ドイツ在住の日本人女流監督が誕生
−大学の卒業制作で初の長編 新人とは思えない力量と完成度− |
ドイツ・ミュンヘン在住、日本人の新人女性監督が登場した。10月に開催された「ドイツ映画祭」で上映された「赤い点」の宮山麻里枝監督だ。彼女の第一作、完成度が高く、映画大学の卒業制作とは思えない力量を見せている。注目すべき新人登場である。映画祭上映後、帰国前、東京滞在中の同監督に「赤い点」、ドイツの映画学校、そして彼女の略歴などについて尋ねる機会を得た。
宮山監督は昨年、ミュンヘン・テレビ映画大学を卒業し、その卒業制作作品が「赤い点」である。同作品については、本紙11月3日号「ドイツ映画祭2009レポート」で簡単に触れている。今回は繰り返しとなるが、もう少し詳しく内容を紹介する。
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「赤い点」ポスター
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物語の舞台はドイツ、ミュンヘンから車で1時間ほどの片田舎。ミュンヘンのストーリーの前に、東京でのシーンが写し出される。主人公の女子学生は、ただ漫然と毎日を過し、就活に全く身が入らない。自分でも何をしていいのかが分らない、普通の女の子。彼女は両親を交通事故で失し、叔父夫妻に何不自由なく実子のように育てられる。その彼女に転機をもたらすのが、遺品の入ったダンボール箱内の一枚のドイツ地図である。そこには、赤い点が記されてあった。その赤い点に誘われるように、普段は大人しい彼女、周囲の心配を振り切りドイツ行きを決行する。ここまでが導入部の日本ロケ。
次いでミュンヘンに舞台が移る。主人公は大学でとった第2語学のたどたどしいドイツ語と片言の英語で、地図片手に赤い点を探し始める。突然、地図上の赤い点を突き付けられ驚くドイツ人たち。捨てる神あれば拾う神あるで、ドイツ人青年が彼女に興味を持ち協力者となる。道が分らず困って訪れた警察署で、青年はバイクのスピード違反で油を絞られている最中。この出会いのアイディアは冴えている。迎えに来た父親は息子と彼女を連れて帰宅する。これが縁で、この一家と深いつながりが出来、彼女は路傍の赤い点を見出す。自身のルーツ発見と家族の絆が、メインテーマとなっている。「赤い点」はドイツで交通事故死した日本人駐在員の実話で、子供の1人が生き残ったことから、物語の構想が生れた。
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宮山麻里枝監督
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宮山監督は1972年生まれ、今年37歳と、監督としては非常に若い。早大文学部文芸学科卒、卒業後ドイツに留学。ドイツを選んだ理由は、学生時代のフランス、ドイツ旅行で、ドイツの方が暮しやすそうな印象と、元々、映画好きであった彼女、16歳の時見たヴィム・ヴェンダーズ監督の「都会のアリス」(73)がもう一つの決め手となった。
留学した当初は、一先ずミュンヘン大学演劇科に入学、ここで3年の学業生活を送る。ドイツの大学は原則として学費は無料、これはフランスも同様。そして、ミュンヘン大学には外人枠があり、ドイツ人以外の学生にも広く門戸が開かれている。この3年間が彼女にとり、ドイツ語鍛錬の時であった。
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「赤い点」
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大学に在籍しながら、ミュンヘン・テレビ映画大学に挑戦、3度目の1998年に合格する。当時、ドイツの大学には修業年限はなく、10年の在籍も珍しくなかった。彼女はその最後の学生で、10年間在籍し2008年に卒業している。現在は、最高8年と修業年限が限られているが、落第はOKである。フランスの国立映画学校フェミスは、39ヶ月と短く、落第は絶対に認めない。公立映画学校は、一般大学と比べ、一人一人に掛ける費用が莫大で、フランスの場合、長居は困るということ。ドイツの太っ腹振りが一際目立つ。学費の面でも、半期300ユーロ(39000円)で、実際は、生協の学生食堂、学生寮の費用が大部分となっており、年間78000円の負担で済む。
