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「八月の鯨」が岩波ホールで再上映
映画史を飾る2大女優出演
人生の滋味が広がる名作

 名作「八月の鯨」が再上映される。岩波ホール創立45周年記念上映であり、ニュープリントで、しかも、当時の字幕がそのまま再登場する。今作1987年にカンヌ映画祭に出品され、翌88年に岩波ホールで上映、当時31週のロングランを記録したが、これは同ホールでは2番目の入りである。映画史に残る名作「八月の鯨」、今見ても新鮮さは失せない。


企画の意図

リリアン・ギッシュ 1987年カンヌ映画祭記者会見(c)八玉企画

 「八月の鯨」の企画の狙いは、往年のハリウッドの大女優起用にある。87年のカンヌ映画祭上映当時、主演のリリアン・ギッシュは91歳、ベティ・ディヴィスは79歳の高齢で、この配役には意表を衝かれる思いであった。映画史を飾る、この2大女優の存在なくして「八月の鯨」は語れない。










2大女優


「八月の鯨」(c) 1988 Alive Films, Inc. and Orion Pictures Corp.

 リリアン・ギッシュは無声映画最高の女優と謳われ、D・W・グリフィス監督の「イントレランス」(16)、「散り行く花」(19)の名作の主演で知られる。「八月の鯨」は105作目であり、トーキー時代以降も息長く活躍を続けた。彼女はタイプとして、純情可憐型であり、その特質はサイレントで良く生かされた。セクシーな女優が持てはやされたハリウッドでは、段々と脇に廻ったり、舞台出演が増えたりしたが、映画史に残る大女優との評価に揺らぎはなかった。1993年、97歳で他界。ゴシップもなく、独身を通した。
もう一人の主演がベティ・ディヴィスで、彼女はギッシュより12歳年下である。トーキー時代に活躍し、2度のアカデミー賞を得ている。彼女はギッシュとは対照的な性的魅力を誇り、若かりし頃はさぞや凄味のある美人と思わせる。


崖の一軒家


「八月の鯨」(c) 1988 Alive Films, Inc. and Orion Pictures Corp.

 ギッシュは妹、ディヴィスは盲目の姉が役どころ。毎夏、2人はメイン州の小島にある妹の別荘へやって来る。かつて、そこの入り江には8月になると鯨がやって来た。冒頭の、白い服を着た若い女性たちが「鯨が来た」と見に行くシーンは、彼女たちの遠い昔の姿であった。
妹は、目の不自由な姉を助け、きびきびと家事をこなす。姉は、一日中妹を呼び立て、イライラ気味の気難しい性格。妹は、高台の家から海が良く見えるようにと見晴らし窓を作ることを提案するが、姉はにべなく拒否。この窓の設置が、作品の伏線となる。












老婦人のささやかな日常生活描く


 作品構成上、姉妹2人だけではハナシが単調となる。そこで、他者を交ぜ込み、ふくらみを持たせている。出入りの大工は見晴らし窓の施工人。陽気な未亡人で、姉妹の茶飲み友達の女性、元ロシア貴族の老人と、単調な姉妹の毎日を少しばかり彩る。姉は、ロシア人に打ち解けようとはせず、彼を招いた夕食でも、心無い会話で傷つけてしまう。元貴族とはいえ、流浪の身で、他人(ひと)の家に転がり込む生活を送り、姉のきつい一言で退散する。礼儀正しく、会話も面白く、申し分ない紳士であり、妹は彼を善人と思い、姉はたかり屋と見ている。老姉妹以上に、この紳士には老いの影が色濃い。この老紳士をクラシックホラーでは聞こえたヴィンセント・プライスが演じ、彼は人生の悲哀をうまく醸し出している。その彼、「シザーハンズ」(90)(ティム・バートン監督)でもお馴染みである。






