このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



「第25回東京国際映画祭」(その1)
年々充実するコンペ部門
見えてきた選考の方向性

 第25回東京国際映画祭(以下TIFF)は10月20日から28日まで9日間、六本木をメイン会場として開催された。すっかり定着した本映画祭、作品の品揃えも充実し、年々興味深い存在となっている。知名度の高い監督作品を狙うのではなく、力のある作品選びを目指す方向性が確実に見えてきた。
世界の著名映画祭は、その年の旬の作品が集まり、他の映画祭はその後塵を拝せざるを得ない。最近の流行語で「何故、一番でなくてはいけないのですか」があるが、TIFFはこの流行語を地で行って貰いたい。


知名度より力のある作品

TIFF,今年のこの1本「ハンナ・アーレント」

「ハンナ・アーレント」

 今年のTIFFで一番光彩を放った作品、「ハンナ・アーレント」がコンペ部門で上映された。監督は、70年代のニュージャーマン・シネマの系譜に連なる世界的なドイツ女流監督で、数々の秀作を撮り上げたマグダレーテ・フォン・トロッタ監督である。当時のニュージャーマン・シネマは、1979年のカンヌ映画祭時に、「地獄の黙示録」でパルムドールを獲得したフランシス・フォード・コッポラ監督をして、「現在、一番勢いのある映画」と言わしめたくらい、才能が揃っていた。

 ハンナ・アーレント(1906〜1975)はドイツ生まれのユダヤ人で、ナチスの迫害をのがれ1933年にパリ、1940年に米国に亡命した政治哲学者である。彼女の代表的著書「全体主義の起源」(51)でナチの問題を通し、政治現象としての全体主義の分析と、その悪を人々が積極的に担った原因への考察を行った。次いで彼女は、ナチ最大の戦犯とされるアドルフ・アイヒマン裁判(61−62)を取材するために、雑誌「ニューヨーカー」誌特派員としてイスラエルに赴き、アイヒマン裁判の傍聴記録を同誌に連載。それが「エルサレムのアイヒマン−悪の陳腐さについての報告」(63)である。同論文において、国家悪という官僚政治の手段に利用されたアイヒマン像を提示した。この彼女の発言が擁アイヒマンと取られ、全世界のユダヤ人の反感を買い、一大バッシングの嵐が彼女の上に降りかかった。映画は、若き日の彼女のドイツ時代、そして、亡命先のアメリカと編年体で構成されている。フォン・トロッタ監督はアーレントを、ガチガチの研究者ではなく、真っ当な研究者、家庭人、そして、友人たちを大切にする人物と描き、人間性の厚味を描き出している。
ニューヨーカー誌に掲載された彼女の論文の趣旨を要約すると「極悪非道で数百万単位(500万人といわれる)のユダヤ人を強制収容所へ送り込んだ最高責任者アイヒマンの犯罪は否定できない。しかし、彼は既に高齢で、思考力を失った陳腐な悪であり、彼一人罰することで、ナチの犯罪全体を糾弾することにはならず、告発すべき対象は、当時、強制収容所に居て、ナチと取引をしたユダヤ人リーダーたちで、更に、ナチの犯罪を容認したドイツ国民の犯罪への加担こそ責められるべき」と主張している。これに対し、被害者たるユダヤ人社会は猛反発し、彼女へのバッシングに走った。
アーレントの主張は作品のラストシーン、大学の満員の学生で埋まる大講堂での講義で、堂々と展開される。大学当局は、彼女に辞任を迫るが、それを拒否し、自論を熱く、論理的に述べ、満場をうならせる。このラストシーンこそ映画「ハンナ・アーレント」のハイライトである。道徳的思考の絶対的必要性を説く、彼女の物事への本質に迫る発言を論破することは、恐らく不可能と思える。
これほどの重い問題を突きつけたフォン・トロッタ監督は筋金入りのドイツ映画界の大物監督であり、「カトリーナ・ブルームの失われた名誉」(75)(フォルカー・シュレンドルフと共同監督)、「鉛の時代」(80)、「ローザ・ルクセンブルグ」(86)などの代表作がある、一貫して、自立した女性像を描き続けた。主演女優のバルバラ・スコヴァは、既にフォン・トロッタ作品には「ローザ・ルクセンブルグ」などに主演した盟友的存在。今年のTIFFコンペ部門の女優賞と見たが。同監督は、70年代に吹き荒れたフェミニズムの洗礼を受け、それを映画で実践した。「カトリーナ・ブルーム…」では、新左翼の恋人との関係を執拗にスキャンダルネタとして迫る新聞記者を、主人公カトリーナが射殺する物語で、女性の名誉とは何であるかを問いかけている。ドイツにおけるフェミニズムを知る上でも必見の作品。「鉛の時代」は獄中死した新左翼の妹の死を姉が追うもの。「ローザ・ルクサンブルグ」は、19世紀末から第一次世界大戦まで活躍した女性革命家を扱い、主演のバルバラ・スコヴァは、この作品でカンヌ映画祭主演女優賞を獲得。



