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記録映画「沈黙の春を生きて」
「枯れ葉剤問題」追った第2弾
被害拡大の現実を訴える

 ヴェトナム戦争(1960〜75年)の時、米軍は猛毒ダイオキシンを含む、枯れ葉剤散布を行った。その被害者家族を追ったドキュメンタリー「花はどこへいった」(07)を製作した坂田雅子監督は、新作「沈黙の春を生きて」を発表した。前作ではヴェトナムの被害者家族が写し出され、3年後の今作では、ヴェトナム戦争帰還兵と、現在のヴェトナムの被害者がつながり、枯れ葉剤がヴェトナム一国だけに留まらず、その被害の拡大の現実を訴えている。
 
同作、終映後に声を失うほど、驚き、怒り、そして、奇形児に寄り添い生きる母親の姿に感動した。ヴェトナム人は子供を非常に可愛がると言われるが、逆境の中にありながら、優しさを失わない彼らは無辺な慈しみの気持を欠かさない。母の愛情で育てられる盲目の少年のエピソードがそれだ。

タイトルの意味

「沈黙の春を生きて」
(c) 2011 Masako Sakata Siglo

 タイトルの「沈黙の春」は、アメリカの作家で海洋学者である、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」(62)を指す。同書で、著者は
「科学物質は放射能と同じ不吉な物資で、世界のあり方、生命を変えてしまう」と述べ、当時、隆盛を極めた農薬の危険性を予言した。当時、アメリカ政府は人体に影響はないと説明し、ケネディ大統領は国内での農薬の波及を食い止めようとするが、大手化学会社の次なる市場としてヴェトナム戦争用に枯れ葉剤を発注し、61年から10年間散布を続けた。


被害の実態


「沈黙の春を生きて」
(c) 2011 Masako Sakata Siglo
 枯れ葉剤被害の恐ろしさは、体内遺伝が、被害者だけでなく、二世、三世へと続くところにある。そして、ヴェトナムでは、約300万人が身体異常を来たしているとされている。癌、精神障害、先天性の四肢麻痺、知的障害、視覚障害を誘発し、多くの奇形児が産まれている。この農薬の被害者は、戦禍のヴェトナムだけでなく、投下したアメリカでも存在することを、今作「沈黙の春を生きる」は明らかにしている。


米国本土の被害者


 今作ではアメリカの被害者の一人に焦点を当てている。今年、38才のアメリカ人女性、ヘザー・バウザーは、ヴェトナム帰還兵の娘で、片足と足の指先の一部が欠損し、生れた。  父親はヴェトナム戦線で戦い、帰還後、38歳で枯れ葉剤の影響による病気を発症し、50歳の若さで亡くなっている。枯れ葉剤による影響は世代を越え発症することが再認識された。
  米政府も対策に乗り出し、傷害のある帰還兵には補償金を払うようになったが、二世への補償など不備が多い。この制度も自国民だけを対象とし、アメリカ政府からヴェトナムへは、ダイオキシン汚染除去の名目で今年6月から24億円が投ぜられた。被害の大きさからいえば、ほんの雀の涙であり、ヴェトナムでは被害者の会が設立されたが、年間予算が2億3千万円と、とても多くの被害者を救える額ではない。この補償問題、両国政府は元兵士を対象とし、一番多くの被害を被った一般人への給付はない。
  ここに、はっきりと戦争の負の構図が読み取れる。前戦の兵士や一般市民が被害を受け、指揮した人間は常に安全な場に身を置いていることである。イラク、アフガニスタンでは、あたかも聖戦のごとくアメリカ軍兵士の死者数は発表されるが、その何十倍もいる一般人の死には触れない。更に言うなら、アメリカの戦没兵の多くが下級兵士という事実がある。



