「2010年下半期の日本映画」
「十三人の刺客」がベスト作品 秀作がそろった時代劇 |
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2010年下半期(以下、下半期)の日本映画は収穫の多い半期であった。年間興行収入が、2200億円と史上最高を記録した。下半期の特徴は、時代劇に秀作が集ったこと、若手監督による数多くの見るべき作品の登場の2点である。時代劇に関しては、中高年者層をターゲットとした企画であり、製作委員会方式の大型娯楽作品は若年層向きであり、それに対抗するものと考えられる。但し、内容的には、3Dで攻勢をかけた洋画と、若者層に受けるテレビドラマなどの映画化が興行収入の増加に寄与し内容のある作品が集客に成功した訳ではない。
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(c)2010「十三人の刺客」製作委員会
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好調の時代劇。特に、『十三人の刺客』と『最後の忠臣蔵』の存在が抜きん出ていた。
三池崇史監督の『十三人の刺客』は、徹底した娯楽性と表現性の深さで、映画の醍醐味(だいごみ)を堪能させてくれた。工藤栄一監督の「十三人の刺客」(63年)のリメークであり、元祖は「集団抗争時代劇」と高い評価を得た。ヒーローを一人とせず、13人を登場させた革命的なチャンバラだ。しかし、プレスブックでは、工藤監督版『十三人の刺客』のリメークについて全く触れていない。彼の傑作があってこそのリメークなのだから。
物語は、病的にサディステックな若き明石藩主の振舞いを憂慮した、一部の家臣群が反乱。藩主の参勤交代を機に十三人の刺客が藩に対し武力蜂起するもの。刺客の首領格が役所広司で、あえて不忠におよび、苦悩する様は、到底若い俳優の演じるところではない。
見せ場は、ラストに両陣営が入り乱れる宿場での大立ち回りで、バイオレンス・アクションならこの人と言われる、三池監督が存分に腕を振う。その迫力、スケールの大きさでは、黒沢明の『七人の侍』を凌駕すると断言出来るほどだ。
アクションだけでなく、人間像の描き方にも力を入れ、重厚なドラマに仕立て上げられている。2010年のベスト作品である。
もう1本の時代劇の秀作は「最後の忠臣蔵」である。
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(c)2010「最後の忠臣蔵」製作委員会
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こちらは、四十七士のはずの話に、実は切腹をしなかった義士が二人いたとする、すぐれた物語性を持つ池宮彰一郎の原作だ。ちなみに『十三人の刺客』の原作も彼である。
大石内蔵助から厳命を申し渡された一人(佐藤浩一)は、残された遺族を見守る役割を、もう一人(役所広司)は赤ん坊を成人させ、嫁入りさせることを託される。この両人とも、切腹が許されず、終生、卑怯者と言われ続け、それに耐えて生きていく。
注目すべきは、田中陽造の脚本である。切腹を許されぬ二人をほぼ8対2の割合で描き、役所広司の子育てと娘の嫁入りをメインとしている。赤ん坊が成長し、美しい娘となり、いよいよ嫁入りが決まるが、子供は今や一人の女性として親代わりの役所広司に恋心を抱く。その葛藤が話の核となり、膨らみをもたらす。ここでも役所広司の役柄、忠と愛とのはざまで揺れる様が上手に出ている。『十三人の刺客』、そしてこの作品で、10年度の主演男優賞は役所広司で決まりと確信した。しかし、杉田監督の演出は、テレビ出身だけに説明的な段取り芝居が散見され、脚本の良さに助けられた点が惜しまれる。
この2作に匹敵するのが新藤兼人監督の「一枚のハガキ」だ。
本紙10年12月22日号で取り上げた通り、作品自体が持つ力には並々ならぬものがあり、彼の実体験に基いた戦争否定の強い意志は確実に見る者に伝わる。さらに、この老監督作品が、全く古びた印象を与えないことは驚きである。
昨年10月の東京国際映画祭で上映されたもので、公開は今夏の終戦記念日前後を予定していると聞くが、特筆すべき作品であり、あえてここで紹介した。
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(c)2010「武士の家計簿」製作委員会
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前述の時代劇以外に『武士の家計簿』(森田芳光監督)は、チャンバラがなく、従来の時代劇とは味わいを異にしている。原作は、歴史学者で大学の准教授でもある磯田道史の古文書研究書で、第2回新潮ドキュメント賞受賞作だ。
物語の主人公は、そろばんを片手に藩の御算用者(ごさんようもの)として仕える下級武士。今様に言うなら会社の経理係で、サラリーマンと変わらない。将来性のある部署ではないが、不正を発見し、その功で思わぬ出世を遂げる。
