このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



「フランス映画祭2013」 
「わたしのロランス」新人監督の秀作
目を見張る鋭い映画感性

団長を務めるナタリー・バイ
(c)UniFrance Films

 恒例の「フランス映画祭2013」は6月21日から24日まで4日間、有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ日劇で開催された。第1回の横浜開催から数え、今年で21回目迎えるフランス映画祭は根強い人気を誇り、多くのフランス映画ファン、そして、ビジネス関係者が詰めかけた。

 今年度の上映作品は全体で13本、そのうちの1本はアニメ、もう1本はクラシック作品であった。11本の劇映画のうち、8本が既に日本での配給決定済みであった。従って、大半の作品は近々、我が国で見られる。




壮絶な愛の物語

「わたしはロランス」

 カナダの新人監督、グザヴィエ・ドランの「わたしはロランス」は、昨年2012年のカンヌ映画祭「ある視点」部門出品作であり、主演女優賞を獲得している。弱冠23歳のドラン監督は、単に若いだけではなく、鋭い映画感性に目を見張るものがある。
冒頭から、これはただの作品ではない予感が走る。街中で、人々が何かを見詰めている。しかし、何であるかはわからない。人間を固定したまま話させる、動きのなさによるギクシャク感、相手が反応しない、タイミングのずれから、また可笑しみも生まれる。洒落た狙いであり、監督の演出センスが光る。更に、仏語圏カナダのゆったりした生活リズムも心地良い。
一組のカップル、ロランスは高校の先生、その彼らが共に暮した10年間の記録である。何の変哲もない若い、今どきのカップルの愛と葛藤が描かれる。
ある日、ロランスが突然爆弾宣言をする。彼は今後、女として生きることを選び、パートナー、フレッドを動転させる。そして、彼は女装で登校するが、周囲は否定的な反応を示し、時には激しい悪意が、この若いカップルに向けられる。女装の彼は、人々の好奇の目にさらされ、2人で、レストランでの食事中、ウェイトレスから心無い質問を浴びせられ、彼女の方が怒り心頭に達し、彼を擁護し大反論を展開する。ウェイトレスの質問攻めは、普通の人々が抱く、極く一般的なものでありながら、神経をとがらすフレッドにとり、ひどくトゲがあり、過剰反応する。ここで、彼女の心の中の戸惑いが一気に表面に露出するが、その激しい言葉に、人間として、女性願望の彼を支えようと努力する思いが溢れ出す。本当は彼女が発したかった質問に、自分自身が答えざるを得ない状況、作品のハイライトである。若い監督のものを見る目の確かさに唸らされる。その後、ロランスは、周囲の中傷や反発を避け、ゲイのグループの許に身を寄せる。そこの人々は、やはり、心なきゲイに対する中傷の被害者たちなのだ。
最後は、主人公ロランスとフレッドは、どのようにして今後、2人の関係を続けるかで大議論となる。女性のフレッドは、愛するロランスが女であることは受け入れ難く、男としてのロランスが自分には必要であると訴える。
一見、コメディタッチと思われる出だしであるが、徐々に彼らを取り巻く周囲、社会状況、そして、2人の在り方へと視点が移る。10年に亘る壮絶な愛の記録であり、演出手法と並び、人としての在り方を問い、そこには苦さ、強烈さが満ちている。秀作だ。





