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「東京フィルメックス2010 (下)」(渋谷実特集)
戦前からの名監督に焦点
松竹大船路線に逆らう一匹狼

 「東京フィルメックス」では、コンペ、特別招待部門以外に、必ず、日本映画特集を催し、これが呼び物となっている。いわば、日本映画再発見の場だ。09年からは松竹の東劇で、松竹作品を作家別に紹介している。それらは、戦前からの名監督に焦点を絞った、普段中々見られない作品群である。今回は、主として「渋谷実監督作品」が上映された。しかし、現存するプリントの全部を見られるわけではなく、松竹が保有する中の8本が取り上げられた。渋谷実は松竹で一時代を築き、小津安二郎、木下恵介とほぼ同時期に活躍した大物監督である。だが紹介される機会が少なく、極端に言えば忘れられた存在であり、今回の上映は渋谷実を再評価するまたとない機会だ。

渋谷実監督

 渋谷実監督は1909年浅草生れ、80年に没し、生涯に66作品を製作している。彼は、戦前から松竹に所属。戦争を経験し、復員後もずっと同撮影所で活躍した。
 彼と木下恵介との不仲のエピソードは有名で、大向うを唸らせる木下流作品を否定し、自らを語ることも少ない人物とされている。そして、徒党を組むことを嫌い、一人我が道を行くタイプ。酒呑みの多い撮影所での夜の付き合いは全くしないことでも有名であった。
良くいえば紳士的、悪くいえば「とっつき」が悪かった。彼は、「俺が、俺が」的な振舞いを極度に嫌っていたとされる。これは、大船撮影所に根付いた野暮を嫌うダンディズムで、小津安二郎にもそのような面が見られる。


戦後日本の活写


「本日休診」

 『本日休診』(52年)を始めとする渋谷作品には、時代相が凝縮され、そこが彼の作品の面白さでもある。社会批評的な醒めた視線を送る彼にしては、『本日休診』は楽しい。いわゆる“大船調”の作品に仕上がっている。同時に同作品では、厳しい人生の一端をさらりと垣間見せる一面もある。

  舞台は東京の下町、江戸川、荒川辺りの川沿いの一帯であろう。主人公は、その地域の医者一家。大先生(新派の柳永二郎)と息子の若先生が仕切る、どこでもありそうな町医院だ。久し振りの休み、若先生を始め看護師たちは、慰労のための一泊旅行に出かけ、大先生とお手伝いさんが留守番役となる。そして、「本日休診」の札を掲げ、大先生は久し振りの昼酒を楽しもうとする矢先に、次々と患者が到来する。戦争で頭に異常を来たした青年(三国連太郎)は未だ軍隊の班長気分で、近所全体に非常呼集をかけ訓示を垂れる。皆はすっかり慣れており、「やれ、やれ」と従う。

  次に、与太者に暴行された娘が、警官に連れられて来る。警官役は十朱久雄で、彼の好人物振りが、犯罪の暗さを和ませる。 さらに鶴田浩二扮するのヤクザとその情婦・淡島千景、多々良純のイカサマ師など、米映画『グランド・ホテル』ばりの人物模様だ。そして、貧しい船上暮らしの一家、出産で小使の家への急行―といった具合で、まるで貧乏長屋の面々が顔を揃える感じ。しかも、渋谷演出の肝である秀れた脇役陣の光彩は、見る者をうならせる。 戦後の貧しい社会の中で、懸命に生きる人々の様は、深刻さを通り越し、ユーモラスな味わいがある。原作は井伏鱒二。大船調的作りではあるが、戦後社会の混乱や矛盾を的確に衝いている。渋谷実の代表作の1本だ。


大船調を離れて


「現代人」
鋭い観察眼で社会批判の作風
 他に、渋谷実の代表作の1本として『現代人』(52年)がある。彼の大船調逸脱が顕著に見える作品だ。下級官僚の汚職事件と、犯罪に手を染める人間の精神状態に深く切り込む。

  舞台は中央官庁。ある課の長(山村聡)のところへ、落札を狙う業者(多々良純がこの達者な小悪党を実にいやらしく演じている)が出入りする。既に何度か接待を受けている課長は、彼をむげに冷たくあしらう訳にも行かず、困惑の体。接待では、小料理屋の女将(山田五十鈴)に腕によりをかけさせ、課長を籠絡(ろうらく)させんと裏工作を図る。その課長は、部下(池部良)と娘を一緒にさせることをひそかに願っている。 部下は、ガード下の印刷屋の息子で、貧乏暮らしに嫌気が差している。そこを業者に付け込まれ堅物で通っていた彼はあっさりと趣旨変え。急に金廻りが良くなるが、それを課長の娘が嫌がり、2人の間は気まずくなる。

  通俗的な金にまつわる話だが、戦後の影を引きずる日本社会の下級官吏の汚職という一面が現れる。 ラストは業者との縁を断ち、娘とよりを戻そうとする矢先に事件は起る。彼は誤って業者を殺し、それを隠ぺいしようと事務所に放火して、その罪で死刑となる。 『現代人』とは、渋谷流の皮肉に満ちたタイトルだが、世相を絶妙なタッチで切っている。「あなただって、いつ、悪に手を染めるかも知れませんよ」という社会観察眼の鋭さが光る。

