このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



「ル・アーヴルの靴みがき」
観客の心つかむ監督の手腕
突きつけられる義侠心

 フィンランドのアキ・カウリスマキ監督による「ル・アーヴルの靴みがき」(原題『ル・アーヴル』)は、独特のリズムを持ち同監督らしさが溢れている。2011年のカンヌ国際映画祭(以下、カンヌ映画祭)に出品された同作は、『ツリー・オヴ・ライフ』(テレンス・マリック監督)、『アーティスト』(ミッシェル・アザナヴィシウス監督)と並び、筆者のベスト3作品であった。日本ではアート系作品の公開は遅くなりがちだが、これらの作品は総て本邦公開されている。カウリスマキ・ワールド、少しばかりのオトボケと人生のほろ苦さが何とも快い。

現代の世界的傾向

 昨年のカンヌ映画祭で痛切に感じたことは、全体的に映画自体が優しくなり、ヴァイオレンスが後退していることだ。経済の右肩上がりの時代は強者中心の企画がハバをきかせていたが、世界的不景気の現代は、弱者の側に立つ視線が目立って来ている。これは、明らかに時代の変化と言えよう。


欧州を覆う移民問題 貧しい生活と不法移民問題


「ル・アーブルの靴みがき」監督
 (c) Sputnik Oy
 南北の経済格差が広がる中、欧州では恒常的な不法移民問題が社会化し、彼らに対しヨーロッパ各国政府は手を焼いている。
 「ル・アーヴルの靴みがき」(原題『ル・アーヴル』)の舞台はフランス北部、ドーヴァー海峡に面したフランス第2の港であり、独軍の爆撃により破壊された町は戦後再建された。非常に整った街並みを誇り、英国が対岸に位置し、地理的に移民受入れに寛大な英国に渡る不法移民のステップとなっている。


直立不動で客待ち シリアスな題材をユーモアで包む


「ル・アーヴルの靴みがき」
(c) Sputnik Oy

 本作は設定がユニークなのだ。元芸術家で初老の靴みがきは、いつも、ヴェトナム人青年を従え駅で営業。2人は立ったまま客待ちをしている。ここで既にカウリスマキの世界に引きずり込まれる。2人は街外れに住み、近隣はパン屋、雑貨屋で、彼らとは友達付き合いの間柄。元芸術家の主人公は妻と共にシモタ家に住み、貧乏一歩手前の生活が設定される。家も、書き割り調、内装は原色と、低予算と覚しき同作品の弱点を逆手にとり、生活感を希薄にしている。このシンプルさこそカウリスマキ監督の狙いだ。



物語の発端


 この庶民の暮らしの中に、ある日、突然黒人少年が交ざりこむ。密航船で港に着いたアフリカ人は地元警察により一網打尽となり、1人、少年だけが、隙を衝き逃げ出す。そして、警察が少年探しに動き出す。靴みがきの周辺を嗅ぎ回る警部には「キリマンジャロの雪」(6月9日より岩波ホールで上映)のジャン=ピエール・ダルッサンが扮す。彼は目立たず、渋く、そして、人間味を感じさせる役柄では現在のフランス映画界ピカ一の役者だ。執拗な警部の追及にも、近隣の住民と協力し、少年を何とか小舟に乗せて、母親が待つ英国への送り出しに力を合わせる。ここに庶民の連帯意識がはっきり見てとれ、カウリスマキの視線の向けどころが明瞭となる。


意外な展開

 近所の協力で少年を小舟の船底に隠すが、例の警部がまた現われ、船内を点検する。そこへ、警察も急遽駆けつけ、大いに船底を怪しむが、以外にも警部は船底の蓋の上に座り込み、職務権限で、警官を下船させる。警部は黒人少年の存在を知りながら、密航劇に一肌脱ぐ。強きをくじき、弱きを助ける、正に浪花節である。これが見る側にとり大変心地良く胸に響く。この、見て見ぬ振りの侠気の世界、黒人の渡航を願う観客にとり一幅の清涼剤となり、思わず、人生は悪くないと思わす。古くからある侠気の世界、このようにまともに見せられると、誰もがちょっと照れながらも受け入れてしまう心情へ導かれる。庶民の連帯意識と敵となる筈のお上の情、観客のハートをわし掴みにする効果をカウリスマキ監督は熟知している。

