日本で未配給の韓国映画新作上映で多くのコアなファンを獲得した、シネマコリア主催の「韓国映画祭」は、上映作品4〜5本のミニ・映画祭で、名古屋を中心にホール上映で全国開催された。その韓国映画祭の新装版で、「真」を頭につけ、2年ぶりに再出発した。韓国の映画会社、キノアイそして、名古屋の老舗ミニシアター、シネマスコーレがシネマコリアの骨格を受継ぎ、今回から会場をアート系館に定め、より長い期間の上映となった。
その第一弾が「真!韓国映画祭」で、東京は「ポレポレ東中野」で2月27日から3月19日まで開催された。その後、順次全国開催となる。
本映画祭の開催趣旨は明快だ。配給のつかない韓国映画をすくい上げることである。年間製作本数70本前後の韓国映画界、韓流ブームに乗り、大概の作品は見れると思いがちだ。しかし、かなりの秀作や意欲作が日本市場で日の目を見ない意外な事実がある。韓国でノーベル賞に一番近い作家と言われるファン・ソギョン原作の「懐かしの庭」(07)、「ラジオ・スター」(07)、「まぶしい一日」(08)などの秀作を掘り出したのはこのミニ映画祭に依るところが大である。
監督の気迫感じる力作そろう 〜見応えのある"小さな映画"〜 |
今回、選ばれた4作品の共通項は小さな映画のキーワードで括られる。言葉を代えれば、大手資本の手によらない低予算作品といえよう。素材の良さとアイディアを駆使するもので、監督・脚本家の技量が問われる。
本映画祭で見られる中堅・若手監督たちのやる気、気迫には見るべきものがある。日本の同世代の映画人はこの面で負けている。韓国を褒め、日本をけなす意図は毛頭ないが、前へ前へ出る韓国人の強い意志が我が国の映画人には欠けている。
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「飛べ、ペンギン」
(c) 2009 INDIESTORY Inc.
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「飛べ、ペンギン」で現代韓国社会に巣食う「居心地の悪さ」を軽妙に突いている。
舞台はソウル市々役所福祉課、そこに働く人々の各々の問題が語られる。その一つが教育立身主義である。ソウルの仏教寺院では夜10時頃でも灯りが煌々と灯り、中年女性信者たちは「一にソウル、ニに高麗、三に延世」と、お経のように唱えている。これは子供の進学祈願なのだ。福祉課の女性職員(ムン・ソリ)は教育ママで、9歳の息子に英語を詰め込ませ、教育熱が昂じ、家中、英語を話すことを提案。亭主は呆れ、子供はうんざり。お受験の猛烈さを揶揄している。
課長は、妻子をアメリカ留学させ、せっせと送金をする。その彼、毎晩部下を誘い飲みに繰り出すが、そのうち度重なる誘いに敬遠され始める。一時帰国の家族は皆彼を相手にしない。気の毒な課長は送金機械の悲哀を味わう。飲み会の飲酒強要、課長の両親世代の離婚騒動と日常的な「居心地の悪さ」が軽やかに語られる。イム・スルレ監督は49歳の女性監督、既にキャリア充分の中堅。タイトルの「飛べ、ペンギン」は子供を留学させた、あまり経済力のない父親のことを「ペンギンのパパ」と呼ぶが、そこからの引用。「オアシス」(02)で知られるムン・ソリの教育ママ振りも美女が演じるだけに何ともおかしい。
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「空を歩く少年
」(c) 2008 KINOEYE DMC Inc.
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ユニークな発想の作品がノ・ジンス監督(40歳)の「空を歩く少年」だ。主人公の娘はバイク便のドライバー。ボーイッシュで格好が良いが、内実は人生に絶望している裕福な家庭の子弟。この彼女、ある時、少年の配達を請け負う。しかし、受取人拒否、仕方なくイエスと名乗る少年を送り返すが、依頼人の女性は自殺した後。そして、娘と少年のロードムービーが始まる。
改めて、孤児院出身らしい少年を配達することになる。キリスト教の孤児院には彼を待つ女性がいる。どうやら、シングルマザーで、養育に困り少年イエスを里子に出したことがおぼろげながら伝わる。ここで、韓国社会でのシングルマザーの生き難さがさりげなく語られる。この娘とイエス少年との2人旅を通し、娘は再婚した父を許し、自分も解放され、少年も心の落着く場を得る。ヒューマニズムによる魂の救済がメインテーマである。
しかし、そのテーマの展開、決して重くなく、むしろ軽快にハナシが繰広げられる。これは韓国若手映画人の持つ資質であろう。韓国映画の基調は長い間リアリズムであり、その先頭に立ったのが国民的映画監督イム・ゴンテク(代表作『西便制』〔93〕)であろう。この傾向が90年代頃から変化を見せ、KOFIC(韓国映画振興委員会)の映画政策の強化を基点とし、韓流ブームを呼び込み、映画界全体の世代交代を一層進めた。それを支えるのが若い層であり、彼らが国産映画市場を支えている。若者たちの多くは自国映画に足を運ぶ傾向が顕著なのだ。そして、社会的には98年の金大中大統領誕生も現在の韓国映画発展に大きく寄与している。
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「今、このままがいい」
(c) 2008 INDIESTORY Inc.
