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「ベルリン・アレクサンダー広場」
ファスビンダー監督の集大成的超大作
不穏な時代の独ベルリンが舞台

 「ニュー・ジャーマン・シネマ」の旗手の1人、ドイツ人監督ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー(1942~1982)の集大成的超大作「ベルリン・アレクサンダー広場」が3月16日から4月4日まで、渋谷・ユーロスペースで上映された。

「ニュー・ジャーマン・シネマ」

 日本におけるドイツ映画は、洋画の中ではマイナー的存在であり、年数本が封切上映されるにすぎない。従って認知度は低く、一部ファンや研究者の間に留まっているのが現状だ。 ドイツ映画は、フランス映画におけるヌーヴェル・ヴァーグ同様、映画史的には重要な役割を果した。本稿が採り上げるファスビンダー、ヴェルナー・ヘルツォーク(「フィッツカラルド」〈82〉)、フォルカー・シュレンドルフ(「ブリキの太鼓」〈79〉)、そして、ヴィム・ヴェンダース(「ベルリン、天使の詩」〈87〉)などの世界的監督を、彼らのエコール、「ニュー・ジャーマン・シネマ」から輩出した。
我が国では1950年末から始まるヌーヴェル・ヴァーグへの関心が非常に強く、その陰にドイツ映画の新潮流運動は隠れてしまい今日に至っている。同様なことは、50年代後半から60年代の英国・「怒れる若者」の「フリー・シネマ運動」も目立たない存在だ。


コッポラ監督の評価


 特に、「ニュー・ジャーマン・シネマ」、そして、ファスビンダー監督は「現代社会」としての西ドイツの構造を暴露する実験を試み、無視できぬ存在感を示した。第32回(1979年)カンヌ映画祭で、フランシス=フォード・コッポラ監督の「地獄の黙示録」が最高賞・パルムドールを獲得した。その彼の大ホールでの記者会見で、世界の映画情勢について問われ、「今、一番勢いがあるのはドイツ映画」と答えたが、既に、当時から、コッポラ監督がドイツ映画に注目していたことがわかる。この年のパルムドールは「地獄の黙示録」の単独受賞ではなく、実は、同時にドイツ(当時は西ドイツ)のフォルカー・シュレンドルフ監督の「ブリキの太鼓」が受賞しており、ドイツ映画の勢いを感じさせた。

ファスビンダー監督




ファスビンダー監督(左)
(c)2006 - Bavaria Media GmbH
LICENSED BY Global Screen GmbH 2012, ALL RIGHTS RESERVED
 タブーを恐れぬ映画作家
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督は36歳の若さで亡くなった。死因は麻薬のオーバードーズとされている。夭逝の彼だが、映画、演劇、テレビと多岐にわたり活躍し、短い生涯で、テレビ映画を含めて41本の映画作品を製作した。彼はタブーを恐れぬ映画作家で、抑圧と疎外をテーマとし、具体的には、反ナチ、同性愛、差別などの問題を扱った。筆者は78年のカンヌ映画祭で出品作「デスペア−光明の旅」の記者会見でファスビンダー自身を目にしている。その時の印象は、非常に挑発的で、怒っているような非友好的態度であった。帽子は被ったまま、ポロシャツは伝線しているといった様子であった。同じ日の夜に、市内で、もう一度彼の姿を見る機会があったが、どうも一杯呑んだような感じであった。自身で意図的に扱い難い人物を演じているように見えた。


主人公の設定



「ベルリン・アレクサンダー広場」
バルバラ・スコバ
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 「ベルリン・アレクサンダー広場」の原作はワイマール時代(ナチス台頭前のドイツの政治体制)の都市小説、アルフレート・デーブリンの手になる大河小説である。この原作にファスビンダーは惚れ込み、1980年秋に、14話から成るテレビ映画として製作した。
冒頭、女性撲殺の罪で服役した1人の男が出所するシーンから始まる。彼は、やや太目で鈍そうなごく普通の中年男だ。
物語は、このどこにでも居そうな、風采の上がらぬ男を中心に繰り広げられる。この何でもない男を主人公に設定したところに、ファスビンダー監督の狙いが透けて見える。
最初の数話は、主人公の性格づけに費やされる。この説明箇所はかなり長い。この導入部にドラマ進行上、重きを置いていることがわかる。


時代背景



「ベルリン・アレクサンダー広場」
ハンナ・シグラ
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 「ベルリン・アレクサンダー広場」について語る上で、時代背景を把握する必要がある。
アルフレート・デーブリンの同名の原作小説は、1929年に発表された。その時期はナチスが政権を掌握する直前であり、20年代末の恐慌の影がドイツを覆い、2つの世界大戦に挟まれた不穏な時代であり、第一次世界大戦の痛手からドイツは未だ回復できず社会は不安定であった。当時のベルリンは失業者の増加、犯罪の横行、ナチスの台頭に伴う左右の対立問題が顕著であり、一方、ベルリンでは爛熟した文化が花開いていた。多くの人間が色々な思惑をもって動いていた。このベルリンでファスビンダー監督は、往時のベルリンの再現にはこだわらず、酒場やアパルトマンなどの空間を、人間たちの暮らしの場、逃げの場とし、その中でうごめく人々を動かす手法をとった。
刑務所帰りの主人公は、その時代の色に染まらず、一歩距離を置く傍観者的立場であった。この彼を通して、当時のベルリンを写し取ろうとするのが作り手の意図である。


娯楽小説のノリ


 14話、15時間の大作は、最初こそ入り難かったが、物語が進むに従い、俄かに面白さが増した。それは、次に何が出て来るのかと期待させる、読切大衆娯楽小説のようだ。


盛り込まれた毒


 原作の娯楽的風味もさることながら、ファスビンダー監督の毒のある演出が作品のハイライトだ。同作に見られるように、彼の演出スタイルの一つに、ストレートな表現の多用があり、暴力、性描写、キリスト教への揶揄などの描き方が批判された。例えば、撲殺シーンでは、単なる殺しではなく、なぶり殺しを延々と見せる。ここに、彼自身の怒り、鬱積した感情が読み取れる。見る側よりも、自身を強いタッチで押し出す表現法であり、挑発的なのだ。このパワフルな毒が作品に力(りき)をもたらせ、異形の感はあるが、これこそファスビンダー的世界である。


良識への挑戦


 人間の内なる狂気を描く
ファスビンダー監督は、既成道徳・良識への挑戦をいとわない。例えば、女グセの悪い友人から女性を押しつけられ、彼のために、主人公は現在のパートナーを追い出すクダリは、一般通念とは相容れぬものだが、彼はシレッとやってのける。ここで、彼が描こうとする毒は、時代がもたらす、人間の内なる狂気であろう。その過程で、普通の中年男である主人公は人間性を失うのだ。


今回の公開


 30余年前の作品が何故、今日上映されるのであろうか。一つは、クラシック名画として、日本でビデオ発売されることである。また、ファスビンダー財団のデジタル・リマスター版製作が、巨大長篇の再上映を後押しした。
最後に、ファスビンダー監督の同志的存在であるハンナ・シグラ(「マリア・ブラウンの結婚」〈78〉)、そして、ドイツ映画界の大物女優バルバラ・スコバ(「ハンナ・アーレント」〈12〉)の若き日の輝きも見ドコロだ。





(文中敬称略)


《了》


映像新聞2013年4月15日掲載号より





中川洋吉・映画評論家