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「フランス映画祭2010−例年以上の高水準作品そろう」
08年のカンヌ最高賞受賞作も

 今年もフランス映画祭がお目見えした。3月18日から22日までの5日間、会場はTOHOシネマズ六本木ヒルズと、例年通り。今年の14本の出品作には、カンヌ映画祭パルム・ドール受賞の「パリ20区、僕たちのクラス」(以下「パリ20区」)(08)や同映画祭グランプリ受賞の「アン・プロフェット」(以下「プロフェット」)(09)が選ばれた。フランス映画の一番高い水準を示す作品だけに、映画ファンにとり見逃せない。来日者は、監督では「パリ20区」のロラン・カンテ監督、「プロフェット」のジャック・オディアール監督、俳優では、団長でもあるジェーン・バーキン、人気女優、セシル・ド・フランスなどである。

フランス社会のメタファー

「パリ20区、僕たちのクラス」
 今年は「パリ20区」を始めとする話題の作品が上映された。
 2008年のカンヌ映画祭では会期最終日に上映された「パリ20区」が翌日の表彰式で最高賞のパルム・ドールに選ばれた。最終日上映作品の受賞は、多くの関係者が去った後で、通常あまり下馬評に上らない作品が多く上映される傾向がある。1999年のダルデンヌ兄弟監督の「ロゼッタ」以来の最終日上映作品の受賞であり、21年ぶりのフランス受賞に、地元は沸きかえった。受賞式には、出演の中学生たち20数人が壇上に駆け上がり、カンテ監督の影が薄くなるほどであった。

 舞台はパリ20区の荒れる中学であり、その学校の生徒たちが出演している。教員も、保護者も本物である。しかし、作品内容は、原作があり、それを本物の中学校で再現したもの。中心人物の若い国語教員は原作者が扮している。ドラマでありながら、教室内に3台のカメラを設置し、臨場感溢れるドキュメンタリー・タッチで演出されている。

 物語の大半は教室で展開される。1クラス20人前後の生徒、半数が黒人とアラブ人、そして、2人の中国人。勉学意欲の低い彼ら、教室内の私語も多い。しかし、口は達者で、こう言えばああ言うで、教員もたじたじの態。学校教育で力を入れる国語の文法の授業、しかし、生徒たちは「そんな言い方は中世の遺物」とせせら笑う。そこは我慢と、生徒の言い分をじっくり聴く先生。最終的には、生徒が先生の言葉尻を捕らえ騒ぎが発生、ついに1人の生徒の懲罰委員会送りとなる。話し合いを最優先に考える先生にとり、強権発動は苦渋の選択。自由と規律、古くて新しい永遠のテーマが顔を覗かせる。丁々発止の議論の積み重ね、時に反抗的な側面も見られるが、この会話の交流こそ教育の原点である。作中、黒人生徒の反抗的態度が大きく採り上げられる。この意図は、彼らの貧しい社会階層、家父長制による放任教育の実情を現していると思える。「パリ20区」は教育の場の問題だけでなく、フランス社会のメタファー(暗喩)なのだ。他民族国家のフランスの姿が学校という場に凝縮され、それを描くことが作品の主眼である。人が生きる社会を、身近に引き寄せて、考える強い姿勢が作品に透徹している。見るべき一作。6月中旬から岩波ホールで公開決定 。


締めあげる脚本の強さ

「アンプロフィット」

 昨年のカンヌ映画祭で観客を唸らせた「プロフェット」(預言者)はその脚本の締め上げる強さで、フィルム・ノワール(犯罪映画)の醍醐味を充分に味わせてくれる。オディアールの名は、フランス映画界では歌舞伎風にいえば大名跡である。父のミッシェルは50〜60年代のフィルム・ノワールやコメディに長けた大物脚本家で、監督業にも進出した。彼のDNAを受け継ぐ息子のジャックは脚本に秀れた力を発揮し、自らの監督作品をより強固なものとしている。彼の作品はがっちり構築され、どの作品をとっても映画的感興に溢れている。

 物語の舞台は刑務所であり、主人公は19歳で6年の刑を受けたアラブ人青年。劣悪な環境で育った青年は満足に読み書きが出来ない。定職がなく、学校へも通わず、犯罪に手を染める郊外に住む移民2世の若者の典型であり、この設定が効いている。所内はコルシカ・マフィアとアラブ・グループに二分され、何もわからない青年はコルシカ組に絡め取られ、グループの使い走りや親分の房内の食事当番となる。所内では有力グループ、それぞれが、別に食事を摂り、コーヒーを沸し、おまけに携帯まで持っている。刑務所側は彼らを利用し、所内を管理する。コルシカ組のボスは所内から指示を飛ばし、シャバ世界に残したシノギを手放さない。出所前の外出許可制度があり、若者はボスの使いで、現金や薬物の運び屋を勤め、重宝な存在となる。教育はないが、若者は頭が良く、着々と布石を打ち、ボスのシノギを奪い、彼の没落を図る。最初の小さな陰謀が次第に膨らみ、所内の最大勢力となる。犯罪社会の暴力を背景とする知的ゲームであり、次々と繰り出すエピソードが緻密に積み上げられる。脚本の厚味である。
150分の長尺、全く退屈しない。使われる駒が、遂に使う側に転じる逆転の面白さがある。今年のフランス版アカデミー、セザール賞での9部門受賞もうなずける。