ヴェトナムの被害者たち


坂田雅子監督(c)2011 Masako Sakata Siglo

 作品では、アメリカ人の被害者が、同じ障害者としてホーチミン市を訪れる様子を描いている。枯れ葉剤被害は、もう、一国だけの問題でないことを監督、坂田雅子は提起している。
  そこでは、3年前に登場した被害者たちの成長した様子が写し出される。  大家族の中で、ただ一人、全盲の少女。幼い兄弟が手を貸さねば右も左も分からない年頃の少女。その彼女の明るさが救いだ。四肢不全の息子を抱える中年に達した母親。もう、彼女は息子をリハビリさせる気力、体力も残ってない。ましてや、病院へ連れて行く金もない。一番衝撃的な被害者は、20代の兄妹である。ダイオキシンの猛毒により、顔に縞馬のようにまだらな線があり、接する側が思わず目を伏せてしまう。優しい物腰の2人、気も良く、何でここまで素直に育てたのだろうかと問いたくなる。彼らは、その容貌のため学校へも行かせてもらえず、教育も受けていない。胸が絞めつけられる思いである。
  全盲の少年、母親が大事に、大事に育て屈託ない。仏教で言うところの慈しみであろう。


社会の不条理に対する怒り

 元兵士しか補償を受けられない現行制度では、母子家庭の被害者二世の母親は、子供の教育を諦め得ず、暗い穴に突き落とされたような絶望感が漂う。いつの世でも、被害、災難は貧乏人を襲うことを痛感する。
 成人に達した障害児の介護に当たる両親の高齢化、暗澹たる気分にさせられる。
 痴呆状態で寝たきりの少女を抱える母親の困惑。
 救いのない光景が展開されるが、被害者たちの親は、カメラを向ければ、「子供を撮って、皆に知らせて欲しい」と協力的で、隠そうとしない。
 困難な状況は続くが、救済の努力も続けられている。被害者を支援するツーズー病院(ホーチミン市)に併設された施設「平和村」で60人の四肢欠損や知的障害児が暮らしている。被害の大きさから比べれば、満足のいく加療施設ではない。
作品は、個々の事例を積み上げ、被害の実態、拡大を伝えている。その、一つ一つのエピソードが適確に配置され、話が一点へと収斂する構成に力がある。


原発事故との重なり

 問われる安全な生活の確保
 50年前の枯れ葉剤散布の被害は、半世紀後の日本の3・11後の状況と合致する。両方ともまごうことなき人災であり、多くの人の生命や生活を破壊している。原発廃炉のためには50年のタイムスパーンが必要と言われ、まして、事故でもあれば、現状回復は先ず不可能と一般人感覚として考えても良いだろう。枯れ葉剤はアメリカの大手化学会社ダウケミカル社やモンサント社製であり、未だに責任を否定し、補償にも応じていない。原発はアメリカのジェネラル・エレクトリック社と同型のものであり、それが今回、福島原発で事故を起している。両方とも巨大国アメリカが起したものであり、大企業の利益優先体質が原因であり、人道的配慮を欠いている。今、問われるのは、人間の安全な生活の確保であり、坂田作品は問題の根幹を提起している。
  同監督は 「未来の世代に再び負の遺産を残さぬように、今私たちに何ができるのだろう。この映画は、その一つの問いかけである」と、「沈黙の春を生きて」で主張すべきことを述べている。  命の安全を揺るがせかねない事態に対する重い問いかけだ。


映画を作るということ

 同作は、低額予算作品にありがちな、テクニックの破綻がなく、映像も音声もしっかりし、見やすい。
 映画を撮るということは、作り手の高い志がいかに重要であるかを、同作は思い知らせてくれる。坂田監督は、今年63歳と決して若くないが、60歳を過ぎても失わない人に対する慈しみ、社会の不条理に対する怒りの表明、彼女の「枯れていられない」という内に秘めた強い思いが伝わる。
  前作「花はどこへいった」以上の内容的強さがある。




(文中敬称略)
《了》
2011年9月24日から10月21日まで、岩波ホールで公開。

参考資料
朝日新聞掲載記事
1)「枯れ葉剤除去へ一歩」(2011年8月13日夕刊)
2)シリーズ・「枯れ葉剤いまも」4回連載(2011年8月29日〜9月1日、夕刊)

映像新聞2011年9月19日掲載号より

中川洋吉・映画評論家