宮山監督は、「この安い学費のお蔭で映画の勉強が続けられた」と語るように、ドイツでは、教育機会の平等化の理念が非常に強い。学費は僅かだが、生活費は自己負担であり、彼女は、語学学校で日本語を教え、生活費を確保した。ドイツ社会の中、生活費を稼ぎながら、ドイツ語で生活することは大変なことだ。
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「赤い点」
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宮山監督が通ったミュンヘン・テレビ映画大学は、バイエルン州々立である。ドイツ国内には10校あまりの映画大学があり、ミュンヘンは、ベルリン、ポツダムと並ぶ有名校との評判を得ている。
「この大学は劇映画学科、ドキュメンタリー学科、そして、プロデューサー学科の3本柱から成り立ち、各科は大体15人弱、全体で50人以下の学生が選抜される。最大の義務は習作2本と卒業製作1本の実製作で、学校から補助金が支給される。最初の2年間は教養学部のような内容で、単位をまず授業で取り、中間試験を通らねばならない。
その後は製作そのものが単位の対象となる。教養課程期間中、実製作として1本短篇を撮る。コダックから16ミリモノクロフィルム30分分の無償供与、総合映像メーカー、アリからも現物供与があり、編集室、機械は学校の施設を利用する。作品は10分くらい、編集は伝統的な糊とハサミのつなぎで映画の基礎を実習する。その後、ワークショップ(セミナール)で一日撮影の作品を製作する試みもある。いよいよ習作だが、第一作目の習作には学校から1万マルク(当時の60万円)がキャッシュで与えられる。長め(5〜15分)の作品であればビデオ、短めならフィルム製作を学校側はアドヴァイスする」
「この習作2本の後に卒業制作に取り掛かる。この制作には、地元バイエルン州の『テレビ映画ファンド』が使える。これはバイエルン州のテレビ映画振興基金で、映像分野への振興策の一環であり、学生向けに僅かなパーセントが割かれている。このファンドから上限5万ユーロ(650万円)、学校から1万ユーロ(130万円)。他に同ファンドからの第一回作品枠がある」
「ファンドからの5万、第一回作品枠からの7万ユーロ、そして、学校からの1万ユーロ、計13万ユーロ(1690万円)が総予算。そのほかアリからラボ、ポストプロ費用の90%割引の現物供与が加わる。このアリの補助は低予算作品にとり大きな助けとなる。
日本ロケは最初から日本人スタッフに任せる方針であった。そのため、プロデューサーが、カンヌ映画祭で何人かのプロデューサーに会い、最終的に園木美夜子プロデューサーの参加が決った。日本ロケ費用負担と交換に、日本及びアジア地区の配給権を譲渡する条件で成立。日本ロケは5日間で、早大と千葉周辺で行われた。仕切りを日本側に依頼したロケ費用の総額は、宮山監督も知らない」
「赤い点」は2008年に完成、カナダのモントリオール映画祭で上映され、直ちに配給が決定と幸先の良いスタートを切っている。ドイツでは2009年6月に全国公開、25プリントと新人監督の非商業作品としては大健闘の数字を残している。日本配給は未決定であるが、早い時期の公開が望まれる。
宮山監督の今後だが、ドイツで映画のイロハを学び、同国での活動を続ける意志は強い。しかし、日本と何ら関わりのあるテーマを前面に押し出すことを自身の将来の方向性と考えている。
本紙でも以前に紹介した、フランスの国立映画学校フェミスの唯一の日本人学生、畑明広も、卒業制作を今秋完成させている。ヨーロッパで学ぶ若い日本人の活躍が楽しみだ。
(文中敬称略)
《了》
映像新聞 2009年11月23日号掲載
中川洋吉・映画評論家
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