おとこ気の世界の復権

 同じく、昨年のカンヌ映画祭(第64回)の出品作「アーティスト」でも同様の発想が見られる。同作はまごうことなきフランス映画だが、ハリウッド調で、サイレント、モノクロと郷愁を誘うスタイルで、徹底したサイレントのパロディ化が成功している。主演のジャン・デュジャルダン、監督のミッシェル・アザナビシウスのコンビは、パロディものが得意で、2006年の東京国際映画祭で007のパロディもの「OSS117カイロ、スパイの巣窟」で最高賞を得たが、朝日新聞で星取表の星一つで最高賞と揶揄されたほどのローレベル作であった。しかし、「アーティスト」では、その悪評にめげず、徹底したレトロ・ミュージカルで、アカデミー賞作品賞を獲得。物語は、サイレントからトーキーへの移行期のスターの浮き沈みを描くもの。主人公には、サイレント時代の大スター、女は彼に見出されたトーキー時代の新進スターである。時代の変化の波に乗れず零落する男と、頂点を上り詰める女に、男女の仲を超える友情が、サイドストーリーとして光彩を放つ。生活に窮し、自慢の骨董品を売り、食いつなぐ男の高価なコレクションを女は密かにオークションで買い上げ、そして、ラストは彼の再起の手助けをする。この浪曲節の心地良さが胸にずしりと響く。この義侠心が、アカデミー賞審査員を大いにノセたことは想像にかたくない。「ル・アーヴルの靴みがき」や「アーティスト」に見られる義侠心を照れず、臆面もなく堂々と突きつけられれば、見る側は思わず前へ乗り出すことは必定だ。この2作が代表例だが、映画のテーマとして、家族が圧倒的に多いが、その中にあって義侠心を前面に押し出す、昨今の風潮は、経済が繁栄していたバブル時代の力への信仰と対極に位置するものがある。断定は出来ないが、映画自体が時代を反映し、繰り返すが、優しくなって来ている印象が強い。


フィンランド・仏合作

 本作は、フィンランドと仏国の合作である。フランス映画界で合作は珍しいことではなく、むしろかなり多いのが現状である。しかし、製作費を出し合い、資金集めというよりは、フランスが、カウリスマキ監督の独特のキャラクターを取り込むための合作と解釈して良いのではなかろうか。


製作意図

 ヨーロッパでは移民については、それほど多く語られてこなかったとカウリスマキ監督は述べているが、これは半分は事実で、半分は間違いである。例えば、現在、フランス映画で一番勢いのあるのは移民2世、3世の映画人の一群であり、その代表格は、2006年にカンヌ映画祭で主演男優賞を5人に与えた異例の受賞作「現地兵」のラシッド・ムシャレブ監督(日仏学院で一度公開)である。北アフリカの旧植民地を支配したフランスは、多くの移民が合法的に定住化し、現在に至っている。しかし、北欧では、未だ移民旋風が吹き荒れず、近年、やっと問題化するに至った。そして、この問題が社会的に定着し始めたのはそれほど古い時代ではない。これに対し、カウリスマキ監督は自分なりに回答を出したく製作に踏み切ったと考えられる。そのため、多くのアフリカ移民が目指す英国への中継地をフランスのル・アーヴル市に定めた。風光明媚な港で、街の中心部はユネスコの世界文化遺産に指定されている都市だが、フランス資本の力を借りて、従来のル・アーヴル市とは全く違うイメージを描き上げた。


監督の北欧的資質

 生命の危機に係わる密航はシリアスなテーマであるが、画面からは、ゆったりとした北欧人気質が伝わる。そこをカウリスマキ監督は、自らの体質、感性を生かし、巧まざるユーモアで全体を包み、連帯性や侠気の物語へと紡ぎあげたのだ。彼の傑作の一本であることは間違いない。



(文中敬称略)
『ル・アーヴルの靴みがき』は、4月28日から、東京都渋谷区のユーロスペースほか
全国で順次ロードショー。


《了》


映像新聞2012年4月23日号より転載

中川洋吉・映画評論家