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カンヌ国際映画祭2011」報告(1)
最高賞に「ツリー・オブ・ライフ」
本命視されていた米国作品

 第64回カンヌ国際映画祭(以下、カンヌ映画祭)は、5月11日から22日まで12日間開催された。今年はほぼ全会期を通し夏日と、天候に恵まれ、映画祭参加者以外の観光客が非常に目立った。著名監督作品、ハリウッドスターの登場、日本作品のコンペ部門出品と、見どころの多い年であった。審査委員長はハリウッドスター、ロバート・デ・ニーロ、委員にはハリウッド女優、ウマ・サーマン、イングマール・ベルイマンと、女優リヴ・ウルマンの娘リン・ウルマン(ノルウェー、小説家)など多彩な顔触れであった。今回は受賞作品について触れる。

充実した作品群

「アリラン」

 今年は粒揃いで、内容が濃く、見応えがあった。コンペ、ノンコンペの「或る視点」部門などで、映画祭は約50本の作品を抑え、その中から両部門へ作品を振り分けた。今年は、特に「或る視点」部門では、コンペに出品されてもおかしくない作品が多かった。アジアからはキム・ギドク監督(韓)の「アリラン」、ホン・サンス監督(韓)の「彼が到着する日」、既にコンペ入賞歴のあるブルーノ・デュモン監督(仏)の「ウィザウト・サタン」、ガス・ヴァン・サント監督(米)の「レストレス」などである。


パルムドール


「ツリー・オヴ・ライフ」
 哲学的発想で引き込まれる映像
 コンペ部門のパルムドール(「金の棕櫚」の意、最高賞)は、テレンス・マリック監督(米)の「ツリー・オブ・ライフ」に決まった。テレンス作品は事前から本命視され、予想通りの結果であった。
 内容的には勿論、映像的にも大変秀れている。冒頭、20分以上、火山の大噴火、瀑布の圧倒的な景観、そして、海中の生物たちの躍動などが次々と写し出され、見る者はマリック監督の宇宙へと引き込まれる。このインサートは、「2001年宇宙の旅」(スタンリー・キュブリック監督)を彷彿させる。物語は、50年代のテキサスが舞台。主人公たる家族は、エンジニアの父親(ブラッド・ピットが扮する。永遠の青年と思われた彼も今やオジさんへと変身、これがサマになっている)、心優しい母と、2人の息子たち。父親は躾に厳しく、母が必死に子供たちをかばう。子供たちは母の影響で、生ある物へ慈しみをもって接する。この生への慈しみが、作品のメイントーンと言えよう。その後の長男の突然の死、母の深い嘆きを、成長した次男(ショーン・ペン)の語りで進行する。

  描かれるのは何処にでも居そうな市井の一家の日常生活であり、喜びもあれば悲しみもある。ここに普遍性が存在し、宇宙との対比の構図が浮かび上がる。そして、大自然、宇宙の中に人間の日常的営為が捉えられる。さらに、湧き上がる自然の映像の氾濫が意味を持ち始め、脳裏に刻み込まれる。哲学的発想であるが、奇異はてらわない。この手法が作品を強固なものに仕上げている。
  監督のマリックは、カンヌでは表彰式、記者会見には姿を見せず、人前に顔は出さない彼は伝説の監督とされている。1973年以来5作と、大変寡作である。彼はハーバード大とオックスフォード大において哲学を修めた学者肌の人物であり、今年68歳。


グランプリ2作品


「昔々、アナトリアで」

 トルコ、ベルギー作品がグランプリ
 第二席にあたるグランプリは「昔々、アナトリアで」(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督、トルコ)と「自転車と少年」(ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督、ベルギー)両作品に与えられた。(このグランプリは過去に小栗康平監督の「死の棘」〔90〕が受賞している。)
  ジェイラン監督は、95年に短篇部門を皮切りに、既に数々の受賞歴があり、カンヌ映画祭が見い出し、育てた監督で、今やトルコの代表的な作家だ。

