痛快コメディー「天使の分け前」
ケン・ローチ監督作品公開
カンヌで審査員賞を獲得
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2012年の「カンヌ映画祭」で評判だったケン・ローチ監督の快作、コメディ「天使の分け前」(12)が封切られる。社会派作品の公開が難しい日本において、ケン・ローチ作品は初期のものを除き殆どが公開されている。また、彼の作品なら配給を買って出る会社もあり、我が国ではケン・ローチ監督の評価は高い。
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「天使の分け前」
(c)Sixteen Films, Why Not Productions, Wild Bunch, Les
Films du Fleuve,
Urania Pictures, France 2 Cin?ma, British Film Institute
MMXII
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社会的、政治的メッセージを正面からぶつける彼だが、彼のフィルモグラフィを眺めれば、それ以外にコメディもある。近作、「エリックを探して」(09)は、郵便局員たちが、こん棒片手にマフィア宅に乗り込み、日頃のうっぷんを晴らす、激痛快コメディであり、今作「天使の分け前」のタイトルとは、ウィスキーが樽の中で熟成される間に年2%ほど蒸発して失われる分のことである。これからもわかるように「天使の分け前」の影の主役はウィスキーである。そして、舞台は、ウィスキーの本場スコットランドのグラスゴー、周辺には大小数々の蒸留蔵が点在する。主人公は、グラスゴー在住の失業青年たち、彼らが人生の大逆転を賭けた大博打が物語の骨子である。
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ケン・ローチ監督(左)
(c)Sixteen Films, Why Not Productions, Wild Bunch, Les
Films du Fleuve,
Urania Pictures, France 2 Cin?ma, British Film Institute
MMXII
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仕事もなく、街中を日がなブラブラする失業青年、うち女子1人、が物語の主役。冴えなく、覇気に乏しい彼らは社会最下層に属し、世間も彼らをクズ扱い。冒頭のシーン、風采の上がらぬ失業青年が、酒瓶片手に千鳥足で駅のホームでふらつき、進入してくる電車に危うくはねられそうになるところは彼らの境遇を象徴している。
次なるシーンは裁判所、彼らの内うちの1人が暴力沙汰で300時間の社会奉仕活動を命ぜられる。暴力的環境で育ち、敵対するグループからもつけ狙われる青年ロビー、渋々判決を受け入れる。ここから物語の本筋が始まる。
ロビーは社会奉仕活動の現場で、彼らの父親代わりとなる指導者ハリー、そして、同じ境遇の3人の若者たちと会い、以後、行動を共にする。この仲間たちは、ジャージ姿のいかにも落ちこぼれ然とし、そこが実に感じなのだ。彼らは殆ど素人俳優で、柄に合った人物を起用するケン・ローチ監督の狙いが込められている。
ケン・ローチ作品にしばしば登場する役柄の一つに、すべてを呑み込む男気のある人物がいる。この街のチンピラの奉仕活動を見守るリーダーはワーキングクラス内の重しであり、世代間のバランスを取る重要な役割を果たす。ロビーは若くして妻子を得るが、けんかに明け暮れ、まともな仕事に就けない。そして、社会奉仕活動では土工や公園の草むしりを気乗り薄にやる。面倒見の良いハリーは、宿無しのロビーを自宅に寄宿させ、子供の誕生を知ると、取って置きのウィスキーを開け祝う、父親のような存在だ。グラスゴーから一歩も出たことがない4人の青年たちを、日帰りで近郊のウィスキー蒸留蔵へと連れ出す。これが、若者たちへのウィスキー指南の第一歩となる。若者たちは俄然ウィスキーに興味を覚え、その深さにハマる。
