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『お終活 熟春!人生、百年時代の過ごし方』
シリアスな死の物語をテンポよく描く
笑えるヒューマン・コメディー
熟年役者の存在が作品の魅力

 「お葬式」を取り上げた秀作『おくりびと』(2008年/滝田洋二郎監督、本木雅広、山崎努主演)あたりから、お葬式、ひいては死を忌むべきものとしてとらえるより、「残りの時間をいかに生きるか」へと、考え方が変わってきたと思える。その流れの1作として『お終活 熟春!人生、百年時代の過ごし方』(2021年、香月秀之監督・脚本、113分)がある。死と生の大きなテーマを手際よくまとめた、笑えるヒューマン・コメディーである。目立たない素材ではあるが、良質な娯楽作品だ。

大原一家  (C)「お終活」製作委員会  ※以下同様

菅野涼太と大原親子

金婚式

菅野父子

亜矢(右)と菅野

父親と涼太

金婚式の2人

葬儀社内の菅野

葬儀社内

金婚式参列の息子家族

朝の食卓

 冒頭は、何気ない、普通の家庭の朝食風景から始まる。10年近く前に定年退職し、今はずっと家にいる75歳のおやじ、大原真一(橋爪功)が主人公である。
家族は、結婚50年の妻・千賀子(高畑淳子)、そして独身の30歳になる娘・亜矢(剛力彩芽)の3人暮らし。典型的な亭主関白の夫に対し、妻はイライラの連続で、夫婦げんかばかりの日常だ。
真一は昔流の男性で、自分が仕切れず、妻に押し切られると不機嫌となる性格。千賀子は、口げんかでは負けていない突っ張り女房。特に、今朝は2人の口論は激しい。原因は真一のおせっかいで、頼まれもしない亜矢の見合いを、写真を片手に勧めるが、彼女は全く相手にせず、ご立腹の様子。千賀子も娘の味方。真一は孤立無援の状況だ。
亜矢は、オフィス街で女性仲間とキッチンカーでの弁当販売を仕事とし、結構忙しい。真一は「何だ、屋台なんか引っ張りやがって」と毒づく。千賀子は夫がうっとうしく、ママさんコーラスで憂さ晴らし。一方、真一は駅前の麻雀屋に入りびたり、お仲間に愚痴をひとくさり。どこにでもある光景だ。
その中の1人が同じ定年仲間の山田一夫(石橋蓮司)で、若く豊満な体のフィリピン嬢を連れ歩き、残りの人生を謳歌している。彼の薄色メガネと薄ハゲぶりは、うさん臭さを通り越した好色さが何ともいい。彼が登場しただけで笑える。 
  


若者の出会い

 父親の持ってきた見合いに全く興味を示さない亜矢は、たまたまキッチンカーに昼食を買い求めに来た青年、菅野涼太(水野勝)と知り合う。彼は好感度の高い、真面目サラリーマンだ。
演出は、大原家の朝食風景から、キッチンカーでの出会いと弾みがあり、間がよく、リズム感がある。



死と生

 
家族同士の結び付きの表現は幾千とあるが、何か新鮮味が欲しいところ。そこが脚本家にとり大きな悩みである。
本作では、結び付きの場を葬儀社と設定し、そこで生まれる人間関係を軸に話を展開させている。一見何気ない作りではあるが、脚本の奥に、「死=生きる」という命題が据えつけられ、作品に強い芯(しん)を与えている。
死生学というジャンルの研究では、その根本に「死は忌み嫌うのではなく、いかに生きるかが重要」とする考えがある。近年、増えてきた新しい考え方で、上智大学の故デーケン教授の提唱したことでも知られている。一例として、終末医療患者の痛みを軽減し、お迎えを受け入れることが挙げられる。
傑作ドキュメンタリー『けったいな町医者』(2019年/尼崎市の在宅医・長尾和宏が主人公=拙稿「映像新聞」21年2月8日号掲載)で主張される末期医療拒否、点滴のチューブだらけの治療ではなく、自然に命が尽きる治療法の提案であり、見識が高い。



