2009年上半期の日本映画は、ドキュメンタリーの好調、邦画の足踏みと言える。
昨年前半期の日本映画は粒がそろい見応えがあった。その頂点が滝田洋二郎監督の「おくりびと」であり、最後は米国アカデミー外国映画賞を受賞した。このことは、内向きの邦画が海外へ向けて一歩踏み出せる可能性を示すものだ。これだけ良質な作品が揃い、宮崎アニメ「崖の上のポニョ」の大ヒットがありながら、観客動員数は1億6049万人と前年割れであり、ここに日本映画の体質的な問題が見てとれる。
元来、ドキュメンタリー分野では、問題意識がある優秀な人材が多い。今年は特に、この世界で既にベテランの域に達した監督たちの強い思いが伝わる作品の何本かを目にした。
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「バオバブの記憶」
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バオバブとは、「星の王子様」にも出てくる巨木であり、アフリカ、オーストラリア、マダガスカルなど亜熱帯から熱帯に分布する。この巨木と人々の暮らしを求めて、写真家であり、既に3本の作品を監督した本橋成一が、アフリカ・セネガルで撮り上げたもの。
セネガルの首都ダカールから100キロ離れた一部落に腰を据え、バオバブと共に生きる人々の一年を追っている。
樹齢500年、1000年といわれる巨木は、人々の生活の中心に根をおろす。村人たちは、木を敬い、木の恵みを受ける。赤ん坊はバオバブの葉で離乳し、死者は巨木の洞に葬られると言われ、食料、油、ロープなどをもたらす。近代的な便利さに背を向け、自然と共に生きる村人の豊かな生活が展開される。この巨木は開発の波に抗えず減少の一途を辿るが、残されたバオバブの恵みに村人はすがり、生活が続く。
悠揚迫らぬ自然詩であり、人は故郷を離れて生きられぬとする監督、本橋成一の思いが貫かれている。デビュー作「ナージャの村」(97)、「アレクセイと泉」(02)はチェルノブイリ原発事故後も被爆地で生きることを選ぶ住人たち、「ナミィと唄えば」(05)の沖縄、そしてバオバブの地から離れぬ村人たち。監督、本橋成一と親しい、同じく監督の小栗康平は「どだい、植物は自身では移動できない。いったん生れ落ちたらそこで生きるしかない」と指摘するように、バオバブならず人も、生れ落ちた場所、故郷から離れられない。本橋作品の底流にはこの思いがある。
このことは、彼の写真家としてのテーマ、炭鉱、サーカスなども同様であろう。移動を積極的に拒む強い意志ではなく、「ここしかない」という柔らかな選択がある。それ故に、本橋作品にはヒトを見る眼差しの優しさ、ぬくもりがある。
本作と併せ、3月中に大崎・ミツムラアートプラザで写真展が開催された。生き生きした村人の表情、一巾の水彩画を思わすバオバブの木、こちらも映画同様、見応えがあった。
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「嗚呼 満蒙開拓団」(c)自由工房
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ドキュメンタリー作家、羽田澄子監督の同作は、60余年前に満州で起きた開拓者たちの無念の死に光を当て、その悲劇は未だ終っていないことを告げている。
満州からの引揚者、同監督は、ある時、満州で亡くなった満蒙開拓団の人々の墓を中国が建てていることを知り、それを契機にこの開拓団の悲劇を調べ始める。中国を占領した日本は満州に傀儡政府を樹立し、日本から大量の人々を移民させた。終戦後、関東軍は住民を見殺し早々と撤退し、残された人々はソ連に抑留されたり、引揚げ途中で亡くなったり、現地に留まり、残留孤児となったりと多くの悲劇を生んだ。
満州の悲劇をどのようなアプローチで現代に蘇らせるかが、この作品のポイントであり、羽田監督は、死亡した日本人の墓を中国人が建てた事実に注目、そこを足掛かりに踏み込んだ。この「嗚呼 満蒙開拓団」の悲劇は日本軍が引起こした人災であり、日本近現代史に留めねばならぬ証言である。日本人の歴史に対する再認識を促すと共に、人の志を問いている。辛いが見るべき作品。
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「沈黙を破る」(c)『沈黙を破る』
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土井敏邦監督の同作は、パレスチナ問題を他人事のように見てきた日本人にとり、もっと身近な問題と考えさせる。
日本では、パレスチナのニュースはイスラエル発、アメリカ経由で入り、問題の本質は見えにくい。
ヨーロッパで多くのパレスチナに関する映像を目にすれば、イスラエルの主張する正当性は甚だ怪しい。アウシュヴィッツの被害者が加害者へと転じる様子がはっきりと見て取れる。
同地におけるイスラエルによる抑圧、虐殺の有様を、元兵士たちが沈黙を破り同作で証
言している。世論が右傾化している現在のイスラエルでは非常に勇気がいる行動であり、その証言は重い。今世界大戦でアジアでは加害者であった日本人を見るようで心痛い。ここが、日本人、土井敏邦がパレスチナという鏡を逆照射させた狙いである。
作中、話し合い以外に解決策はないと元兵士は語り、その重要性がひしひしと伝わる。
「ディア・ドクター」 展開が巧妙な西川美和監督作品 |
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「ディア・ドクター」
(c)2009『Dear Doctor』製作委員会
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西川美和監督の同作は、今上半期の傑作である。地方の無医村にスカウトされた偽医者が引き起こす騒動を描くもの。
脚本は勿論、監督の西川美和であり、今回も彼女の脚本は冴えを見せている。同監督の脚本は物語の運びが巧みで、それを、もう一度反転させているところに独自性がある。
若き天才といえる技量の持ち主だ。「蛇いちご」(02)、「ゆれる」(06)に次ぐ3作目である。村人は偽医者と知った後も彼を評価すると思いきや、見る者を突き放す冷淡さで、医者を悪者扱いにするリアルさが凄い。現在、一番才能のある女性監督と思う。
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「群青」
(c)2009「群青」製作委員会
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「私は猫ストーカー」
(c)2009 浅生ハルミ・『私は猫ストーカー』製作委員会
「インスタント沼」
(c)「インスタント沼」フィルムパートナーズ
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今年の前半は、前年と比べ突出した作品が少ない。
その中で目を引いたのが「群青」(中川恵介監督)である。前作「真昼の星」で殺し屋と若い女の不思議な出会いを描いたが、今作は青春もので、舞台は沖縄の小島、幼馴染の男の子2人と1人の女の子が主人公。青春のホロ苦さがしんみりと伝わる。
軽く楽しい作品に「私は猫ストーカー」(鈴木卓爾監督)がある。人とのコミュニケーションにうんざりしている、フェロモンを何処かへ置き忘れた主人公が、猫との交友に励むハナシ。この他愛なさが面白い。
おかしく、多彩な役者による珍演、怪演が楽しめるのが「インスタント沼」(三木聡監督)である。ジリ貧女性編集者が、骨董屋に転進するがドロ沼。薄幸の美女ならば麻生久美子と言われる彼女の珍演は正にマンガ。彼女の父に扮する風間杜夫の怪演。最初から最後までおかしい。これほど、笑いが線となりつながる作品は貴重だ。
今半期は、ドキュメンタリーに見るべき作品が揃った。これだけの骨太は作品、心強い。劇映画の「ディア・ドクター」は、カンヌ映画祭に応募したが落選したと伝えられている。この西川脚本、評価して貰いたかったとの思いが残る。
(文中敬称略)
《終》
2009年5月18日号 映像新聞掲載
中川洋吉・映画評論家
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