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「第9回東京フィルメックス」−(下)

興味深い「日本映画監督」特集
日活の蔵原惟繕作品を上映


 「東京フィルメックス」の2枚看板は、アジアの若い才能発見を目指すコンペ部門とフィルムセンターとの共催企画、日本映画監督特集である。この特集は映画史上の巨匠、異才を採り上げ、大変興味深い。過去に、清水宏、内田吐夢、中川信夫、山本薩夫などが紹介された。今年は世代的に若返り、日活を中心に活躍した蔵原惟繕監督を採り上げた。彼は、「キタキツネ物語」(78)、「南極物語」(83)の大ヒットを飛ばしたヒットメーカーとしての名声のため、全盛期の60年代作品は全く忘れられた存在であった。ビデオもスター浅丘ルリ子モノとして「執炎」(64)、「憎いあンちきしょう」(62)が発売されているのみである。この、忘れられた大監督、蔵原惟繕特集、盲点を衝く企画であり、再発見、再評価へ必ず繋がるであろう。


日活のエース 監督・蔵原惟繕

 1927年生まれ、2002年死去、享年75歳。日大芸術学部映画学科卒、1952年松竹京都撮影所入社。1954年に製作再開の日活多摩川撮影所に京都から引き抜かれる。松竹京都の同期、神代辰巳、松尾昭典も同時期に日活入社。1957年、裕次郎モノ「俺は待ってるぜ」で監督昇進。67年までエース監督とし日活で活躍。その後、フリーとして、ヒット作「キタキツネ物語」、「南極物語」を手懸ける。美男子でしかも反骨精神旺盛な人柄で、男性からも女性からももてた人物。大人しい性格だが、撮影に入ると人柄が変り、青鬼と呼ばれた。夫人は宝塚の大スター宮城野由美子、助監督時代に結婚。夫人はその後、専業主婦に留まる。スターと助監督との結婚、同期の神代辰巳と島崎雪子夫妻も同例。


企業社会の酷薄さと時代性

「第三の死角」(蔵原惟繕)(c)日活
 「第三の死角」(59)は好景気に沸き、右肩上がりの経済時代の背景が画面からほとばしる作品。原作は企業小説の大家で、ブリジストンの総務部長から文筆の世界に入った小島直記、上昇志向の強い二人の同級生、企業戦士の長門裕之と裏社会の大物の秘書葉山良二の、会社乗っ取りを巡る攻防を描くもの。二人は株の持分を増やし、片方は乗っ取りの阻止、もう一方は推進と、対立する。しかし、双方のトップ同士の話し合いにより妥協成立。2人のライヴァルは、トップの思惑で切り捨てられ、冷酷なマネーゲームにただ踊らされたのだった。
 60年安保前年の作品で、将棋の駒のように人間を簡単に排除する、企業社会の酷薄さが胸に突き刺さる。乙張の効いたモノクロの映像、俯瞰を始めとするカメラワークが素晴らしい。脚本に蔵原弓弧の名が見えるが、これは蔵原夫人のペンネーム。


ヨーロッパ的映像感覚

硝子のジョニー」(蔵原惟繕)(c)日活

 「硝子のジョニー/野獣のように見えて」の人間の描き方に諦念があり、個のぶつかり合いに、激しさを抑えた静的情念が流れ、他の蔵原作品とは異なる味わいがある。
 この作品を評して、日活助監督であった故大和屋笠は「ルネ・クレール風のヨーロッパ的味わいのある作品」と語っている通り、作風は指摘通りだ。50年代、60年代の知識人の感性は、アメリカよりヨーロッパ指向が強く、大和屋の発言はこの指向を言い当てている。
 物語は、一人の女(芦川いずみ)と競輪予想にうつつを抜かす板前(宍戸錠)、人買いのジョニー(アイ・ジョージ)の3人の絡みからなる。北海道の貧しい漁師の娘は、人買いの手に渡るが逃げ出し、競輪予想屋の男にすがりつく。ジョニーは女をずっと捜し、最後に見つける。憎い筈の人買いが逮捕されるが、病気で入院し、女は彼をずっと看病し、白痴のような女の無垢な愛情が人買いに通じる。芦川が演じる女は新藤兼人監督の「どぶ」の狂った女、乙羽信子を彷彿させる。
 寒々とした北海道を舞台とするこの人間ドラマには、透明感が宿り、作品に独特な風情をもたらせている。タイトルの硝子のジョニーは、アイ・ジョージの持ち歌。所謂、ジャンルとしては歌謡曲映画の企画だが、そのレベルを遥かに超える作品。



