「第10回東京フィルメックス」
−韓国からの出品が最優秀賞 |
「第10回東京フィルメックス」(以下フィルメックス)は、11月21日から29日まで開催された。2001年、東京、銀座、テアトル銀座での第一回開催以来、その後は有楽町・朝日ホールに会場を移し、着々と認知度を高めた。今や、日本を代表する同映画祭、ここまで来るのに10年の歳月を要した。一つの映画祭を立ち上げ、定着させるためには10年のタイムスパーンで考える必要性を「東京フィルメックス」が教えてくれた。
今年は、恒例となった京橋・フィルム・センターとの共催、日本映画監督特集上映が廃止となった。昨年まで清水宏、内田吐夢、中川信夫、岡本喜八、山本薩夫、蔵原惟繕と、映画史を飾る監督作品特集で、これは日本映画史講座の意味があり、この廃止は惜しまれる。今年は築地・東劇で「ニッポン☆モダン1930〜もう一つの映画黄金期〜」が催された。島津保次郎、五所平之助、清水宏などがプログラミングされ、その中に、生誕百周年を記念し田中絹代主演作7本が含まれた。
アジアの新しい才能の発掘を標榜する同映画祭、コンペ部門には10本が選考された。韓国、香港、台湾、日本、マレーシア、タイ、スリランカ、イラン、イスラエルと、殆んどアジアの国々を網羅している。その中には、カンヌやヴェネチア映画祭に既に出品された作品もある。
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「息もできない」
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個人的経験で恐縮だが、筆者が東京国際映画祭選考担当の時、選考試写で「ホワイト・バッジ」(92)(韓国、チョン・ジヨン監督、アン・ソンギ主演)を見た時を思い起こした。ヴェトナム戦線で闘った韓国兵の苦悩を描いたもの。そのパワーに圧倒され、即座にこの作品のグランプリを事前に確信した。事実、その通りになった。
その感覚と同じものを韓国作品「息もできない」にあった。家族の崩壊と蘇生の苦しみの連続が、押せ押せで迫り、見る者を作品に否応なく引きずり込む。主人公は借金取立てを生業とする暴力的な男。この男に監督ヤン・イクチュンが自ら扮する。父親による凄まじい家庭内暴力(DV)で、母と妹を失った若者は、その憎悪を服役した父親、そして、他者への暴力と言う形でぶつける。その彼が、何か言えば生意気に切返す女高生と知り合う。この彼女もまた、父親と弟のDVの犠牲者だが、何事もなかったかのように振舞う。2人は共通のイヤシを互いに感じ、男は暴力を振るわなくなる。上映後のティーチ・インで監督・主演のヤン・イクチュンは
「自分自身の愛し方を、人間関係の中で知ることが重要と訴えたかった。家族がキーワードで、これは総ての人の問題といえる」
家族の姿が暴力の連鎖により危く成り立っている。また、人間、それぞれの生き方の多様性にも作品は触れている。この「息もできない」からは、韓国映画の内なる力が感じられる。
衝撃の一作であり、キワモノ的でない力強さと人間の弱さの対比の描き方が鮮烈だ。今作が長篇第一作のヤン・イクヒュン監督(39歳)末恐ろしい存在だ。来春公開予定。
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「意外」
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これまた、凄い作品だ。邦画の若手監督と力が違う。
香港作品で、ジョニー・トーの助監督を務めたソイ・チェン監督、プロデューサーは師匠のトー監督。トー組の良質な娯楽映画作りのDNAが鮮やかに開花している。ハナシが抜群に面白い。殺し屋が主人公の心理サスペンスだが、殺しに直接手を染めない殺し屋の設定が魅力的。4人組の殺し屋、偶然の事故を装い、目的を完遂する。例えば、香港の繁華街、故意にエンストを起し、後続の車を迂回させる。そこで仕組んだ対向車のトラックを避けたとたん、ビルの看板が落下し、四散したガラス片で社内の人物は落命。殺された男は黒社会の大物。
とにかく、この殺し屋たち頭が良いのだ。次の仕事、土砂降りの雨中、事故で逆に仲間が命を落す。リーダー格の男は、単なる事故と思わず周囲を疑い始める。そして、お決まりのグループの崩壊。人で溢れる香港の雑踏をそのまま画面に取り込む臨場感、スピード感。これぞ映画と大納得。作り手の感性が違う。
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「天国の七分間」
