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カンヌ国際映画祭2011」報告(2)
無冠ながら秀作の「ル・アーブル」

 今回のパルムドール(最高賞)はテレンス・マリック監督の「ツリー・オヴ・ライフ」に決まったことは前号(6月6日)で既に触れた。同作と並び、最高賞候補と前評判が高かったのが、フィンランドのアキ・カウリスマキ監督作品「ル・アーブル」である。しかし、無冠に終わり、メディアでも採り上げられなかった。だが、放っておくには惜しい作品であり、同作を紹介したい。

忘れられたパルムドール

 毎年のように、「この傑作が何故、無冠」という思いをする。例えば、パルムドール中のパルムドールとして筆者は、フランスのアラン・カヴァリエ監督の「テレーズ」(86)を挙げている。(この年は、ロラン・ジョッフェ監督〔英〕が「ザ・ミッション」で獲得、カヴァリエ監督作品は審査員賞であった。日本からは大島渚監督の「マックス・モン・アムール」が出品された。)


人情噺で描いた移民問題


「ル・アーブル」

 今年の忘れられたパルムドールは、アキ・カウリスマキ監督の「ル・アーブル」だ。フランス北部の港町ル・アーブルを舞台とする西欧人情噺である。主人公は老いた靴磨き、彼はいつもベトナム難民少年と共に、立ったまま表情を変えずに駅などで通り客に声を掛ける。冒頭からトボケタ味わいのカウリスマキ的世界に引き込まれる。実景以外の美術はシンプルを極め、極端に少ない台詞で、状況を一発で説明し尽す手法は見事の一語に尽きる。

 物語は前述の靴磨きの老人と、彼を取り巻く貧しい隣人たち、そして、カウリスマキ組常連女優カティ・オウティネンが病妻を演じる。彼女は2002年に同監督の「過去のない男」で主演女優賞を受賞している。本筋は、ある時、密入国の黒人少年が、彼らの中に紛れ込むことから始まる。それを追う刑事(ジャン=ピエール・ダルッサン)が執拗に少年を追いかける。ラストは住民たちの協力で黒人少年を英国に逃がし、刑事は故意に目こぼしをする。粋な幕切れだ。直接的な政治性を包み隠し、貧しい人々の連帯とお上のナサケが前面に押し出され、観る人は安堵の胸をなで下ろす。しかし、粋さの裏には、現在、欧州を揺るがす移民問題が透けて見える。ここに、きちっと時代性が捉えられ、したたかな作品に仕上げられている。


政治性の背景に存在する感動


 今回、一連の作品に見られたのは、直接的な政治性の背後に存在するエモーション(感動)である。これが、今年のキーワードといえよう。「ル・アーブル」はフランスの港町を舞台とするフランスの製作プロと、テレビジョンによる国際合作作品だ。


目だった若手女性監督の進出


マイウェン監督

 今年は、コンペ部門だけでも4人の女性監督が顔を揃えた。そのうちの1人が審査員賞を受賞した「ポリス」の監督マイウェンだ。元来、カフェテアトル(若手演劇人を中心とする、笑いとエスプリを効かす流れの演劇。才人揃いで、俳優、監督、脚本家として映画界へ大挙進出している。)出身の彼女、最初は女優として、その後、監督業へ転身、「ポリス」は3作目だ。記者会見では、一寸コミカルで、頭の回転の良さは抜群という一面をのぞかせた。

「ポリス」

物語はフランス伝統の警察モノで、主人公たちは警察の未成年保護班の面々である。同班は、今や社会問題化している幼児性愛を中心に、虐待、レイプ、育児放棄などに対処し、それぞれの警官は社会の歪から発生する問題に、誠意、時には物理的力を持って立ち向う。
  彼らは公務以外に家族問題、愛情問題を抱え、悶々と毎日を送り、同僚同士、被疑者に、時に怒りを爆発させる。その人間味溢れる感情の炸裂こそ、この集団劇を支えている。特に、幼児虐待のアラブ人の父親に対し、女性警官は、始めはフランス語での取調べ、それが、いつの間にかアラブ語で怒鳴り始め、周囲が彼女の勢いに驚くシーンは秀逸。男性警官ジョエスター(有名なラップ歌手)の演技は、主演男優賞ものだった。
  今年35歳のマイウェン監督は、他の若い監督のように観念性で勝負することを避け、クラシックな奇をてらわない手法を取っている。作品の見処は俳優の多様な個性を引き出すことにある。意図的に伝統的な手法を用いるあたりは、お客さんあっての映画との自覚であり、新しい世代の登場の予感がある。