青年たちは貧しい階層出身で、自分に自信が持てず、時に投げやりで、時に暴力的な毎日だ。そんな彼らがウィスキーと出会い、テイスティングに、打ち込むものを見出す。彼らは仲間の一室で、テイスティングを始める。そこで、驚くほどエゲツないギャグが展開される。テイスティングでは、口に含んだウィスキーをマグカップに吐き捨てるが、仲間の1人、ただ食って寝るだけの酔っ払いのデブ男が、寝呆けて、マグカップに手を伸ばしゴクゴク呑み始める。仲間たちは、最初、唖然とし、次いで、吐き気を催す。この強烈さは、ブラックユーモアの極致だ。このエゲツなさ、ケン・ローチ監督の手綱を緩めぬ強引さで見る者を笑いの淵にたたき落とす力がある。
若くして子の父となるロビーは、4人組の中では一番利発で、自分の将来についても真面目に考え、現在の、先の見えぬ生活から抜け出るべき方策に知恵をめぐらす。そこで思いついたのが、蒸留蔵の樽入りの最高級ウィスキーの、「天使の分け前」分を頂くことである。彼らは、本場のキルト姿で蒸留蔵のある地方に乗り込む。そして、人目につかぬように蔵内に忍び込み、何ともクラシックな手口だが、持ち込んだホースで樽のウィスキー4本分を吸い取る。作業は首尾よく運び、4人で大騒ぎをするが、誤って2本を割ってしまう。これで、彼らの大逆転の夢は終わりかと思わす事態を招くが、残りの2本のうち1本をロビーが仲買人に話をつけ、高額で売ることに成功。このユーモアもエゲツない。人生浮上のカギを握るウィスキー瓶を割り、一度向きかけた運を、一挙に台無しにするハラハラ感、正に、天国から地獄への悪夢であり、上げたり下げたりの毒をローチ監督は盛り付ける。一方、残りの1本はロビーからハリーへプレゼントされる。この男気、何とも洒落ている。何とか不測の事故を乗り越え、得た金で青年たちはそれぞれの道を歩み始める。
ワーキングクラスを描く、ケン・ローチ監督ほどブレない映画作家は珍しい。いわゆる庶民の生き難さ、貧困、彼らの足許を脅かす体制、法、そして、庶民の持つ明るさが、ケン・ローチ監督の描くところである。「麦の穂をゆらす風」(06)では独立運動の活動家たち、「ブラック・アジャンダ/隠れた真相」(90)では英国諜報機関に翻弄される人々と、これらの主人公たちは「天使の分け前」の庶民に置き換えられる。このように、彼は、自己の拠って立つ位置が極めて明快である。彼は依拠する社会階層に軸足を置き、その主張は自信に満ち、曖昧さがない。他の監督に見られる、判断を見る者に委ねるコスさが彼の作品には見られない。そして、その庶民の怒り、痛みを突き破る行動が彼の作品には見られる。いわゆる「窮鼠(きゅうそ)猫を噛む」の精神で、追い詰められた者の反撃の権利が堂々と主張される。「天使の分け前」の貧しい失業青年たちのウィスキーの盗み、「エリックを探して」(09)のマフィア成敗、「レイニング・ストーズ」(91)の強欲な借金取りを事故死させた主人公が牧師に告白するが、「あんな男は死んで当然」と言い放つ牧師の過激発言。驚くべき、アナーキーな言動や行動であるが、ケン・ローチ監督は追い詰められた人間は、暴力が時に許されることもありと主張する。
今作はコメディで、ケン・ローチ監督は肩の力が抜け、良い味が醸し出されている。それが先述のマグカップの話であり、ラスト近くの警官の男子3人に対するキルトの中身の点検(キルトは中に下着をつけないのが正式と言われている)といったエゲツないギャグがあり、監督自身、大いに楽しんでいる様子が想像できる。ここには既成概念からの意図的な逸脱があり、そこが痛快なのだ。
「天使の分け前」は、ワーキングクラスの連帯感が底流として貫かれ、失業青年たちの体制に穴をあける反権力精神をもって、人生の大逆転を実現する青春コメディである。そこに群を抜く面白さがあり、今作は彼の作品の中で最大のヒットを記録し、昨年のカンヌ映画祭では審査員賞を獲得している。
(文中敬称略)
《了》
2013年4月13日(土)より、銀座テアトルシネマにて閉館ラスト上映としてロードショー、その後順次全国公開
映像新聞2013年4月8日掲載号より
中川洋吉・映画評論家
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