「キリマンジャロの雪」
労働者の失業問題を背景に庶民の心のつながりを描く
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タイトル「キリマンジャロの雪」とは、60年代にロベール・ゲディギアン監督が愛唱したシャンソン。ヘミングウェイの小説とは全く関係ない。それは、彼が未だ大学入学前のリセアンとして過ごした、多感な青春時代の思い出である。地中海に面したフランス一の港町マルセイユを本拠とするゲディギアン監督の最新作は、2011年カンヌ映画祭監督週間出品作品。例年、フランスからの出品作品は、人間の心理のひだに入り込むような観念的作品が多い傾向があるが、「キリマンジャロの雪」は生活感溢れ、社会性に富み今までの選考とは一味違い、そこが新鮮に映る。
マルセイユが舞台の"地方映画"
前回(4月23日号)では、アキ・カウリスマキ監督の「ル・アーヴルの靴みがき」で北の第二の港町ル・アーヴル、本作では南仏のマルセイユが重要な舞台としており、どちらも深刻な社会問題が背後に横たわっている。北のル・アーヴルでは不法移民問題、南のマルセイユでは産業規模の縮小による労働者の失業問題がある。両方とも、現在の社会問題を直に反映させている。
明るい太陽、陽気な人々と人生を楽しむ姿勢が、南仏マルセイユ(大きく言えば地中海沿岸全体)を中心に展開されているところが、ゲディギアン監督作品の大きな魅力である。
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「キリマンジャロの雪」
(c)AGAT Films & Cie, France 3 Cinema,2011
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彼の作品の主人公たちは、時に庶民であり、時に労働者階級であることを最大の特徴としている。他に例を挙げるなら、労働者階級を中心に描くイギリスのケン・ローチ監督作品と類似点が多い。ただ、ゲディギアン監督は、労働者階級に加え、より一層庶民性が際立つ。その一因として、全作出演の監督夫人、アリアンヌ・アスカリッドの存在が極めて重要である。決して美人タイプではないが、気さくで、生々とした柄を彼女は得意とし、インタヴューでも実に明るく気さくな人柄を感じさせた。彼女はフランスで300万人動員したヒット作「マルセイユの恋」(97)では、セザール主演女優賞を受賞。その受賞スピーチで、「皆に支えられての受賞」と、謙虚そのもので、会場の人々を感心させたエピソードがある。
彼女は、カトリーヌ・ドヌーヴなどの美人系女優と対極に位置するが、今や押しも押されぬフランスの代表的女優と言える。
冒頭のシーンが秀逸である。港では、何やら作業衣の男たちの一群がおり、真ん中の男が名前を読み上げている。一見、組合の集会のようだが、段々と、リストラされる労働者の通達であることがわかる。仕事確保のため、組合が、身を削り、最小限のリストラに応じ、労組委員長(ジャン=ピエール・ダルッサン)が、該当者名を読み上げた。彼自身も、自らリストラを選び、失業する。夫の性格を良く知る妻(アスカリッド)は、その現実を当然の如く受け入れる。
その後、2人の結婚30周年のパーティが催される。以前から決まっていたこととはいえ、このように皆が集い楽しむパーティは絶対に外さないところが、陽気なマルセイユ人らしい。リストラされた社員、友人、家族が集まり、屋上でのバーベキュー、そして、プレゼントはアフリカ、キリマンジャロへの旅行券である。
失業後、夫は友人宅でカードゲームに興じ、無聊(ぶりょう)を慰めるが、ある日、その現場に2人組の強盗が押入り、金品、旅行券、記念の昔懐かしいコミック本を奪う。
事件後、コミック本を読んでいた子供をバスの中で見付け、それが真犯人発見へとつながる。犯人の1人は、主人公の同僚で、同じリストラ組の青年であることが判明する。勿論、労働運動一筋の主人公にとり、許せない行動であり、労働者仲間の連帯を壊す行為として激しく犯人の青年と口論する。しかし、犯人の青年が幼い2人の弟を抱えての借金生活をしていることを知り、次第に同情心が芽生える。
