「第25回東京国際映画祭」(その2)
最高賞の「もうひとりの息子」 政治問題に踏み込み不足
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10月28日の最終日に審査結果が発表され、第25回東京国際映画祭は閉幕した。コンペ部門はフランスの「もうひとりの息子」がさくらグランプリと監督賞を受賞し、韓国作品「未熟な犯罪者」が審査員特別賞と最優秀男優賞のダブル受賞となった。多くの作品にチャンスを与える意味で、ダブル受賞は避けた方が良いと筆者は考える。
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「もうひとりの息子」
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フランスからの出品作「もうひとりの息子」(ロレーヌ・レヴィ監督)はパレスチナ紛争を社会的背景としている。登場人物たちは、イスラエルの軍人一家とパレスチナの自動車整備工一家。この両家、壁を隔てての暮らし、イスラエルの強引な占領政策により、パレスチナ人は兵糧攻めの毎日を送らざるを得ない。片や、イスラエル住民は、快適な暮らしを享受し、その落差が際立つ。物語の発端は、徴兵検査でイスラエル人一家の息子ヨセフに、両親の実子でない事実が判明する。大いに慌てた家族は、その理由を知るために病院へ急行し、医師に経緯を問いただす。18年前ヨセフが生まれた時、両国は交戦中で、病院で赤ん坊の取り違いが起きたことを医師は伝える。立派な青年となった我が子が、パレスチナ人という事実にただ驚くイスラエル人一家。他方、パレスチナ人一家も、正に、青天のへきれきで、この事実に打ちのめされる。
物語の進行は、この先の両家の葛藤と新たな展開に絞り込まれる。両方の父親とも、頑として事実を認めない。それに対し、母親は、2人の青年の出会いに骨を折る。ヨセフもパレスチナ人一家の息子、ヤシンも、国の違いに拘泥せず、古くからの友人の様に接し、単身、国境検問所を通り、相手の家へ遊びに行き、親交を深める。その後、両家は、それぞれ内なるトゲを秘めながらも、一定の和平を保つ流れとなり、平和を希求する、善意の物語として収斂(しゅうれん)する。美しき隣人愛だ。ここには、ドクも対立も一時的に押し隠される。イスラエルの過酷なパレスチナ対策、それに対するアラブ人の根強い反発の蔓延と、綺麗ごとに済ませられぬ現実に対し、意図的に目を伏せる態度を取り続ける人々。ここに「もうひとりの息子」に対し、大きな不満が生じる。パレスチナ問題は政治そのものであり、そこに足を踏み込み、ドクを盛った方がドラマ展開は豊かになる筈だ。微温的なラスト、逃げの姿勢と思う。更なる脚本の締め上げが必要だ。
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「天と地の間のどこか」
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「天と地の間のどこか」(イェシム・ウスタオール監督、トルコ=ドイツ)は、ここ数年以来国際的に高く評価されるトルコ映画である。生活の現実感がきっちり描き出され、見ていて面白い。そこが魅力だ。
今作で最優秀女優賞を得た、物語の主人公は、トルコの片田舎のドライブインに勤め、日夜、同じ作業を黙々とこなす若い女性だ。きつい長時間労働、家と職場を往復するだけの単調な毎日。外の世界を感じさせるのは、客のドライバーだけだ。外の世界も知りたい主人公は、同僚の女性に連れられ、彼女の友人の結婚式に出席する。そこで内気な男と知り合い、互いに好意を持ち、関係を結ぶ。最初は燃えた2人だが、男は引き始め、残ったのは腹の赤ん坊だけとなる。家族に束縛され、若い娘の婚外交渉などもっての他のイスラム社会の中で、主人公は苦悩する。母親に相談出来ず、既に中絶時期を逃した彼女は、結局、流産する。
最終的には職場の若い男性が総てを承知で、彼女と結婚する。青年は彼女から妊娠を打明けられ、自暴自棄となり、傷害罪で刑務所入り。式は刑務所の内庭で執り行われる。最後はハッピーエンドだ。この作品ではイスラム社会の、女性の生き難さという切実な社会問題が提起されているが、作り手の社会的意識が希薄なのだ。折角の好素材がありながら、それを生かし切れないところが惜しい。脚本が甘い。
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「ニーナ」
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「ニーナ」(エリザ・フクサス監督、伊)は、若いローマ在の声楽教師ニーナが主人公。物語は、皆がヴァカンスに発った後の壮大なスペースを見せるローマが舞台。ショートカットの行動的な彼女、フェロモン零、しかし、素の輝きがある。彼女自身も、普通を嫌い何か特別なものへの憧れがある。