ピノチェット独裁に抗して−「NO」


「NO」

 1988年にチリのピノチェット大統領は、任期8年の延長を狙い国民投票を行った。1973年にアジェンデ左派政権から軍事クーデターで政権を奪取、その後、国内反体制勢力を武力弾圧で排除し、長期政権を打ち立てた。このクーデターはアメリカCIAの手助けがあり、当時から親米傀儡(かいらい)政権と見られていた。
アルゼンチンの独裁政権同様、チリも多くの知識人、体制反対派の人々が殺されたり、行方不明となり、国際的には独裁政権への風当たりが強かった。彼の政権下、3万7千人が投獄され拷問を受けた。死者は3200人以上とされ、国外へ百万人以上のチリ国民が出国している。ピノチェット自身は2006年に畳の上で大往生。この暗黒の時代を描く映画作品も何本か製作されている。「サンチャゴに雨が降る」(75)、「ミッシング」(82)、「戒厳令下チリ潜入記」(86)、「ぜんぶ、フィデルのせい」(06)など。
映画「NO」(パブロ・ラライン監督、チリ=アメリカ合作)は、ピノチェット大統領の任期8年延長に対する国民投票を描くもの。それが「YES」か「NO」の形となり、「NO」の陣営から見た戦いと勝利に焦点を絞り込んでいる。軍事独裁政権を倒すために、「NO」陣営は資本主義的な広告作戦を選びイメージにより自派の支持拡大を狙った。1人の若き広告マンが抜擢され、彼を中心に作戦が練られ、シンボルイメージが決められる。政権側は警察力、諜報機関を使い、あの手、この手の妨害作戦。その一部始終がドキュメンタリータッチで描かれる。「NO」側の陣営内の意見対立、政権寄りのTV界から好条件を餌とした転向の勧誘。尾行、嫌がらせと、見る者をハラハラさせ通しだ。最終的に「NO」陣営が勝利するが、余りに多くの犠牲者を出したピノチェット独裁に対し喜び切れない心の内が示される。
主演はスペインの若手スターで今や中堅となったガエル・ガルシア・ベルナル、常に張りつめた表情を崩さず、相手と対峙する役作りはバルバラ・スコヴァと並ぶ男優賞候補である。軍事独裁政権を許さない強い意志を感じさせる社会政治ドラマだ。


受賞一覧


東京サクラグランプリ 「もうひとりの息子」(ロレーヌ・レビ監督)(仏)
審査員特別賞 「未熟な犯罪者」(カン・イグァン監督)(韓)
監督賞 ロレーヌ・レビ(「もうひとりの息子」)
女優賞 ネスリハン・アタギュル(「天と地の間のどこか」)(トルコ・ドイツ)
男優賞 ソ・ヨンジュ(「未熟な犯罪者」)
芸術貢献賞 パンカジ・クマール(撮影監督)「テセウスの船」(インド)




(文中敬称略)


《つづく》


映像新聞2012年11月5日掲載号より

中川洋吉・映画評論家