「「第22回東京国際映画祭2009」レポート(1)
− コンペ部門 |
−目立ったアジア作品の勢い−
第22回東京国際映画祭(以下TIFF)が、東京六本木、TOHOシネマズ六本木ヒルズを中心に10月17日から25日まで開催された。例年、会場であった渋谷・東急文化村の開催はなく、二会場を往復する不便さが省かれた。今回、いつものような賑わいではなかったが、観客の入りはまずまずで、週末は午前中で切符が完売するほどであった。事前のプレス試写も毎回ほぼ満員で、TIFFの認知度は確実に上っている。
全体で270本上映され、そのうちの15本がコンペ作品。会期中見られる作品はせいぜい25本から30本である。従って、筆者はコンペ作品全部とアジア部門に的を絞った。
コンペ作品では、アジア作品の勢いが強く印象に残った。別にアジア部門はあるが、それについては次回に触れる。アジア作品の魅力は、アジアそれぞれの国の土の匂い、住む人々の息吹きが感じられるところにある。そこに等身大の親近感が生まれ、見る側を共鳴させる。
注目したのは、「永遠の天」(中国)、「台北に舞う雪」(台湾)、「マニラ・スカイ」(フィリピン)である。
|
「永遠の天」
|
これだけの大型新人作品が他の大きな映画祭に取られず、よくTIFFに来たものと感心した。
両親を失った少女の10年に渉る成長の物語である。背景に、その時々の社会情勢が挟み込まれ、1990年台初頭のSARS騒動、その後の北京オリンピックと主人公たちの生きた時代が描写される。この時代、経済的変革期であり、時代のうねりの中での学園生活、個々の家族生活を通し、青春が語られ、愛と喪失、そして、その永遠性がテーマとなっている。
主人公の少女は、小学生の頃、母親が愛人と出奔し、それを見て、後を追った父親が車にはねられ死亡、一瞬にして両親を失う。その彼女を裕福な叔父が引取る。叔父夫婦は折り合いが悪く、離婚、若い後妻が彼女の母となる。前妻との間には子供がおり、少年、少女は兄弟のようにして育てられる。学園ではもう1人の少年がイジメを受ける少女を助け、2人は互いの存在を意識する。この助けた少年に思いを寄せるもう1人の少女が絡む。一寸込み入った関係だが、その程複雑さは感じさせない。3人の少年、少女、そして、もう1人の少女4人はそれぞれ杭州、北京の大学に進学するが、親交は続く。これら3人の少年、少女の韓流スターにはないキラキラ感と瑞々しさがまぶしい。
水と緑が美しい、風光明媚な杭州の舞台設定は女性監督リー・ファンファンの意図した狙いだ。
彼女はニューヨーク大学で映画を学び、今作が長篇第一作。この新人監督の感性は今までの中国人監督とは明らかに違い、描く対象が内へ向わず外へ開き、中国のニューウェーヴといえよう。見方によれば、青春メロドラマととれるが、極めて上質なメロドラマであり、青春のほろ苦さがスパイスとして効き、見応え充分。
|
「台北に舞う雪」」
|
「山の郵便配達」(99)の日本での大ヒットで知られるフォ・ジェンチイ監督(中国)の台湾を舞台とした新作。人間の持つ善意を上手く描き、その眼差しは優しい。
主人公は、台北下町住まいの青年。彼は両親を失くし、町の人々に育てられ、恩返しに人々の雑用係を引き受け、気の良さで皆に愛される。そして、彼の純朴さが作品に大きな情感を与えている。この辺り、中国映画独特のうまさがある。
この町に、フラリと若い女性が現れる。彼女は、売り出しの新人歌手だが、喉を痛め声が出ず、突然失踪する。青年は町の人に対するのと同じ優しさで、彼女に接する。
当然、若い2人は好意を持ち始めるが、いずれ別れの時が来ることを知っている。互いに思いを打ち明けられない2人、もどかしさよりも初々しさが前面に出る。青春ものであり、シンプルに演出された情感が全篇に流れ、それが、見る側にとりココチ快地良い。当り前のことを当り前に描き、共感させる手法、中国映画が得意とするところであり、「台北に舞う雪」も狙い通りだ。台湾の地の温もりが伝わり、これがまた、良い。
|
「マニラ・スカイ」
|