死の恐怖の払底と面白い役者たち

 死は、縁起が悪いと避けるものではないと考えれば、後はしめたもの、楽しむことのみ残るのである。本作は、葬儀社にまつわる人々を通して、楽しむことを中心に物語が構成される。そのために、年配の味のある役者の出番となる。それが主演の橋爪功である。
彼は自然らしさをクサ味抜きで演じられる数少ない俳優である。彼の小芝居が実にサマになっている。例えば、食卓での亭主関白振り、「分かる、分かる」の連続だ。
筆者の私見だが、この橋爪に対抗できる役者は、前進座出身、名人・中村翫右衛門の孫、中村梅雀しかいない。



終活フェア

 人と人とを結びつけるアイデアが「終活フェア」である。大原家とキッチンカーの客で葬儀社の新人社員、涼太がもたらす、本作の話の滑らかな運びが実に見やすい。若く、経験不足の涼太は、外資系企業からの転職で、葬儀社のすべてが驚きの連続だ。彼の最初の仕事は、従来の葬儀屋では考えも及ばない終活フェアのアイデアで、参加者は、死とは縁起が悪いものではないと思い始める。
そして、以前の会社での体験を生かし、メモリアル映像サービス担当となる。生きた証(あかし)として、思い出を残しておくための映像アルバムの作成だ。彼の上司は、女性の桃井梓(松下由樹)で、親切に後輩を導く。



2人の出会い

 電脳に強い涼太は、大原家のメモリアル・アルバムの作成を任され、同家を訪れ夫婦のこれまでを、妻と娘から昔の写真を見ながら話を聞く。今までは、口うるさい人間と亭主を決めつけていた千賀子の心も、昔を思い出し少しずつほぐれていく。
楽しそうに話し合う、涼太、千賀子、亜矢を目にした真一は、中抜きされた思いで面白くなく、アルバム作成には大反対、父親の威光を示そうとするズッコケぶり、ネズミのような風ぼうの橋爪ならではの芸だ。
葬儀社が思い出のアルバムを作るとは、前代未聞だが悪くない発想だ。



終盤への快走

 この部分からラストのエンジンが掛かり始まり、テンポが一段と良くなる。メモリアル・アルバムから生前葬の含みをもたせた「金婚式」のアイデアが生まれ、一族が集まる機会となる。
また、千賀子が意識を失い危篤状態で入院の段では、1人残された夫は、宅配便の印鑑の置き場も分からない。真一は、千賀子がメモリアル・アルバム作成用に準備していた昔の写真を眺めているうちに、あれだけ反対したアルバム作成に気持ちが傾く。



菅野親子の確執と和解

 大原家の娘亜矢は、父親の持ってくる見合いには断固拒否だが、同年輩の菅野涼太とは気が合い、徐々に親密度を深める。
彼には他人には話したくない、家族の悲しい物語がある。終末医療患者である母親の死だ。長い闘病生活で苦しむ病人をこれ以上苦しめたくないと、父親(西村まさ彦)は医療の継続の拒否を決意するが、涼太は母との別れに納得できず、親子は対立する。
彼女の死後、涼太は家を出、それから10年近く2人は顔を合わせず、このことが彼のトラウマとなる。ある時、父親が涼太の職場を訪ね、当時の止むを得ぬ事情を説明する。





金婚式

 涼太のメモリアル・アルバムが完成し、「金婚式」を併せて開く話の流れができ、定年後、何かと折り合いの悪かった真一と千賀子も、互いの存在を理解し、心弾ませる式が実現する。
涼太の母親の他界だが、終末医療患者への思いやりからの治療行為である。無理にチューブだらけで長生きさせる、現行の一般的治療法に異を唱えるものであり、『けったいな町医者』の長尾和宏医師と同様の考え方で、今後理解が広まることであろう。
本作では、サブの命題として、終末医療の正しい在り方の提言である。背景にある話だが、考えなければならぬ死の在り方への議論を促す誘い水となることを、作り手は期待しているようだ。
本作の魅力は、熟年の橋爪功、高畑淳子、石橋蓮司、西村まさ彦といった芸達者な役者の存在抜きには語れない。また、香月秀幸監督の話の運びのうまさも、本作の成功の一因だ。
シリアスであるべき、死と生の物語を、これだけテンポよく、笑わせながら見せる、数少ない良質な娯楽作品だ。




(文中敬称略)

《了》

5月21日全国ロードショー

映像新聞2021年5月24日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家