アラブ女性の意識変革

「女の泉」

 他に、女性の側からの発言を捉えた作品に見るべきものがあった。  コンペ部門出品、フランスのラデュ・ミヘイレアニュ監督の「女の泉」は、現代のアラブ女性が主人公。男性中心のアラブ社会では、総ての労働が女性の肩へのしかかる。特に、山の奥深き泉への水汲みは、危険、かつ重労働で、女性たちを悩ます。そこで立ち上がったのが、開明的な小学校教員の若い妻で、彼女は男性達に不満を持ちつつも、反抗的行動を躊躇する女性たちを説き伏せ、夜のラブ・ストを訴える。妻は亭主の言うことを聞くものと思い込み、カフェで一日中油を売っている亭主族は、女性陣の強硬策に目を白黒させ、大慌ての態。
  ユーモアを絡めてのアラブ女性の現状を訴え、揺れ動くアラブ世界が、女性の側から変り始めている現実を描き出している。快作の1本。


異宗教同士の共生

ラバキ監督

 「或る視点」部門の「今、何処へ行く」は見るべき1作。  監督のナディーン・ラバキは、レバノン生れの今年38才の新鋭である。既に、2008年、カンヌ映画祭の監督週間で「キャラメル」(2009年に本邦公開)が出品され、国際的に認知された。今作、キリスト教とイスラム教の対立による国内の疲弊、そして犠牲は、常に女性とする視点でレバノンの現状を衝いている。タイトルは、その女性たちの悲痛な叫びなのだ。
  冒頭のシーンに圧倒される。黒服をまとった女性の一群が墓地へと進み、それぞれが愛する人々の写真を手にかざす。イスラム教徒はチャドル、キリスト教徒は十字架を身につけている。レバノンは宗教対立により国内は二分され、この両派の女性たちが亡き人々の冥福を祈る墓参りへ。この共生こそ同国を救う唯一の道とするラバキ監督の強い意志がはっきり読み取れる。
主役を演じるラバキ監督、そしてレバノンの総ての女性たちの願いが「今、何処へ行く」のメイン・テーマだ。メイウェン監督、ラバキ監督と、若く才能に恵まれた若手女性監督の出現は、今後、世界の映画地図を確実に塗り変えるであろう。そして、彼女たちの主張は現実に裏付けられているところが強味だ。


ジョディ・フォスター

ジョディ・フォスター監督

 ノン・コンペ部門に、ハリウッド女優のジョディ・フォスター監督作品「ザ・ビーバー」が出品された。物語は企業オーナーの夫(メル・ギブソン)が強度の鬱病にかかり、他者とのコミュニケーション不能状態に陥る。そこでとられたのが、マリオネット治療という心療々法で、彼は手につけたビーバーの縫いぐるみに話しかけることを通して、徐々にコミュニケーションを回復するもの。妻役は監督のフォスター。
  作品自体、マリオネット療法は幼児向けで、成人には適用されず、ハナシに無理がある。作品とは別に、彼女の記者会見に驚かされた。彼女、完璧なフランス語を話し(ハリウッド俳優でフランス語を話す人はまずいない)、実際、年の半分位はフランスに住んでいるとのこと。また、主役のギブソンの起用と、女優と監督の両立などの質問に対し、その答えが実に明晰で感心させられた。


監督週間」部門


 取材者は、コンペ中心に動き、残りを「或る視点」部門や「監督週間」部門に当てることを常としている。その様なワケ理由で、「監督週間」部門で見た、唯一面白いオープニング上映作品「妖精」(ベルギー)についてのみ触れる。冴えない2人の男女の恋を扱う物語で、女性は自分が妖精であると公言し、時折、超能力を発揮する。この超能力振りが、当世はやりのハイテクではなく、総て手作りのローテク・アイディアである。この前時代的トリック撮影が笑え、実に楽しい。他に数本見たが、失望の連続であった。「監督週間」部門関係者によると、決定機関の評議員会で今年の選考が問題となり、総代表交代は必至とのこと。



(文中敬称略)
《続く》
映像新聞 2011年6月13日掲載号

中川洋吉・映画評論家