「アジアフォーカス・福岡国際映画祭」開催
13カ国・地域の21本上映 |
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今年の「アジアフォーカス・福岡国際映画祭」(以下アジアフォーカス)は9月16日から25日まで、福岡の、新装なった博多駅ビル内のシネコンT・ジョイ博多で開催された。今年で21回目を迎えた同映画祭にはアジア13カ国・地域、21本の招待作品が上映された。この映画祭は隔年開催の山形国際ドキュメンタリー映画祭と並び、行政主体の数少ない存在である。
今年は粒揃いの年であった。選考は手堅く、既に実績のある中国、韓国、イランを始め、フィリピン、マレーシア、タイなどからの参加があった。
以前はディレクターの佐藤忠男氏(現日本映画大学々長)がアジア中を廻り作品選定にあたったが、氏の引退後は、主として、映画祭から作品を選ぶようになった。映画祭から選ぶ手法も悪くはない。しかし、同映画祭の目的は新しいアジア映画、アジアの人、社会を見せることであり、既に他の映画祭で上映された作品は鮮度に問題ありと見た。例えば、昨年の東京国際映画祭やNHKアジア・フィルム・フェスティヴァルで上映された作品が2本ずつ選ばれたが、二番煎じの感がある。
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「ナデルとシミン」
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ノン・コンペ方式の同映画祭の唯一の賞は観客賞である。この賞には、イラン映画「ナデルとシミン」が選ばれた。今作、今年のベルリン映画祭で金熊賞(最高賞)を獲得し、いわば金箔付作品である。イランの今(いま)が一つの家族を通して描かれ、内容的には今回の一番の秀作と言える。
ストーリー自体はシリアスであり、それをぐいぐい押す力が作品にある。主人公一家は銀行勤めの夫と、教員の妻、2人の間に中学生の娘がいる、裕福な家庭である。妻は娘の教育のために国外移住を望むが、夫は認知症の父の看護があり、イランから離れられない。夫婦の意見が食い違い、2人は離婚を申請し、妻は実家に戻る。
1人になった夫は、昼間の看護のために家政婦を雇う。彼女の登場により、次第に一家の運命は暗転する。しかし、シナリオの構成に知恵がある。夫は口やかましく、何でも仕切らねばすまぬタイプ、そんな夫の欠点を充分に承知している妻は賢く、事を荒立てることを嫌う。家政婦は、信仰心の厚い実直な普通の女性、彼らすべてが良い人なのだ。この設定が今作のミソ。看護疲れでイライラが募る夫は、帰宅すると、父親がベッドから落ちているのを発見。そこに、外出していた家政婦が戻り、無断で家を空けたことを責め、2人は口論となる。そして、家政婦は突き飛ばされるようにドアの外へ押し出され転倒する。問題はこの後だ。
家政婦の夫は、彼の暴力行為で妊娠中の妻が流産したとし、殺人罪で訴え、厄介な方向へと当事者たちは否応なく導かれる。最終的には、訴えられた方の妻からの和解提案が出され、一件落着と思われるが、最後にもう一捻りがあり、唸らさせられる。女性たちは、争いは真っ平と穏健な解決を望むが、男社会のイスラム世界では意地と沽券へのこだわりが強い。それが事態を暗転させ、その描き方が男社会の愚かさを衝いている。そして、イランの一家庭の物語に終らせぬ懐の深さも感じさせる。他映画祭受賞作選定には否定的な筆者だが「ナデルとシミン」は、この実力をして止むを得ない感を抱く。監督の、アスガー・ファルハディは前作「アバウト・エリ」で既に同映画祭に登場し、ベルリン映画祭でも銀熊賞を得、国際的に評価されている。
「ゲシェル〜ぎりぎり日記」も注目すべき作品。登場人物は3人の労働者。
舞台は、イラン海岸地帯の石油コンビナート現場。彼らは酷暑の中、厳しい労働に従事し、故郷の家族へ仕送りを続けている。ねぐらは工事用の大型鉄管、毎日単調な労働の繰り返し。1人は現場の溶接工、1人は同じく、トイレ掃除。目詰まりのトイレの素手での作業、この超リアリズムには驚かされる。もう1人はオンボロの白タクで工事関係者を現場へ運ぶ。最初のシーン、空調が故障し、客との言い争い、先が思いやられる出だしだ。絶望的状況だが、各人が楽しみを見付け、彼らは暗くない。この男性たちの存在、豊富な石油を背景とし、経済発展が著しいイランの繁栄から取り残された人々の生き様が作品のテーマであろう。それぞれの男性たちの個性が冴え、現代イランの社会考察、人間観察が作品を豊かにしている。今回の収穫の1作。
