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「FIPA2007 20周年記念」 その(3)

今年のアジアからのエントリー国は、中国(78)、オーストラリア(48)、イスラエル(45)、インド(3)、イラン(2)、ニュージーランド(2)、北朝鮮(2)、韓国(1)、である(カッコ内は本数)。そのうち本選入りの国々は、オーストラリア(4)、イスラエル(2)、イラン(2)、日本(2)の4カ国。エントリー本数の多いオーストラリアの場合、近年、非常にFIPAへの関心を強めている。

全体的に、アジアの有力国は出品しているが、本数が少なすぎる。韓国、イラン、インドは非常に潜在的出品能力が高い筈である。山形映画祭には、インドのビデオ作品が多く出品されている。イランは、以前から教育映画に力を入れ、多くのドキュメンタリーを手懸けている。
アジア諸国、量的な問題はクリヤー出来るが、ヴェトナムを除き、英語圏国家が多く、フランス語のFIPAに対し、日本同様、言語のハードルが高いのが一番大きな問題のようだ。

全体の中の日本作品

日本からはドキュメンタリー部門に「ありがとう」「僕らは"玉砕"しなかった 少年少女たちのサイパン戦」の2本がコンペ作品として選考された。昨年は日本作品が3本選らばれ、今年は1本減だが、ドキュメンタリー部門に2作品が選ばれたことは初めてである。日本のテレビ映像、特に、ドキュメンタリー部門(含ルポルタージュ部門)の水準の高さを見せた。

ドゥロ総代表の選考姿勢をこの10年弱見た範囲では、日本、アジアからしか発信出来ないテーマが主流であった。そして、障害者モノ、8月15日の終戦記念日に登場する戦争モノは全く採られなかった。しかし、今年は、今までと異なり、この二系統の作品が選ばれた。
 この現象は、過去10年間に、色々なジャンルの作品をエントリーした結果と考えられる。多くのジャンル、すなわち、手持ちのカードを積極的に見せねば、先方の目を開かせることは難しい。日本のエントリー本数は激減したが、今一度、元のレベルに戻す必要がある。

ドゥロ総代表による第1回選考で、本選に選ばれる作品の歩止まりは、139本エントリーしたカナダは10本、123本のドイツは12本と、せいぜい10%である。他の多くの国々も本選に選ばれても、せいぜい1〜3本である。
以上の数字を見ても、2007年度の日本の成績はまずまずの健闘と言える。

「ありがとう」

「ありがとう」(C)いせFILM
伊勢真一監督の「ありがとう」は、同監督の製作プロダクション〔いせFILM〕作品で、純然たる独立プロ製作である。そして、作品は東京、ポレポレ東中野での映画館上映を始め、学校、公民館などのスクリーン上映を続けている。現在のテレビ局のドキュメンタリー放映は、深夜枠が大部分であり、財政難に立ち向かいながらも、直接、観客の反応が得られる独立プロの上映方式の方が、作品にとりシアワセ幸福度が高いかも知れない。日本のドキュメンタリーは、〔いせFILM〕のような独立プロと、テレビ局が支え、どちらも全体の中ではマイナーな存在である。

「『ありがとう』−奈緒ちゃん自立への二五年」の主人公は、知的ハンデを持つ奈緒ちゃんとその家族の物語である。彼女は現在32才、伊勢監督のお姉さんの子である。25年前から姪を撮り続け、既に1995年には「奈緒ちゃん」を製作し、今作は、その後篇に当たる。
 タイトルは「ありがとうって言って」が口グセの奈緒ちゃんから取ったもの。
 今までは親掛かりで、母親が付ききりで面倒を見ていたが、障害者家族たちが力を合わせ、グループホーム(地域作業所)を立ち上げ、子供たちの自立をはかるのが「ありがとう」のストーリー。

最初のシーン、グループホームへ奈緒ちゃんを送り出した後、夫婦二人が、「奈緒の熱(あたたかみ)がなくて寂しい」としみじみ話す。ここに、奈緒ちゃんの存在総てが現わされている。このシーンの極め方は並ではない。ここで見られるように奈緒ちゃんは家族へ暖かみをもたらす光なのだ。しっかり者の母、「人生とは・・・」と能書きを垂れるが、逆に妻に切り返されヘラヘラする父。ごく普通のサラリーマンの彼は昔流の威張り屋で、すぐ腰砕けになる愛すべきキャラクターが実に良い。職業俳優ではこの味は出まい。この家庭環境で、弟は自然とグループホームの仕事に就く。

このように、障害者モノでありながら、ひどく明るい。奈緒ちゃんの元気が見る側に移りそうだ。上映前の舞台挨拶で、伊勢監督は、「障害者とその家族を、悲劇的ではなく、肯定的に捉えたい。今後、50年、100年、ずっと奈緒ちゃんを撮り続けたい」と、作品にかける思いを伝えた。
「ありがとう」には応援団12人が日本から随行した。作品スタッフ、そして、グループホーム入所の子供たちのお母さんたちだ。彼らは、作品上映に参加し、周辺を観光し、キッチン付のホテルでは地域の豊富な食材を買出し、自ら料理し、フランス、バスク地方の美味を味わった。今までは、子供たちの介護で旅行へ出るなど思いも及ばなかった人たちだ。それが、作品で描かれるグループホームのおかげで、海外旅行が可能となった。生き生きとしたお母さんたち、思わず「良かったですね」と声を掛けたくなった。