しかし、武家社会は格式を重んじ、格が上れば出費も増え、彼の家庭も例外でない。そこで彼は経理の手腕を発揮し、無駄を徹底的に省き、多額の借金を返済する。この返済の仕分けぶりが、今作の大きな見どころ。
展開される話は、武家社会だけでなく、現代にも通ずる問題であることを森田監督は狙ったのである。その点が『武士の家計簿』の成功のもとといえる。
他に優れた時代劇として『必死剣鳥刺し』(平山秀幸監督)がある。武家社会の冷酷さの犠牲となる武士(豊川悦司)の物語だ。
原作の強みを生かした現代劇に見るべき作品があった。深津絵里がモントリオール世界映画祭で主演女優賞を獲得した『悪人』(李相日監督)は、吉田修一の原作ものだ。人間はひょっとしたことで悪人となり得ることが作品のテーマであり、そこを上手に映像化している。
同作は、『告白』(中島哲也監督、湊かなえ原作)と同様、テレビ局が参加しない、東宝の製作委員会方式作品だ。大衆動員を狙った作品のもうけの余禄で誕生した企画と考えられる。
現在、文学の世界では、ミステリー畑に才能が集り、作る側はこれを逃す手はない。ただし、原作に寄り掛かり過ぎとの非難を覚悟する必要がある。要は、話が面白くなければ、映画としての感興が半減してしまうため、いかに原作を処理するか、その才能が問われる。
これら原作もの以外にも、下半期は日本映画に見るべき作品が多かった。
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「海炭市叙景」 |
若手注目株は熊切和嘉監督
下半期、そして年間を通しての秀作として、熊切和嘉監督の『海炭市叙景』がある。原作は、函館出身の佐藤泰志による幻の傑作だ。彼は、村上春樹や中上健次らと並び評されながら、文学賞に恵まれず、90年に自殺した。その未完の短篇小説5篇が選ばれ、映画化された。海炭市(モデルは函館)を舞台に生きる人々を描く五つのエピソードで構成する。まず、造船所をリストラになった兄妹が、正月に貧しい食事をとり、有り金の小銭を手に初日の出を見に行くところから始まる。
そして、プラネタリウム勤務の男と妻の裏切り、立ち退きを迫られる、猫を抱いた老婆。家業が不振ながら不倫を重ねる夫への復讐(ふくしゅう)のため、再婚した妻が男の前妻との息子に対する虐待。故郷に戻っても、路面電車の運転士である父親と会おうとしない息子。すべて負け組みの物語が続く。五つの物語は、融合することなく放り出されたままで、そこに貧しい人々の無力感が漂う。明日はわが身であるかも知れぬ人生の苦渋が淡々とつづられ、その現実の厳しさが見る者を震え上がらせる。観念性から離れ、目の前の現実を見据えたところに『海炭市叙景』の作品としての強さがある。
36歳の熊切監督には、社会と正面から向き合う強い姿勢に加えて、作品に強じんな魂を吹き込む力がある。彼は、観念的思考を強める若手監督の中では異色であり、これからの日本映画の柱となる予感がする。西川美和監督と並ぶ、期待の若手であることは間違いない。
劇映画の西川監督意外に、女性監督に新しい才能が出現してきた。
下半期には、女性ドキュメンタリー監督による『月あかりの下で〜ある定時制高校の記録〜』(太田直子監督)と、『祝(ほうり)の島』(纐纈〔はなぶさ〕あや監督〕の2作品が登場した。両作とも、監督が数年かけてロケ地に通い、完成させた超低額予算作品で、公開も自主上映として各地を廻っている。『月あかりの下で〜・・・』は、今では廃校となった浦和商業高校定時制の先生と生徒を追い、5年間の撮影の後、07年に日本テレビのドキュメンタリー番組として放映された。それからさらに追加撮影・再編集して、10年に劇場公開となった。
同作には、生徒たちと先生との度重なるぶつかり合いを通しての理解、互いの尊重、そして生徒間の友情が、飾り気無く描かれている。
『祝の島』は瀬戸内海の小島の原発反対運動を追ったもの。住民の長年にわたる淡々とした反対運動と厳しい自然下の日常生活、おおらかな老人たちが映し出され、人間に対する慈しみが溢れている。
2作品とも自分たちの作りたいものを撮り、興行するという映画の原点へ立ち返る姿勢がある。地味だが、大きなテーマを扱った見るべきドキュメンタリーだ。
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(c)2010「オカンの嫁入り」製作委員会
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質の高い時代劇の数多い存在、期待の若手の発見、そして日常性に食らいつく女性監督によるドキュメンタリーと、10年下半期は力のある作品がそろった。
このほか目ぼしい作品として、『オカンの嫁入り』(呉美保監督)、『酔いがさめたら、うちに帰ろう』(東陽一監督)、『うまれる』(豪田トモ監督)、『ばかもの』(金子修介監督)、『信さん・炭鉱町のセレナーデ』(平山秀幸監督)、動物ものとして『パートナーズ』(下村優監督)、『きな子〜見習い警察犬の物語』(小林義則監督)などが挙げられる。
(文中敬称略)
《了》
映像新聞 2011年1月31日号掲載
中川洋吉・映画評論家
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