人間関係の再生


 客人の前での姉の辛辣な態度に、もう我慢の限界とばかり、妹は共同生活に終止符を打つことを決め姉に告げる。目の不自由な姉は強気を装いながらも、妹に頼らざるを得ない。そこで、伏線の見晴らし窓に賛成し、妥協をはかり、彼女たちの共同生活は元に戻る。
ラストは、崖の上から2人で海を見るところで終わるが、2人が目をやる大海原の青が極めて印象的だ。だが、8月の鯨は現れなかった。8月の鯨とは四季の移(うつ)ろいの象徴であり、人生そのものを重ね合わせている。




海の青


 登場人物が少なく、一杯のセットでも演じられる位、今作は演劇的である。恐らく舞台化も可能と思われ、映画公開以来、舞台化もされているかも知れない。しかし、演劇と今作との決定的違いは、作中の自然の取り込みである。もっと踏み込めば、海そのものが映画的なのだ。小島の崖の上の一軒家、家から外へ出れば大海原、その時々に代わる海の青、昼と夜の青の違い、この海により、作品自体の映画的要素が膨らむ。そして、海の色の変化を鮮やかにカメラは切り取っている。この描写も「八月の鯨」の見処(みどころ)だ。




監督、アンダーソン


 リンゼイ・アンダーソン監督(1923〜1994)は50〜60年代にトニー・リチャードソン、カレル・ライスと共に英国フリーシネマ運動のメンバーとして活躍。イギリス映画界のニューウェーブの旗手として脚光を浴びた。短篇を何本か製作した後「孤独の報酬」(63)で《怒れる若者》を代表する映画作家として注目を浴びる。60年代の若者の鬱積した心情、怒りを強烈に捉えた作家として高く評価された。「if もしも」(69)ではカンヌ映画祭のグランプリ(現在の呼称はパルムドール)を獲得する。鋭い問題意識を持つ監督であり、彼のフィルモグラフィの中で「八月の鯨」はタイプの異なる作風を打ち出している。




カンヌ映画祭での記者会見


 87年のカンヌ映画祭における「八月の鯨」の記者会見に出席する機会があった。監督のリンゼイ・アンダーソンは小柄な人物だが、精悍な印象を受けた。
この記者会見の目玉は、何と言っても、リリアン・ギッシュである。映画史の大女優の登場とあって、記者会見場では大勢のジャーナリストが彼女目当てに待ち構えた。現われたリリアン・ギッシュは大きな麦わら帽子を被り、サングラスは外していた。彼女は「壇上はとても眩しいが、皆様に失礼にあたるから、会見中はサングラスを外します」と気遣いを見せた。彼女を一目見ようと集まったジャーナリストから花束が贈られた。この会見場での花束贈呈は、35年に亘る筆者のカンヌ映画祭取材でも、この時限りであった。映画史の一コマに触れた満足感があったことを憶えている。
今作、岩波ホールで大ヒットしたが、欧米ではそれほどでもなかった。この大ヒットの報を受けてアンダーソン監督とリリアン・ギッシュから岩波ホールへ礼のレターが届いたそうだ。




新しい分野の確立


 「八月の鯨」は老婦人2人の、ささやかな日常生活を描く、地味な作品である。しかし、この大ヒットは、老人を主人公として、新しい分野が市民権を得たと言える。従来、老人を扱うジャンルは脇に位置し、決してトリ(真打の異称)を務めるものではなかった。今作以降、老人ジャンルが確立されたと言える。そして、この流れは邦画にも影響を及ぼしている。
「老い」の象徴が鯨であり、作品の鯨は、四季の移ろいであり、人生そのものと解釈できる。その移ろいは人生の年輪であり、生きることの哀歓でもある。人生の滋味が「八月の鯨」では一杯に拡がる、再見に値する作品だ。






(文中敬称略)


《了》


映像新聞2013年2月18日掲載号より

2013年2月16日より3月下旬まで岩波ホールで公開

中川洋吉・映画評論家