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「今、このままがいい」は、今年39歳の女性監督プ・ジョンの長篇第一作作品。相当に力のある新進監督であることは間違いない。ハナシの展開が面白い。腹違いの姉妹が主人公。姉は済州島で魚屋を営む、あけっぴろげな庶民タイプ、妹はソウルで働く、一寸気取った社会に身を置く。
この2人の姉妹の性格の違いが際立つ設定が、ハナシ運びの重要な核となる。彼女たちの演じる対照的な柄も魅力的。
母の死去で、ソウルから妹が済州島の実家に駆けつける。母の葬儀が終わり、「ヤレヤレ」の姉は早速仕事に取り掛かろうとするが、妹は未だ見ぬ父探しを決意する。父を知る姉を無理に巻き込み、車で出発。妹は姉の酒を飲んだり、男と気軽に接する態度を快く思わない。途中2人は何かにつけ激しい口論、そして、とうとう交通事故を起す。2人の性格の違い、地域性の違いを上手く見せ、仲の悪い2人をその雰囲気の中に追い込む。生身の人間の地と地がぶつかり合う凄さ、韓国女性の自我の強さ、キレイごとでない踏み込みだ。地がむき出しとなり、人間の逞しさ、臆面の無さが顔を出し、人間ドラマに濃さをもたらせる。60年代、70年代のイタリア映画を彷彿させるパワーがあり、ここが作品の見ドコロでもある。その2人、事故を契機に家族の絆が少しずつよみがえる。個性の違う2人の女性の意地の張り合い、予期せぬ事故、そして互いの理解の始まりとシナリオは序破急の定石を踏み、作品に骨太い一本の芯を通している。描かれる人間の面白さが充分堪能できる。
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「ビバ!ラブ」
(c) 2008 IB Pictures Co., Ltd.
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「ビバ!ラブ」は快作だ。古い社会概念もいとも簡単に乗り越える爽快感がある。50歳の平凡な主婦が、21歳年下の下宿人の男性の子を宿し、堂々たる再婚宣言に周囲が慌てふためくハナシである。
韓国の地方小都市が舞台。主人公一家は夫婦と成人に達した娘との3人暮らし、下宿屋とカラオケ屋を営んでいる。退屈な毎日、父親は愛人を囲い、近所の親父仲間と毎晩の飲み会。母親は無表情に黙々と働く、どこにでもいそうなオバさん。娘は、下宿人の青年とよろしくやっている。ところが母親に見られ、思わず結婚宣言。しかし、就職決定の一報で、両親、恋人を置き家を出る。傷心の恋人は泥酔し、介抱した母親と一夜を共にし、妊娠する。
この妊娠で「自分以外の女と寝た」と若い愛人に攻め立てられる父親。元カレが母親と昵懇と知り、面白くない娘が舞い戻り一悶着。周囲は50歳のオバさんの妊娠を体裁悪がり中絶を勧める。純朴な青年はオバさんの名を挙げ、「好き」と告白。韓国の場合、主婦は誰それの女房と呼び、名前では呼ばず、この告白は画期的だそうだ。主婦は亭主に「愛している人がいる」と宣言。ふとしたことから愛が生れ、そして、その結晶をさずかり、町中、大騒ぎのうちにも、見事なハッピーエンド。新しいカップルに刺激され、今までご無沙汰気味の中年夫婦に続々と愛の結晶が誕生するオチで終幕。あり得ないことに火をつけ、ハナシを繰広げ、愛の色々なあり方に一石を投じた作品。かなり、キワキワ感で押す手法だが、ユーモアで包みこみ、見る者を引っ張る才気は見もの。
主演のキム・ヘスク、お母さん役ではおなじみの女優だが、前半の無表情の中で笑いを取るあたり、すぐれたユーモアセンスの持主だ。特に、黙って顔を見合すシーンの巧まざるユーモアは笑える。恋人の青年キム・ヨンミン、「悲情城市」(89)のトニー・レオンが演じた青年を思い起させる清清しさがる。監督は今年51歳の、遅咲き新人オ・ジョムギュン。
大手映画会社作品を避け、独立系プロダクション作品で構成される「真!韓国映画祭」は小さな映画の良さを伝えている。これらの4作、底流に流れるトーンは家族である。家族と言う普遍的テーマは、いまや世界的な共通テーマであり、それをそれぞれの国がどのように描くかが興味の焦点となる。韓国映画は自国の家族のあり方、結びつき、離反、誕生を軸に語り掛けている。しかし、紆余曲折の後、離れがたさこそ家族の共通の感情とハナシを収斂させている。見応えのあるミニ・映画祭だ。
(文中敬称略)
映像新聞 2010年3月15日号掲載
中川洋吉・映画評論家
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