに、テオはグレタがうっとうしくなる。彼女からの電話に居留守を使い、遠出の約束もすっぽかす。もちろん、彼女はカンカン。
ある時、テオとエマがスーパーで買い物中、ばったりグレタと鉢合わせする。怒りを爆発させるグレタ、エマはその場を去る。エマを追うテオは、彼女の自宅に行き、朝までエマをなだめる。そして、閃光(せんこう)が電撃的に走り"合体"となる。



ナディア

 もう1人、重要な人物にナディアがいる。フランスに暮らしたことがあるエマは、17歳の少女ナディアにフランス語を教えている。彼女は盲目の自分に対し、いら立ち、意固地な性格になっている。「私のような盲人がフランス語を習っても仕方ない。どうせ、電話交換手くらいにしかなれないから」と、常に不満を口にする。そして、杖(つえ)を用いることを拒否する。
ある時、ナディアの態度を見兼ねたエマは「自分だけが不幸と思わないで」ときつくたしなめる。そのかいあって、ナディアは母親の介助なしで慣れぬ杖を使い、フランス語のレッスンを受けにエマ宅にやってくる。彼女は盲人の壁を1つ乗り越えたのだ。
そのナディアがエマとテオのよりを戻させるため、テオのオフィスに単身乗り込み、落ち込んでいるエマの現在を伝える。
ラストは冒頭の「DID」の暗闇の中で、テオは声を頼りにエマを探す。工夫が凝らされているラブストーリーである。
本作の作り手は、イタリア式人生の楽しみ方を提示しながら、大切なことを見る側に伝えている。エマとテオが樹木園に行き、花を愛(め)でる時の会話である。テオは花の色が分かるが、エマには不可能である。だが、エマはその花の先に何があるかが分かると話す。まさに、本作の言わんとするところである。健常者に見えないものが盲目者には見えるのだ。
『エマの瞳』のメッセージは花の先にある、もう1つの色の存在である。これは慧眼(けいがん)だ。




(文中敬称略)

《了》

3月23日から新宿武蔵野館、横浜シネマ・ジャック&ベティほか全国順次公開

映像新聞2019年3月4日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家