妻は、犯人の残された幼い弟たちの世話を焼き、旅行券を払い戻し、刑務所へ送られた兄に代り、その金を使おうと決心する。妻は当然のように面倒を見、子供を引き取ることを決意する。
辛いハナシだが、庶民の連帯感が良く出ている。
ゲディギアン監督は、若くして労働運動の活動家となり、現在に至っている。映画評論家の佐藤忠男氏は作品のプログラムに一文を寄せ、劇中の主人公夫妻はプロレタリア・ヒューマニズムを心で支える者であると、指摘している。慧眼である。現在のフランスでも共産党主導のCGTを除けば、労働運動は以前ほどの力がない。その事実を承知の上で、ゲディギアン監督は労働者の連帯を説いている。更に、マルセイユ人独特の明るさと、仲間意識が併せて描き込まれている。本作は、マルセイユの地でしか撮れない、地方映画なのだ。
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ゲディギアン監督
(c)AGAT Films & Cie, France 3 Cinema,2011
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彼は今年59歳、マルセイユ近郊の小さな港町エスタック生まれの生粋のマルセイユっ子である。エクサン=プロヴァンス大学(マルセイユから30キロのセザンヌの生誕の地としても知られる)在学中から映画に傾斜した。時を同じくして通ったマルセイユのコンセルヴァトワール(公立の音楽・演劇学校)で妻となるアリアンヌ・アスカリッドと知り合い、他に男優でマルセイユ生まれの幼友達ジェラール・メイラン、マルセイユ生まれではないが、85年以来、ほぼ全作に出演しているジャン=ピエール・ダルッサンの4人がゲディギアン組を作っている。本来脇役のダルッサンは、カウリスマキ監督の近作「ル・アーヴルの靴みがき」に出演し、引く手あまたの売れっ子振りである。このゲディギアン組には、もう1人、シナリオライターのジャン=ルイ・ミレジがほぼ常連として参加している。
マルセイユを舞台とする息の長い地方映画、恐らく、このゲディギアン組が毎回結集することで成り立っている。作品を通じて見られるのは、ロケセットの多用と、低予算と一目でわかる映画作りである。ここに、最低限の予算を5人組が支えている構図がうかがえる。小さなお仲間映画がメジャーへと昇格した好例である。だが、マルセイユ在が売りのゲディギアン監督は、ここ数年パリに本拠を移している。首都パリの方が製作資金が集め易いと、妻のアスカリッドは述べている。しかし、作品の舞台はいつもマルセイユである。
ゲディギアン監督は熱心な現役の政治活動家と想像できる。これは、彼の作品にみられる労働者階級、そして庶民的視点からの描き方から見れば容易に理解できる。しかも、彼を戦闘的な政治主義者とだけ見ることはできない。何故なら、彼の作品の持つ、人の絆、暖かい気持や人間性を見ればわかる。当然庶民の連帯といえる絆以上に、連帯をもたらす共同体意識が際立っている。そこをマルセイユの人情味豊かな土壌と太陽で磨き上げているのだ。ゲディギアン監督はマイナーなりに、自分の好きなテーマを自分の仲間と共に作り上げるタイプの映画人と定義できる。彼の名は、今やメジャーだが、これは彼が望んだことではなく、マイナーであり続ける気概を常に自覚している作家なのだ。
「キリマンジャロの雪」の見どころは、論理を越えたヒューマニティの世界の描き方にある。発想はヴィクトル・ユーゴの長篇詩「哀れな人々」から得ており、詩では貧しい漁師が、隣家の孤児2人を引取る、心打つ物語である。
この心優しき世界をマルセイユに置き換え、善意の人々の心のつながりを描いて見せており、この人と人の結びつきこそが本作の見どころであろう。カチッと人間性を写し取った作品である。
(文中敬称略)
6月9日(土)より岩波ホールにてロードショー
《了》
映像新聞2012年6月4日掲載号より
中川洋吉・映画評論家
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