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イスラエル作品。オムリ・ギヴォン監督の長篇第一作、彼は今年32歳と非常に若い。バス自爆テロに遭い、瀕死の重傷を負って記憶喪失したイスラエル人女性の蘇生がテーマ。展開は過去、現在が入り交じり本筋の理解が難しいのは、主人公の心の状態を多面的に描くために、意図的に採られた手法。
イスラエルの対パレスチナ強硬姿勢が誘発した自爆テロでありながら、憎しみの感情より、事故後、どのように生きるかに重きを置き、物語が構成されている。イスラエル国内世論は右寄りに傾く現状の中、作り手の主張は、これで精一杯というまで頑張りを見せている。現在、イスラエルは武力で優位に立つが、出生率の高いパレスチナの人口がイスラエルを越えることは自明の事実である。しかも、イランのミサイルが将来的にテル・アヴィブを直撃する可能性も否定できない。それらの問題、総てを含みつつ、なお共生の道を探るのが「天国の七分間」であり、その思考の深さに作品の価値がある。
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「グリーン・デイズ」
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「グリーン・デイズ」はイランのモフセン・マフバルマフ監督の次女ハナ(21)の第3作目の作品。父親の家庭内映画塾で育った彼女の若者の視点からの発言に、現代イラン社会が反映されている。
「グリーン・デイズ」はイラン大統領選挙における改革派候補への支持とデモをフィクションと荒れるデモの実写フィルムを交えての一作。イスラム原理主義回帰に対し、若者たちが共有する危機感が前面に押し出されている。マフマルバフ塾の精神、「時代や社会に意識的であること」が映像で実践されている。有為な若手監督に難癖をつけて申し訳ないが、前作「子供の情景」(07)の時も感じたが、表現が稚拙なのだ。演出ではなく、シナリオの練りが必要と思われる。
同じく、イランからバフマン・ゴバディ監督の「ペルシャ猫を誰も知らない」が出品された。今作、今年のカンヌでも上映された。ゴバディ監督は傑作「酔っ払った馬の時間」(00)で高い国際的評価を受けた、イラン領内のクルド人で、同民族の置かれた状況に深く関わる作家である。今回は、イランで禁止されているロックバンドの国外脱出をテーマとし、若者の閉塞感を描いている。両作とも、イランの現状を不安視する若者の共通認識が下支えとなっている。
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「堀川中立売」
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日本からは柴田剛監督の「堀川中立売」が出品された。今作はお馬鹿映画に属し、エゲツ無い殺しの連続をコテコテの関西流で塗り込めるが、130分は長すぎる。ホームレスとヒモ生活の若者が織りなす現代妖怪退治物語。今年34歳の柴田監督は既に、身障者が殺人鬼となる「おそいひと」(04)をフィルメックスに出品している。
手法的にはビデオクリップを継ぎはぎにした、スラップスティックである。或る年齢層の下は大喜び、上は馬鹿らしく席を立つ種の作品。若い観客が相当に乗っているのは、彼らが、テレビゲーム育ち世代で、ヴァイオレンスが日常的に肌感覚として刷り込まれ、その発露を映像に求めたためであろう。
コンペ部門の傑作、力作、問題作、駄作と多様な作品が取り揃えられた。
筆者独自の選評、ベスト3は以下である。
絶対的第一席は韓国作品「息もできない」だ。DVを通し、家族そのものへ迫る力は並外れている。
残る2本は、香港の「意外」、緻密で乙張りの効いた極めて良質な香港ノワールであり、わざわざ金を払って見ても損はしない。
そして、イスラエルの「天国の七分間」も秀作だ。その複層的思考の深さ、楽しめる映画と対極に位置するが、映画のあるべき姿を提示している。
台湾作品「お父さん、元気?」は、10話のエピソードからなる父と子の関係を描くもの。台湾映画独特の人生の哀歓が良く伝わる。作品のもつ生活感、地に足がついている。
●審査員
委員長 |
崔洋一 日本 映画監督 |
委員 |
ジョヴァンナ・フルヴィ(イタリア)トロント映画祭選考ディレクター
チェン・シャンチー(台湾)女優
ロウ・イエ(中国)映画監督
ジャン=フランソワ・ロジェ(仏)映画評論家 |
●受賞一覧
最優秀作品賞
(副賞100万円) |
「息もできない」 |
審査員特別賞
(コダック社から8千米ドル相当生フィルム授与) |
「ペルシャ猫を誰も知らない」 |
(文中敬称略)
《了》
映像新聞2009年2月14日号掲載
中川洋吉・映画評論家
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