宗教に対する懐疑

「ハデウェイヒ」

 ブリュノ・デュモン監督の「ハデウェイヒ」は同監督の独自な視点が作品に一本の芯を通している。
 タイトルの「ハデウェイヒ」とは、デュモン監督の出身地ベルギーと国境を接するフランドル地方で、13世紀に実在したキリスト教の神秘的詩人名である。その現代の化身ともいえる少女セリーヌの宗教心と狂気を描くもの。
 修道院で生活する少女は「ハデウェイヒ」に深く感化され、冬でも薄着、断食と自らに苦行を課すが、行き過ぎとされ修道院を追われる。
 彼女にとりキリストのみが唯一無二の愛の対象である。パリの裕福な実家に戻った彼女は、満たされぬ日々を送る。そこで、2人のアラブ人兄弟と知り合う。兄はイスラム教の熱心な信者で、彼女に現代社会の矛盾が凝縮した中東のテロリズムの世界を見せる。一途に信仰に身を捧げ、広い愛からイスラム教へ親近感を覚える。しかし、結果的にテロリズムへの加担という形で彼女の絶対者への愛は終わり、再びキリスト教へと回帰する。どちらの宗教が正しいかの議論ではなく、デュモン監督には宗教そのものへの懐疑があるのではなかろうか。しかし、依るべき対象として、宗教にもたれ掛かざるを得ない状況のあり方も認めている。人の内面に踏み込む精神性の高さが、作品に深みを与えている。


良質な恋愛作品

「リグレット」

 タイトル「リグレット」は英語読みで悔恨の意。中堅監督セドリック・カーンが描く狂おしい愛の世界、フランソワ・トリュフォの「隣の女」(81)から想を得ている。15年前の恋人同士が再会し、狂おしい愛に陥るハナシで、いわゆる焼けぼっくりモノである。トリュフォ版ではジェラール・ドゥパルデュとファニー・アルダン、カーン版ではイヴァン・アタルとヴァレリ・ブルニ=テデスキが演じる。2人は既に世帯持ち、しかし、狂気の世界へと抵いながらも身を委ねる、正に煩悩の極みである。この通俗的なハナシを、何処まで人間を描きこむかが作り手の腕の見せどころ。この揺れる煩悩をブルニ=テデスキ(妹のカルーラがサルコジ大統領夫人)が脆さと、同時に強靭さを滲ませ演じる。トリュフォ版のアルダンよりも脆さの部分だけ、彼女の方が役に合っている。良質な恋愛作品だ。


輝くパリ

「あの夏の子供たち」

 フランス映画でパリの実景を取り込む作品は無数ある。それらの中にあって、パリの持つ身近な生活感を漂わせるのが「あの夏の子供たち」である。主人公は中年の映画プロデューサー、彼の事務所はマレ地区からポルト・サン・マルタンへ伸びる下町の色濃い一角。この地での仕事、界隈のレストランでのビジネス・ランチと忙しい日々を送る。一方、郊外に家を持つ、良き家庭人で、意欲的な映画人でもある。一見、順風満帆に見える彼、不況の波にさらされ、命を絶つ。残されたのは多額の借金と未完成の作品だけ。前半で主人公が消え、後半は残された家族の再出発が描かれる。「死は人生の一部」とする考えが作中で述べられるが、正に、生き続けることの中に死もあることが理解できる。監督はミア・ハンセンニラヴ、今年29歳の女性監督の長篇2作目。本作は2009年のカンヌ映画祭「或る視点」部門の受賞作。事前に期待しなかっただけに思わぬ拾い物。



今年の目玉女優

「シスタースマイル・ドミニクの歌」
「スフィンクス」

 来日のセシル・ド・フランスは自身の作品「シスタースマイル・ドミニクの唄」(以下「シスタースマイル」)と「スフィンクス」の2本を携えての来日。長身で、ボーイッシュなタイプの彼女、既に「スパニッシュ・アパートメント」(01、セザール賞主演女優賞)でお馴染みである。「シスタースマイル」は60年代に世界的にヒットした「ドミニク」の後日談で、修道院からレコードデビューし、その後消えた歌手の物語。人生の浮き沈み、栄光と自滅、見ていてイタイ気持ちにさせられる。
「スフィンクス」は同名の薬物を追う警察アクションで、彼女は女刑事役。この作品、フランスお得意のフィルム・ノワールだが、ノリの良さで見せる。ド・フランスの刑事も悪くない。


 



多彩なジャンルで充実した内容

 社会派、フィルム・ノワール、家族モノ、恋愛モノと今年も多才な作品が揃えられ、全体的水準としては近年で一番充実していた。




(文中敬称略)
《了》
 
映像新聞 2010年3月22日号掲載

中川洋吉・映画評論家