北京留学志望の彼女、ペットシッターのアルバイトで、暑いローマでひと夏を過ごす。口やかましいイタリア人の書道の先生、チェロ奏者の青年との出会いなどがさりげなく描かれる。物語のキーワードは、中国(書道)、夏のローマ、そして、音楽。何気ないひと夏が、等身大のタッチで描かれ、行き先の見えない青春の一コマが軽やかに、そして、鮮やかに切り取られている。総てがワンテンポずれ、独特の可笑しみが作品から醸し出される。スタイリッシュでさわやかな一作だ。
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「風水」
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中国からは「風水」(ワン・シン監督)が出品された。尖閣諸島をめぐる日中の対立により、アジアの風部門では香港作品「浮城」の出品自体があった矢先であり、コンペ部門出品の「風水」の取り下げが危惧された。しかし、上映は実施され、問題も起きなかった。今作のストーリー自体は大変面白い。ある労働者一家がやっとアパルトマンを手に入れ、一家は今までの不便な生活から抜けられ大喜び。特に、行動的な妻は引越しの先頭に立ち、色々と差配を始める。こんな妻の尻に敷かれている夫は離婚を申し入れるが、まるで相手にされない。ある時、夫の浮気が発覚、彼の投身自殺と、シングルマザーとなった主人公は市場の荷物担ぎで家計を支える。母を恨む幼い息子、厄介者扱いの義母が段々と家の中で実権を振るう。しかし、彼女はその苦難に屈せず、黙々と肉体労働に励む。女性の自我の強さが、家庭崩壊をもたらせたのは事実だが、90年代の経済成長の裏で苦闘を強いられる女性像が隠れたテーマと考えるなら、それが、かえってリアリティーと膨らみをドラマにもたらせている。中国映画の実力を見せた一作であり、出品辞退せず、本当に良かった。
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「未熟な犯罪者」
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韓国からの「未熟な犯罪者」(カン・イグァン監督)はパワーに溢れ、何かおかしみを感じさせる。物語自体は非常にシリアスだが、運びが良い。16歳の主人公は保護観察下にあり、祖父と2人の貧困生活。その彼、悪友の手引きで窃盗事件を起し、少年院送り。その間に祖父は亡くなり、退院の日に、今まで知らなかった若い母親が突然現れる。ぎこちない2人の新しい生活。息子の誕生について、母が17歳の時、ナンパされ生んだとあっけらかんと話す母親。父親は消え、生活力のない母は少年を祖父に預けたまま出奔。先の全く読めない2人だが、何事につけ楽天的な若い母の「何とかなる」的生き方に救われる。韓国の若手監督らしい、地に足が付いた、骨太で社会性に富む青春劇。見応え充分。
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「テセウスの船」
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インドからの「テセウスの船」(アーナンド・ガーンディー監督)は、物語構成に非凡な才能を感じさせる。最初バラバラな三話が、見る者を当惑させる。第一話は盲目のカメラウーマン、第二話を不殺生を説く修験僧、第三話は腎臓移植を受ける金持ちと、途中までは話の行く先が丸で見えない。ラストで、1人の臓器提供者に辿りつき、彼に関わった人々の生き方が透かし見える構成。人間の生と、責任感について語る哲学的内容。テセウスの船とは、ギリシャ神話で、修理を重ねる船に例えて、あるアイデンティティに対し、責任が取れるかの問い掛け。
構成の複雑さと、最終的帰結に見せる作り手の視点が冴える一作。この構成「21グラム」(03)(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督、米)を彷彿させる。
ほぼ全作品を見たが、レベル的には粒が揃っている。著名監督は「ハンナ・アーレント」のマルガレーテ・フォン・トロッタくらいであったが、それぞれの作品に個性があった。但し、最高賞の「もうひとりの息子」は、パレスチナ問題の核心を放置したままの終り方には合点が行かなかった。欧米人は、世界各地で浸透しているユダヤ的なものに甘いような気が以前からしていたが、今回も同じであった。
(文中敬称略)
《つづく》
映像新聞2012年11月12日掲載号より
中川洋吉・映画評論家
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