凄絶な反戦作品

「執炎」(蔵原惟繕)(c)日活

 「執炎」(64)は、日活時代の蔵原惟繕の頂点を極める作品。主人公の2人、男は網元の息子(伊丹一三、この作品がデビュー作、この当時スカウトされた大学生、渡哲也が有力であったが浅丘との年齢差のため起用を断念)、女は百本目の人気女優浅丘ルリ子が扮する平家落人部落の女。プロデューサーは日活社内のアウトサイダーで、今村昌平作品を多く手懸けた大塚和。脚本は蔵原とのコンビで数々の名作を残した山田信夫、音楽は黛敏郎、撮影はモノクロに冴えを見せ、蔵原と長年のコンビ間宮義雄と、日活の中における非アクション系の最高スタッフ。
 若い男女は山間にひっそりと暮らす。その男に召集令状が届き出征、重傷を負い帰郷。女の献身的介護で男は奇跡的に回復する。その彼に再び召集がかかるが、女は戦場へ行かせない一計を企むが。愛する2人に託した凄絶な反戦作品。
 冒頭、山間にSL機関車の超ロング、二度目の出征後、悲しみに暮れる女の心象表現で傘が余部鉄橋から空中に舞うシーンとその後の夫の死、目に焼きつくモノクロの映像美だ。カメラはロングだけでなく、浅丘の超アップ、女の強い意志が浮び上がる。蔵原、間宮の映像表現、反戦のテーマを盛り上げるのに一役買っている。


脱出願望

「憎いあンちきしょう」(蔵原惟繕)(c)日活

 蔵原作品の重要なキーワードに、脱出願望がある。50年代、60年代は一ドル360円の時代であり、簡単に海外へ行けない閉塞感が社会にはあった。海外雄飛だけでなく、国内での脱出、日常性からの脱出がその時代の蔵原作品に塗り込まれている。
 その代表が「憎いあンちくしょう」だ。パターンにはまったアクションものから飛躍を考えていた裕次郎が強く望んだ作品といわれ、難色を示す会社を押し切ったもの。
 物語の主人公は、人気テレビ芸能人(石原裕次郎)、彼の恋人兼マネージャー(浅丘ルリ子)と、当時の売れっ子コンビ。
 テレビの世界にうんざりした男は新聞の三行広告欄を見て、自動車を九州まで運ぶ仕事を探し出す。無償の運搬、スケジュールの大狂いと女は反対するが、男は出発する。芸能人の失踪劇とばかり騒ぎ立てるテレビ局、現在のテレビワイド番組と同じノリだ。壮大なロードムービーで、新しい裕次郎ものとして封切当時、多くの話題を集めた。
 時代風俗の切り取り方、無償の行為、男女関係の在り方と、切り口が鋭く、山田信夫の脚本に負うところ大である。
 裕次郎は時代のヒーローで、かっこの良さの代名詞であるが、そのかっこ良さ、今から見ると、いささか田舎臭いことに気づかされる。この辺り、時代風俗をしっかり描いているからこその発見である。



添え物プログラム・ピクチャー

 メインの作品に対し、量産体制を敷いたメジャー各社は、2本立興行の番線埋めとして、添物プログラム・ピクチャーをどんどん撮った。それは大スター中心のメイン作品の陰に隠れ、存在感は薄く、注目度は低かった。しかし、日活の例を挙げるならば、メインの裕次郎もの以外に、今村昌平、川島雄三、浦山桐郎などの日本映画史に名を残す監督たちの作品があった。その中にあって、蔵原惟繕はメインの裕次郎ものと、プログラム・ピクチャーもこなす不思議な存在であった。メインをこなす彼は、会社から有能な人材と見られ、同時にプログラム・ピクチャーで自己の感性に磨きをかけた。テーマは脱出願望、テクニックはヌーヴェル・ヴァーグ直伝のカメラワーク、音楽はロック全盛以前のモダンジャズの多用と、独特のスタイルを築き上げた。作品発表当時の彼には知識人の一員として、非アメリカ的なヨーロッパへの憧憬が感じられた。そして反権力志向の彼は、自身の政治性を押し殺すスタイルを貫いたのは、彼のダンディズムではなかろうか(但し「第三の死角」を除いて)。野暮は嫌いなのだろう。
 今まで目にすることが少なかった、日活時代初期の特集上映は、改めて蔵原惟繕の作家性を評価する絶好の機会であった。




(文中敬称略)
映像新聞 2008年12月22日号掲載
《了》

中川洋吉・映画評論家