  美男の青春スターで鳴らした池部良を、悪党に起用した一作。彼の代表作であることは間違いない。  この映画祭会期中に、映画評論家・佐藤忠男の渋谷実についての講演があり、実に面白かった。彼によれば、松竹には当時の社長、城戸四郎が掲げた「大船調」という路線が牢固として存在していた。モダンで、日常的ユーモアやペーソスに重点を置く作風だ。その最初の監督は島津保次郎で、現代の継承者は山田洋次となる。 この城戸路線に忠実だったのが小津安二郎や木下恵介だが、渋谷はこの路線から逸脱することがあり、城戸社長を嘆かせた。その代表作が『正義派』(57年)であろう。


正義の本質


「正義派」

 『正義派』の舞台はバス会社で、佐田啓二演じる運転手が主人公。そして、仲間意識で繋がる整備工たち。その上司役は、にくにくしげな芝居で他を圧する伊藤雄之助。 その主人公が、子供の飛び出しで事故を起す。会社ぐるみで子供の飛び出しが原因と、運転手を擁護する。しかし、社員の一人が警察で運転手のブレーキの遅れを証言し、仲間たちの間に亀裂が走る。その後、手打ちとなり、「逸脱調」から「大船調」へ逆戻り。ここが「正義派」の唯一の欠点である。

  特筆すべきは、伊藤雄之助、村田千栄子、三井弘次という脇役陣の充実ぶり。特に、村田演じる闇のやり手ばあさんは絶品。渋谷実は脇役に非常に神経を使っていたことが分かる。彼は、下手な役者は使わず、脇役の良さで作品に厚味をもたらすことを知り抜いた監督だ。  その脇役以外に渋谷作品には2人の女優が欠かせなかった。

 

二人のミューズ


「悪女の季節」

 渋谷作品には、二人2人のミューズがいる。一人は戦前の名優・岡田時彦の娘、岡田茉莉子。もう一人は1950年に宝塚から松竹入りした淡島千景である。 淡島の宝塚からの松竹入りに対抗し、大映は乙羽信子を引き抜いた。翌51年には八千草薫、有馬稲子が映画界入りし、宝塚の女優が使えることを示した。余談だが、同じ宝塚組の淡島千景と有馬稲子は不仲だったという。
渋谷作品では、主として前半は淡島千景、後半は岡田茉莉子の起用が多かった。

「もず」

  今回の映画祭では、淡島千景主演が主で、岡田茉莉子は『悪女の季節』(58年)1本であった。淡島は『もず』(61年)で見せたような、男勝りの鉄火肌タイプの役柄に良い味を出す。
  淡島千景より9歳若い岡田茉莉子は、51年にデビュー。既にスター女優でありながら、『悪女の季節』で見せた、現代っ子で自己主張の強い役柄を得意とした。 渋谷実は、一般社会の基準では計り知れない人物を描くことに拘っていた節がある。





奇人と普通人の境目


「好人好日」

 『好人好日』(61年)は、奇人で有名な世界的数学者、岡潔がモデル。これを笠智衆がひょうひょうと演じている。
  主人公は酒は飲まないが、コーヒーには目がなく、他人の分まで飲んでもケロリとしている。妻は、逆に酒好きで、亭主に隠れて一献かたむける。それを知ってか、亭主が妻に堂々と酒を飲ますシーンはホロリとさせる。その妻役が淡島千景だ。
  シチュエーションの逆転で見せる渋谷的世界。最後に主人公は文化勲章を受けるが、喜劇の大御所、三木のり平演じるコソ泥に盗まれる。
  老母役の北林谷栄のにくにくしげな芝居は珍品。渋谷の脇の充実さが堪能できる。酒を飲まない同監督は、酔っぱらいに対して悪意すら感じていたようだ。

 

酒呑みへの嫌悪感


 『酔払い天国』(62年)で、渋谷実は酒の上でのことは大目に見る、世の風潮を鋭く批判している。貧しい父子(笠智衆と石浜朗)は、大の酒好き。息子は酒が原因の喧嘩で大立回りし、死亡事件にまで発展する。
  脇の話として「寅さん」シリーズ前の倍償千恵子がその息子の恋人役であり、二人は結婚前に子供を作る。いわゆる「出来ちゃった婚」だが、当時はご法度。前出の喧嘩がもとで石原朗は死ぬが、父は酒をやめない。
  この作品も、時代相が良く出ている。プロ野球人気、「上を向いて歩こう」の大ヒットなど、渋谷実の得意とする時代の取り込みである。

 

おわりに


 渋谷実自身は、「巨匠とだけは呼ばれたくない」と語っていたが、やはり大物だ。しかも一匹狼。そして、鋭い観察眼で社会批評する。ここが、彼の真骨頂である。
  大船路線の真逆を行く作風で、社長の城戸四郎を嘆かせたが、渋谷実の存在は松竹大船撮影所にとって社会的コストであり、撮影所システムの懐の深さでもある。今一度、見直しが必要な作家が渋谷実と言える。  



(文中敬称略)
《おわり》
映像新聞 2011年1月24日号掲載

中川洋吉・映画評論家