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「第12回東京フィルメックス」報告(2)
高レベルだったコンペ部門 各国の映画祭から選出

 「第12回東京フィルメックス」(以下フィルメックス)は、11月27日(日)に閉幕した。今号では、前週の「相米慎二特集」に引き続き、コンペ、特別招待作品について述べる。コンペ10本、特別招待作品9本が選考されたが、多数のハイレベルの作品が目白押しであった。特にコンペでは、中国、韓国、イラン作品に力強さが目立った。

異色のドキュメンタリー

 中国のユー・グァンイ監督は「独り者の山」(コンペ)を出品した。彼は既に2本のドキュメンタリーをフィルメックスに出した、お馴染みの存在である。描かれる凄まじいばかりの現実は、観る者を押し倒す程の力業で、現代中国の山岳地帯の貧しさを描いて見せた。単に貧しいだけのカワイソウイズムから一歩も二歩も踏み込み、厳しい環境での生きる人間の姿をかっちりと見せた。今回の主人公は職を失った木こりで、12年前に妻を失った独身男に焦点を当てている。村には中年の独身男が溜り、女性たちは厳しい気候と、仕事がないためにどんどん村を離れて行く。唯一残った宿屋の娘は同性愛者で、彼のことをただの労働奉仕者としか見ていない。しかし、彼は彼女に愛を捧げる。究極の純愛である。中国の山岳地帯の貧困、くじけそうになりながらも、飄々と生きる主人公。実生活の描き込みが違う。監督は故郷の村の幼友達を被写体とし、出来た作品は海外映画祭に出品するのみだ。国内上映に関しては検閲の申請すらせず、一般の人々は彼の作品を見ることが出来ない。テレビの放映もないとのこと。彼の生業は版画家で、その収入で映画を撮っている。この異色の映画人の三部作、総てフィルメックスが上映している。映画祭の使命の一つは、普段見られない作品を見せるところにあり、このフィルメックスの英断は敬服するに値する。


ジャンル「脱北者」 中国、韓国、イラン作品に力作


「ムサン日記〜白い犬」
 韓国の「ムサン日記〜白い犬」(以下「白い犬」)(コンペ部門)は、今や、韓国映画界で「脱北者」ジャンルが出来上がっているが、それを代表する一作。初期の脱北者は、韓国社会では英雄視されてきたが、昨今は社会のお荷物として二等国民扱いである。社会との絆を絶っての異国の生活、仕事、健康、住居などの問題を抱えている。これは中国吉林省の出稼ぎ中国人も同様のケースだ。(例として、オムニバス作品「もしあなたなら2 五つの視線」の「チョンノ、冬」(06)〈チョン・ジウ監督〉)(これは必見)。「白い犬」の主人公は、脱北者ということだけで就職を断られ、彼の心を許す友は白い子犬だけと、厳冬のソウルで不安な日々を送っている。恐らく、脱北者の気持ちをこの「白い犬」は託しているのではなかろうか。脱北者自身の困窮、同胞を相手にインチキ商売する、貧乏人が貧乏人を食いものにする負の構造。間違いなく、現在の韓国、朝鮮半島の抱える問題が提起されている。若い作り手の現状認識の強さがはっきりと打ち出されている。この認識が、日韓若手映画人の資質の根底的違いだ。


イラン映画の安定感


「グッドバイ」

 イランからの作品は相変わらず安定した強さを見せた。その1本が「グッドバイ」(コンペ)であり、イラン知識人の生き難くさの現実が切実な思いで迫ってくる。主人公の女性は、人権活動家の弁護士、夫も活動家だが、当局にマークされ、南部に潜んだまま。ここで主人公は、国外脱出を図るが、政府が中々許可を下さない。繁雑な書類を作成し、必ず夫の同意書を必要とする、男性社会の中、女性としての生き方に制限が設けられている。物語は、良心的な知識人の苦しみに終わらない。一方、妊娠している彼女の子が身障者であることが判明。周囲は中絶を勧めるが、彼女は出産を決意する。外国での出産は、定住権が採りやすいという思惑も手伝って。昨今のイラン映画は直接的政治性を避け、夫婦や家族の危機に多くのテーマを見出している。
 監督のラスロフは、後述のジャファル監督同様、反政府分子として逮捕されたが、保釈の間に本作「グッドバイ」を撮っている。勿論、フィルメックスの招待は、政府の出国禁止令で実現せず。