僕らは"玉砕"しなかった・・・」

「僕らは”玉砕”しなかった 少年少女たちのサイパン戦」 (C)いせFILM

こちらは、NHK番組らしく、がっちりした骨格を持つ作品だ。扱うテーマは、戦時中のサイパン島で起きた玉砕である。冒頭、女性が崖から飛び降り、玉砕する。ショッキングな映像だ。そして、物語は、何故、女性、子どもまで集団自殺をはかったのか、その背景に迫る。

中尾益巳ディレクター(NHK名古屋局)によれば、制作の発端は、アメリカにいる親類から渡された一枚の家族写真である。この写真の家族の現在を調べることを依頼され、それがきっかけとなり作品が制作された。戦前のサイパン島には、同じような気候の沖縄からの砂糖キビ農民の移住が相次いだ。戦況は、圧倒的なアメリカの軍事力の前に劣勢に立たされた。そして、最後は、日本軍が兵士や一般国民へ向けたお題目「生きて虜囚の恥かしめを受けず」により、玉砕を選択させられた。

沖縄、硫黄島しかりである。人間の命、彼らの背後にいる両親、妻子の意思を無視し、強制される死の象徴が玉砕である。選考に当たったドゥロ総代表は、"玉砕"を丸で信じ難い出来事と感じ、そのインパクトの強烈さに大きな驚きを見せた。西欧社会では考えられぬことが、日本で起きていたのだ。60年前の非人道的行為を今一度、映像を通して確認させるところに「僕らは"玉砕"しなかった・・・」の意味がある。
本選に選ばれた2本の日本作品、テーマも作風も違うが、その訴えようとする作り手の思いが確実に伝わっている。無冠に終わったが、受賞作品に比べ見劣りするという訳では決してない。

その他の日本作品

FIPATEL(フィパテル)には、「硫黄島玉砕戦 61年目の証言」「日本と戦った日系人 GHQ通訳 苦悩の歳月」と戦争を扱った作品が選ばれた。2本ともNHK作品で、資料に基づき、厚みがある。本選もFIPATEL作品も、どちらも力作であり甲乙つけ難い。

他に、沖縄の基地反対闘争「海にすわる〜辺野古600日の闘い〜」(琉球朝日放送)は、基地反対の立場からの視点で、沖縄住民の真情が伝わる大変意欲的な作品だ。ただ、ヨーロッパにおいて、基地の島、観光の島沖縄の認識が非常に低いことを今さながら思い知らされた。
「CAMOCER−サマショール〜長崎そしてチェルノブイリ」(テレビ西日本)は、チェルノブイリ原発事故後も現地を離れず住み続ける住民たちを追うドキュメンタリー。原爆に強い関心を寄せる九州のテレビ局が手懸けた異色作。
この作品、FIPATEL公開後、モスクワのテレビ映像フェスティヴァルから、コンクール参加の打診があった。これはFIPA効果。

その他の作品

劇映画並みの面白さを見せた作品に、ドキュメンタリー部門の「ヒットラーの美術館」(ドイツ、フランス、オランダ合作)がある。生まれ故郷に自らの名を冠した美術館建設の野望を実現すべく、ヒットラーはヨーロッパ中の名画を徴発し、それらを山中に隠す。パリのルーブル美術館は先手を打ち、収蔵品を疎開させ、ヒットラーの魔手から逃れる。戦後、失われた美術品を求め米ソ二大国が凌ぎを削り、作品獲得に走る。まるでサスペンスの世界だ。

「南京」
 
「南京」 (C)いせFILM
アジアをテーマとした作品で、中国における南京大虐殺についての作品がルポルタージュ部門に選考された。ディレクターはフランス人のミカエル・プラザン。彼の「日本赤軍派」は2002年に選考されている。

今作は、南京での被害者の遺族、そして、南京大虐殺を否定する日本の歴史修正主義者双方の証言を並べた。それは、事件の全容とまではいわずとも、核心部分に光を当てる作業だ。作品の秀れる点は、被害者側、中国人の発言だけではなく、虚妄と主張する日本側の発言とその真意への目配りであった。
しかし、実際の被害を受けた中国人遺族が現存する限り、歴史修正主義者の主張には無理がある。作中、作家、大江健三郎の姿が見える。これは、彼の南京訪問時の映像である。「南京」は、FIPAの後、アメリカ、サンダンス映画祭に出品され話題となったとの報道を目にした。


おわりに

日本作品を始め、フィクション部門を含め、硬質で、主張を持つ作品が今年も揃った。
テレビの世界がどんどん綿菓子のようにふわふわと甘くなる昨今の状況が世界的に広まっている。その風潮に、棹さすのがFIPAであるとの確信を改めて深めた。






(敬称文中略)
《了》
           

中川洋吉・映画評論家