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「陽に灼けた道」
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今回、出品された中国作品は力がある。それぞれ違うタイプの作品であり、中国映画の強みである普遍性を持つテーマをきっちり抑えている。
「陽に灼けた道」はチベットを舞台とする、魂(たましい)のロードムービーだ。冒頭、大草原が写し出され、延々と1本の道路が伸びる。そこに1台のバスが走る。乗客の中に、髪は伸び放題、薄汚れたナリの青年、その彼にしきりに話かける老人。舞台、登場人物が一目瞭然に説明される鮮かさだ。老人に全く反応しない青年、深い訳がありそうな様子。ハナシは口をきかぬ青年と老人の2人旅で進む。話しかける老人はラサの娘の結婚式帰り、彼は、子育てを終え、人生の目標が消え、旅の道連れを求めていた。徐々にわかる青年の境遇、彼は農家育ちで、事故で母を殺し、その贖罪のため五体投地でラサへ向い、彼も旅の帰途。これからの人生と、終わりに向う人生、その間に立ちはだかる心の傷。老人は、今までの人生を語り、青年も何かを感じた様子。そして、無言に近い別れと帰郷、そこで彼は初めて幼い甥の姿を見て笑顔を見せる。心に沁み入るような作品だ。
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「遠い帰郷」 |
「遠い帰郷」は、中国の現在をそのまま写し取ったような作品だ。主人公の若い女性は農村地帯でヤクザな男との間の子を孕(はら)み、父親から勘当され、子供を置いて上海へ出稼ぎに出る。同郷の女性宅に転がり込み、派出婦の仕事を始めるが、元々頭の良い彼女、帰郷がママならない出稼ぎの女性たちのための帰郷バスを考えつく。この儲け話のもとは同郷の仲間の発案で、打棄ててあったオンボロバスを活用するもの。絶えず、金儲けのネタを探す、下層労働者たちの逞しさがなんとも良い。実話の映画化のようだが、生活感溢れ目を見張るものがある。
もう1本の中国作品「冬休みの情景」、昨年のNHKアジア・フォルム・フェスティヴァルで上映されたもの。ロングのフィックス多用のカメラワーク、そこに人間を出し入れするスタイリッシュな映像と独特な感覚が面白い。寒々とした内モンゴルの若者たちの退屈な日々、トボケタ台詞が抜群に面白い。幼児が「大きくなったら孤児になりたい」、別れを告げに来た女の子に同窓生が「お前の頭では俺が丁度良い」など、思わず笑ってしまう。全体に青春の閉塞感がスタイリッシュな映像で描かれる、才気溢れる1作。
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「Bleak Night」
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韓国作品「Bleak Night」(原題)は仲良し3人組男子高校生の物語で、友情のモロさ、青春のはかなさが出ている力作。
他に、娯楽作品として「レッド・イーグル」(タイ)は50年前の小説の映画化で、悪をもって悪を征するスーパーヒーローもので、摩天楼のアクションなど見ている方がヒヤヒヤし通し。
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「レッド・イーグル」
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娯楽ホラーとして「趙夫人の地獄鍋」(マレーシア)は娘に手を出す夫を刺殺した妻が切盛りするカレー屋で、娘3人と人肉入りカレーを出し大成功するトンデモものである。両作とも娯楽に徹し、それが芸にまで昇華し、見ていて兎に角楽しい。アジア映画独特のエゲツなさが逆に受け要素となっている。
日本からは「歓待」が出品された。ある家庭に突然外人が寄宿し、外人が外人を呼び家中彼らに占拠される、不条理な面白さが狙いだが、踏み込みガ弱く、外国勢に比べ「だから何を、それがどうした」との思いを抱かざるを得ない。そして、足腰の弱さは拭い切れない。
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「趙夫人の地獄鍋」
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(文中敬称略)
《了》
映像新聞2011年10月3日掲載号より
中川洋吉・映画評論家
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