論理展開の妙


「イン・ザ・ハウス」
(c) 2012 Mandarin Cin?ma - Mars Films - France 2 Cin?ma - Foz

 本年度カンヌ映画祭のコンペ部門に、フランソワ・オゾン監督の「ヤング・アンド・ビューティフル」が出品された。思春期の少女の揺れ動く感情を描き、同系統のテーマを持つ、アブデラティフ・キシシュ監督の「アデルの人生」と比べ、内容が浅く、落胆させられた。この彼の前作「イン・ザ・ハウス」が本映画祭のオープニング作品として上映された。
オゾン監督は、日本では、ヌーヴェル・ヴァーグの後跡者と見られ、オタクの間では人気が高い。また、新世代に属する監督としての才能も有り、力量は高く評価されている。意欲的な作家性に富む作品の傍ら、商業作品もソツなくこなし、難解さが売りの若手監督とは一線を画す、客を呼べる監督である。
本作は、彼らしい才気がストレートに出ており、その点で評価できる。
原作はスペインの戯曲で、これが滅法面白い。話は、リセが舞台で、主人公は国語の教師(ファブリス・ルッキーニ)と彼の生徒、クロードである。
作家志望の夢破れ、今は国語教師に、芸達者なルッキーニが扮する。彼は、我が国でいえば、槁爪功や中村梅雀に例えられる、フランス人好みの上手い役者だ。この彼、生徒の作文の添削にウンザリの毎日だが、ある日、才能溢れる文章と出会う。生徒のクロードが、クラスメートの家庭を描写したもので、その筆致の達者さと見る目の皮肉さに注目し、彼に文章作法を手ほどきする。見る見るうちにクロードの才能は開花し、彼の描く家庭の様子が露わになる。その家庭に興味津々の教師は、もっと中に入り込み、もっともっと書けと生徒をあおる。文章指導の域を超え、生徒の描く現実に教師の方がのめり込む。この2人の心理戦、そして、綱引きならぬ互いのせめぎ合い、スリル満点のゲームを楽しんでいるようだ。「海を見る」(97)で見られる、若い人が抱く他人への悪意、本作でも重要なモチーフとなっている。論理の展開の妙とはこのような作品のことを言うのだ。知的満足度の高い一作だ。



老いの現実



「母の身終い」
(c) TS Productions - Arte France Cinema - F comme Films - 2012
 誰にでも起こる老いと死を静かに見つめた作品が「母の身終い」(ステフェヌ・ブリゼ監督)である。主人公は母と息子である。息子はトラックの運転手であるが、麻薬運びで服役し、出所後、母の許に身を寄せるが、几帳面な母と上手く行かない。服役者で失業状態が続く息子は、生活が段々とすさんでいく。ある時、母が不治のガンで、スイスの安楽死施設を申し込んでいることを知る。この時点で、初めて母と息子は真剣に向き合うようになる。地味ながら、人生の厳しい一端をキチンと描いている。口うるさくも毅然とした母親、エレーヌ・ヴァンサンと息子役のヴァンサン・ランドン、共に好演だ。




アヌーク・エメの美貌


「ローラ」
(c) 2012 CinTamaris-Fondation Groupama Gan-Fondation Technicolor

 クラシック作品には1961年製作、ジャック・ドゥミ監督のデジタル修復版「ローラ」が上映された。本作、ヌーヴェル・ヴァーグ周辺組のドゥミ監督の第1作。フランス北西部の港町、ナントを舞台とする複層的恋の物語。地元の青年、アメリカ兵、そして、主人公で7年前に去った恋人を子供と共に待つ、旅回りの踊り子ローラ(アヌーク・エメ、「男と女」[66])の織りなす恋模様。魅力あふれる港町ナント、気の良い美人に扮するアヌーク・エメの若さと美貌、とにかく、楽しく仕上がっている。


その他の作品


 2012年カンヌ映画祭クロージング作品である「テレーズ・デスケルウ」(クロード・ミレール監督、2012年没)は骨格のしっかりした作品。フランス文学、フランソワ・モーリアックの同名小説の映画化であり、文学作品の映画化の見本ともいえる。
ポリシエでは「黒いスーツを着た男」(カトリーヌ・コルシニ監督)は、主演のラファエル・ペルソナーズのアラン・ドロンの再来振りに注目。ラヴコメディの「恋のときめき乱気流」、元カレ、元カノが飛行機で隣り合わせになり、丁々発止のやり取りで楽しませる1作。気の利いた洒落たセンスが見モノ。

配給作品多く物足りなさも


 前述のように、本年度は既に配給が付いた作品を中心にプログラムが編成された。費用面でのメリットは大きいが、これでは、主催者、ユニフランスの、何を見せたいのか、何を売り込みたいのか、顔が見えてこない。女性路線中心の日本の配給会社のビジネス方針とは異なる、今、フランスで受けている作品群をもっと見たいところだ。
この数年、フランス映画祭はパンフレットを作成していない。資料のためにも、これは再開して欲しい。





(文中敬称略)


《了》


映像新聞2013年7月8日掲載号より



中川洋吉・映画評論家