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自ら熱演「だいじょうぶ3組」 
乙武洋匡原作が映画化
差別の克服を健常者に促す

 大ベストセラー「五体不満足」で身障者差別に対し一石を投じた、乙武洋匡(おとたけ ひろただ)が自己の小学校教員体験を著した「だいじょうぶ3組」(講談社、2010・9)が映画化され、自ら、主演も務めた。原作自体、特異な素材であるが、作り手の意図が明確に示されている。
身障者であることを前面に押し出し、メディアに注目された乙武洋匡は早大政経学部を卒業してから既に10余年、現在は37歳である。文筆活動、スポーツキャスターを経て、彼は3年間小学校教員を務めた。その時の体験から、原作「だいじょうぶ3組」が生まれた。彼の担任クラスは5年3組、乙武が担任、補助教員が国分太一、彼らが28人の子供たちを教える。
乙武に対し、世間は、手足のない人間が一体どのようにして、日常生活を送るかに関心を寄せることは不自然なことではない。彼は、障害者への同情を、身をもって1人の人間として見る視点へと変えさせた稀有(けう)な人物である。
彼自身の持つ生来の明るさ、地頭の良さ、そして、何よりも驚嘆させられるのは、一個の人間として世間一般に自己を認知させる、ソフトだが強い信念である。


希望の実現

「だいじょうぶ3組」
(c)2013「だいじょうぶ3組」製作委員会

 映画「だいじょうぶ3組」の楽しさは、先生と子供がいかに心の深いつながりを獲得するかにある。手足のない先生、違和感を覚える幼い子供たち、撮影は決して順調ではなかった。
担任の先生は身障者、どのように教室内で振舞うか、子供は興味深々だ。乙武先生は、最初の授業で、もう一人の先生を伴って現れる。健常者(国分太一)の先生が、身障者の乙武先生をサポートする2人体制である。この2人組は親友同士と大変仲が良く、国分先生は、分をわきまえ、常に控え目に、友人のサポートに徹し、決して前には出ない。親友同士ならではのバランスの良さがある。乙武先生の担任振りは、実体験に基づいている。元々、彼には教員志望があり、その夢を、実生活でも、映画でも実現させた。画面で見るように、身障者が教壇に立つことは、補助教員を必要とし、2人分の人件費の出費もあり非常に難しい。この難局を乙武洋匡は、自身の持つマルチ・タレント性による知名度を生かし克服したと言える。





先生と子供たち


「だいじょうぶ3組」
(c)2013「だいじょうぶ3組」製作委員会

 手足が不自由なのではなく、手足のない人物に初めて接する子供たちにとり乙武先生は驚きである。監督の廣木隆一は、その驚きをより新鮮な形で伝えるために、本番で初めて彼らと先生の顔合わせを演出した。幼い少年少女たちが、どのように反応するかを狙ったものだ。彼らは乙武先生を見て驚き、教室内は一瞬シーンと静まり返る。当然の反応だ。先生の登場以外、子供たちにとってTOKIOの国分太一への関心もあったに違いない。名の売れたタレントが目の前に現れれば、これまた、事件であり、驚きでもある。
初顔合わせの後、出席取りで、乙武先生は既に子供たちの顔と名前を一致させ、皆を驚かせる。ここは、彼のめぐらせた深謀遠慮で、頭が良い。
単なる身障者に対する同情を抑え、一個人として健常者と同等に仕事をこなせることを印象付ける一コマだ。



ストーリーの伏線



 脚本は加藤正人(代表作「雪に願うこと」[06]、「孤高のメス」[10]など)で、話の展開の勘処(かんどころ)が抑えられている。冒頭、先生と子供たちとの初顔合わせの後、興味津々の彼らは、給食時に、先生がどのように食事をするかをじっと見つめる。そこで乙武先生の、巧みにスプーンを使い、食べ物を口に運ぶ必殺技に感心しきり。観客も全く同じで、先生のこの動作には驚かされる。見事の一語だ。
次に来るのが、教室内の紛失物騒ぎである。古典的な小学生の悪戯であるモノ隠しだ。当然のことながら誰も名乗り出ない。怪しそうな子供がクローズアップされるが、それ以上に進展しない。この事件は途中までストーリーを引張り、思わぬ方向で犯人が判明する。ストーリー進行上、この伏線が大きな役割を果たしている。
更に、この伏線は、5年3組の子供の中から、ご多聞にもれず不登校児童が出ることにつながる。乙武先生は、心配し、家庭訪問すると、娘の引きこもりで、母親は困惑の体。少女には心優しい自閉症の姉がいる。少女はこの姉を厄介な存在と思い悩み、さらに、乙武先生の出現により、身障者に対しどのように振舞うか、混乱する。その過程でやってしまった、クラスでの所持品隠しを彼女は告白する。
この先生との対話により、少女は平静さを取り戻すが、健常者の戸惑いが描かれ、ストーリー全体の芯となっている。上手い伏線設定だ。ここが両者の接近の第一歩。




校庭での授業


 乙武先生、春爛漫、桜の季節に、見事な校庭の桜のもとでの授業を企画するが、他のクラスが真似すると困るとの理由で実現せず仕舞い。この児童の個を伸ばそうとする行為が、同僚の教員や管理者の事なかれ主義により頓挫するあたりは、教育界の保守性、官僚主義の壁であり、彼を悩ます。


イベント


 運動会の前、休み時間に子供たちが校庭でサッカーに興じるシーン、そこへ、乙武先生が、自分もプレーしたいと加わろうとする。これには、子供たちが引いてしまう。
そして、運動会で先生は子供たちと賭けをし、負けたら坊主になると約束をする。この賭け、彼が負け、坊主頭に刈られるが、この辺りから両者の距離が一気に縮まり、最終的なヤマ場たる遠足へとなだれ込む。遠足は山と決まるが、子供たちは、車椅子の先生のことを思い、海辺へ行くことを学校に提案。結局、校長(余貴美子)の裁量で、海辺ではなく、山となるが、先生の参加が認められ、子供たちは山道を、力を合わせて車椅子を押す。しかし、自分のために、子供たちが一生懸命働いてくれたことに、乙武先生は心苦しさを覚え、山の中腹でお弁当となる。たとえ、頂上まで行かなくても、元気一杯楽しそうな子供たち、それを見守る乙武先生、国分先生も満足気だ。ここで両者の気持ちがはっきりとつながる。

人間の個の尊重を説く


 原作者であり、主演を務める乙武の役者振りが、実に良くはまっている。彼にとり映画初出演だが、自然体の芝居、期待以上の出来なのだ。彼の多芸多才振りがうかがえる。
乙武洋匡は五体不満足というハンディを逆手にとり、強い自立の意志を自らの行動で示している。
彼は、差別の克服を健常者に促し、人間の個の尊重を説いている。このことは取りも直さず教育の原点であり、その点が作品を熱と感動に溢れるものとしている。
彼の近況であるが、最近、東京都の教育委員に就任した。前任者の川淵三郎元Jリーグチェアマンのオリンピック招致委員会への転出の後釜人事だ。乙武先生、人生設計のフットワークも中々のものと踏んだ。




(文中敬称略)


《了》


映像新聞2,013年月25日掲載号より

3月23日(土)より全国公開




中川洋吉・映画評論家