フィリピンの、インディーズ代表格レイモンド・レッド監督は、ここ数年世界的に台頭するフィリピン映画界の実力派であり、今回も彼の社会的意識の高さが見られる。実話に基くストーリーで、社会的弱者への思いと、監督自身の強い怒りが画面から伝わる。地方に住む中年男が、職を求めマニラへやって来るが、やっと見つけた肉体労働も解雇され、その苦境から逃れようとあがく物語。金欲しさに未熟なギャング一味の見張り役となるが、善良すぎる主人公は、犯罪行為に加担できない。更に、父の不治の病の知らせを受け帰郷せざるを得ない彼は、帰郷便でハイジャックを企て、自己破滅する。スザ凄ましい敗者の人生落下物語である。主演男優の異様な目付きに総ての願いと怒りが込められている。悲惨な現実をエグ抉る、見ていてツライ作品だが、逃げずに正面から向き合う姿勢に映画としての力がある。今回のコンペ作品の収穫の一本。
|
「少年トロツキー」
|
今回の快作はカナダから登場した「少年トロツキー」である。
舞台はカナダのフランス語圏モントリオール。主人公は15才の高校生。父親は縫製工場の経営者。彼は労働条件改善のため、工場内でストを呼び掛けるが誰も相手にしない。
今世紀ロシアで世界革命をトナ唱えたトロツキーの生まれ変りと信じる少年は、高校で生徒ユニオンの結成を提案し、それが全校を巻き込み、ストを経て生徒の権利を拡大させる。彼の周囲は、日常の退屈さからの逃避で、何か面白そうと少年に付加雷同する。しかし、革命の精神はどうでもよく、タダ唯のイベントのノリに過ぎない。大人たちはヤレヤレとの態で遠巻きに眺めるだけ。一人、浮いた少年と、退屈し切った生徒たちの対比が面白い。現代の若者問題の一端に触れている。この学園騒動、アメリカであればアルカイダ一派扱いでFBIの登場もあり得るだろうが、カナダは違う。そこに社会の多様性と寛容さが見られ、カナダという国の資質が捉えられている。ここが、映画の面白さなのだ。
今回の第一席は、ブルガリア作品が獲得した。典型的な東欧社会の閉塞感を描くもので、このテーマ、既に目にしており、果して、最高賞に値するか疑問を持った。アルコール依存症の兄と親ナチ団体に傾斜する弟、2人の対比が不安定な社会の象徴として描き出されている。
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ審査委員長の「21グラム」(03)、「バベル」(06)の作風から想像すれば、不可解で不条理な世界への興味が、この作品に対する高評価へとつながったのではなかろうか。審査委員の好みが出たように思える。審査結果は最終的に好みに帰することは仕方のない。
「エイト・タイムズ・アップ」(七転び八起き)がフランスから出品された。フランスの場合、他に推すべき作品が沢山あるが、今作は小粒だか一つの個性が見られ、そこが選考された理由と想像される。若い失業女性と、彼女のアパルトマンの隣りの男性の関係を通し、現在、フランスの若者を襲う深刻な失業問題が提起されている。主人公達のひどく思いつめたりせず、飄々と事態を受止める姿勢に国民性を感じる。TIFFと同時に開催されたドイツ映画祭作品とは根本的な違いがある。ドイツの場合は問題発生源に迫ろうとする姿勢があるが、フランスの場合、深刻な状況をさらりと受け流している。
|
「ACACIA]
|
日本からは辻仁成監督、アントニオ猪木主演の「ACACIA」が出品された。老人だけになった地方都市の団地を舞台に、心優しい元プロレスラーの初老の男と団地住民の交流を描くが、全体に流れる主調が弱く、総てにおいて底が浅い。ここ数年、日本映画界は若手、中堅の作品が充実しているだけに残念な選考である。
コンペ部門全体を見れば、品薄感は免れない。これはTIFFの設立当時からの課題であり、どのような視点に立ち作品を集めるかの総合的な選考方針の問題に帰するのだ。TIFF自体は年々整備され、申し分ないが、コンペ作品選考はもっと改善の余地がある。
東京サクラグランプリ |
「イースタン・プレイ」(ブルガリア) |
審査員特別賞 |
「激情」(エクアドル) |
最優秀監督賞 |
カメン・カレフ監督 (「イースタン・プレイ」) |
最優秀女優賞 |
ジュリー・ガイエ(「エイト・タイムズ。アップ」〔仏〕) |
最優秀男優賞 |
フリスト・フリストフ(「イースタン・プレイ」) |
観客賞 |
「少年トロツキー」(カナダ) |
(文中敬称略)
《続く》
映像新聞2009年11月9日掲載号
中川洋吉・映画評論家
|