チベットの現在


「オールド・ドッグ」

 福岡アジア・フォーカス国際映画祭(9月)では「陽に灼けた道」という、チベットを背景とした秀作が上映された。今フィルメックスでは「オールド・ドッグ」(コンペ)が最高賞を受賞した。中国の映画作家に取り、貧富の差の拡大は主要なテーマだが、チベット問題も、重要な問題になりつつある。
 物語の舞台はチベットの大草原、主人公は牧畜を営む一家。羊の放牧には牧羊犬が欠かせない。しかし、昨今の金満ブームでチャウチャウを大きくしたようなチベット犬が都会でブームを呼び、それを狙っての犬泥棒が横行する。素朴な生活を守ってきたチベット人たちが、再開発促進によりどんどん隅に押し込まれる様子が描かれている。チベット犬が牧畜の民の象徴なのだ。浸食されるチベットの民を描くシーンに、かつての草原地一帯が今や町となり、トラックと羊群が大通りを行き交う有様だ。開発による貧富の格差と自然環境の劣化は、現代中国が抱える大きな問題だ。


映画が撮れない監督たち

「アリラン」

 オープニング作品「アリラン」(特別招待)(今年のカンヌ映画祭「或る視点」部門最高賞受賞、キム・ギトク監督〈韓〉)の迫力には打たれた。08年以降、撮影中の事故が因で、ここ3年間、作品を撮っていない彼が、自己の姿を自分1人でカメラに収めた異色作。唯1人、キヤノンEOSのカメラへ向い、自問自答し、何故、作品が撮れなくなったかの内部葛藤を吐露し、この作品を契機に新たな創作活動の可能性を語った。終映後の彼のアリランの熱唱、完全に観客を魅了した。このアリラン、今年のカンヌの表彰式でも歌い、会場のド肝を抜いたものであった。

「これは映画ではない」

 もう1人、撮れない監督作品がイランの大物監督、ジャファール・パナヒの「これは映画ではない」(特別招待)である。同監督は反政府活動で懲役6年、映画製作禁止20年の判決を受け、
保釈中に、友人、そして、自身の写メールで自宅軟禁の様子を撮ったもの。彼は毎日の生活、友人の1人のカメラマン、ゴミ片付けの青年との会話だけで75分の作品を撮り上げた。ギドク、パナヒ両作品とも、超低予算で、ビデオ撮影。ここで思うのは、どんな境遇でも、強い志に裏打ちされるなら、映画は個人的に撮れるということである。


娯楽作品の王道

 クロージングは中国(香港)の超大物ジョニー・トー監督の「奪命金」(特別招待)であった。今までのヤクザの抗争中心のポリシエではなく、金融危機を直接扱った作品。彼の作品、あたかも、何を食べても美味しいレストランの趣きがあり、ハズレがない。娯楽性と映画的質を兼ね備えたトー作品、ここ数年、ヨーロッパでも評価が高い。


日本映画

「モンスターズクラブ」

 特別招待枠から日本の豊田利晃監督が選考された。彼の「モンスターズクラブ」は骨っぽく、観念だけで映像を組み立てる、若手、中堅作とは一線を画している。物語は、雪深い山中にこもり爆弾を製作し、首相とテレビ局に送りつける青年の孤独な日々の行為を扱っている。権力に対し、絶対的自由を手にするための個人的営為には、そのストイックな姿勢が貫かれており、これは注目すべき一作。


まとめ

 今年のフィルメックスの品揃いは大変に充実していた。各国の国際映画祭から吟味された作品を選び出し、12年間に亘るフィルメックスの人脈の駆使が好結果を生み出している。前述のように撮り手の社会に対する意識の高さが、質的内容を高めていた。この点、日本映画は明らかに力負けしている。例えば、逆説的だが、海外受賞作、塚本晋也監督の母性と狂気を追う「KOTOKO」を見れば、日本映画の海外で受ける理由が良くわかる。抽象的な現実の設定、省略の多用、社会からの遊離、そして、不条理性の前面への押し出し、この条件を満たせば、海外出品でもそれなりの成績は残せるかも知れない。




●受賞作品(コンペ部門)
最優秀作品賞 「オールド・ドッグ」(中国)
審査員特別賞 「ムサン日記〜白い犬」(韓国)
観客賞 「アリラン」(韓国)(特別招待)
審査委員長 アミール・ナデリ(米国、映画監督)





(文中敬称略)
《了》


映像新聞2011年12月12日号より転載

中川洋吉・映画評論家