 今作は、今様の平板で映像の中に漂う空気、その時間への経過を味わうような作りである。
  物語の背景はトルコの緑濃い農村部、その平原を3台の車が明りを灯して画面左上から、光の弧を描きながら登場。映像的に印象深い出だしだ。実はこの一群、殺人事件の現場検証である。殺人の動機、警察の思惑、担当検事と監察医の何やらありそうな雰囲気、総てが語られず、霧の中に留っている。そこには、見る者が色々と思い入れを忍び込ませる楽しみがある。逆に五里霧中の観客も同時に存在し、シネフィル向き。映画祭だからこそすくいあげられる範疇の作品。

「自転車と少年」

  「自転車と少年」は、ダルデンヌ兄弟監督が意図として採り上げる、社会下層の人々の困難さや生活苦を描いている。今回の主人公は年端の行かない少年。彼は父親に見捨てられ、施設暮らし。父親の養育遺棄を信じたくない思いで脱走し、父親に会いに行くが、状況は変らない。その彼に、週一回の里親の女性(ベルギー出身のセシル・ド・フランス)が手を差し伸べるが、少年は、中々心を開こうとしない。この作者の視線、ぶれない姿勢は評価すべきであり、今作がカンヌ映画祭史上初の3度目のパルムドールの最右翼とされた理由でもある。しかし、少しばかり異論がある。少年は、自分の意思を通そうとするが、現実の壁に突き当たるや直ぐにすねてみせる。この、少年の描き方がステレオタイプ化し、そこに不満を覚える。


主演男優賞


「アーティスト」

 フランスのジャン・デュジャルダン(「アーティスト」、ミッシェル・アザナヴィシウス監督)が選ばれた。発想のよさとデュジャルダンの芝居により、見ていて楽しめる作品となっている。一見、ハリウッド製の白黒、サイレント映画を思わすが、純然たるフランス映画である。
  物語は、サイレンと時代のスーパースター、ダグラス・フェアバンクスを思わせるデュジャルダンの主人公の栄光と没落を描いている。
  サイレントからトーキへの移行時代、多くの映画人が職を失った。
  主人公も、過去の人となり、生活に窮し、僅かな酒代のためトレードマークであるタキシードも質に入れざるを得なくなる。家や貴重な家具は競売に付される。彼により見い出され、今や大スターとなった女優が彼の窮状を知り、リストラされた彼のお付き運転手を雇い、競売品を買い集め、彼の映画復帰の足掛かりを作るために奔走する。正に、報恩の浪花節である。ここが、実に心地良い。デュジャルダン扮する、好感度溢れ、明るい役柄が、審査員を魅了したのであろう。
  この監督、主演コンビ(「OSS117 カイロ、スパイの巣窟」)で2007年に東京国際映画祭でグランプリを獲得している。これに対し、当時の朝日新聞の映画欄は、「星取表の星一つで最高賞」と酷評し、映画祭選考担当者は面目を失うという経緯があった。筆者も同作、当時、パリで事前に見ているが、最高賞には考え難い作品であった。


主演女優賞

「メランコリア」

 この授賞はいわく付きだ。キルステン・ダンストは、ラース・フォン・トリアー監督の「メランコリア」の主演により、この賞を得た。
  作品上映後の記者会見で、トリアー監督がナチ容認発言をし、映画祭当局が直ちに反応、彼を追放処分とした。但し、追放の中身が曖昧で作品出品取り消しか、カンヌからの追放かがはっきりしなかった。最終的に、審査委員会はダンストの主演女優賞を決めたが、会場にはトリアー監督の姿はなかった。彼は閉会式出入り禁止処分となり、審査の結果を受入れた映画祭当局は、振り上げた拳の降ろしどころを失い、釈然としない幕切れとなった。主演女優賞のダンストはトリアー発言のためか、受賞後の記者会見を中止とした。
 丁度同時期に、フランスの次期大統領選の世論調査で先頭を切っていた、社会党出身のドミニク・ストロスカーン(国際通貨基金専務理事)がニューヨークのホテルで女子従業員暴行事件を起こし逮捕された。そのあおりでカンヌのニュースはこの大々的な報道の影に隠れた感がある。
  さて、「メランコリア」だが、作品自体、惑星が地球に接近する脅威を描き、抽象的で難解なトリアー的世界である。さらに、見る者の神経を逆撫でするような挑発的なイメージが目につく。




(文中敬称略)
《続く》
映像新聞2011年6月6日号掲載

中川洋吉・映画評論家