「第26回東京国際映画祭(1)」
コンペ部門 傑出したアジア作品
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「第26回東京国際映画祭」(TIFF)は、10月17日より25日までTOHOシネマズ 六本木ヒルズで開催された。今年も不況の影響で、予算は一時期の10億円の半額5億円であった。しかし、元々が5億円で出発したTIFFであり、少ない額なりに成果はあげた。
光るアジア作品の力(りき) 韓国映画のパワーに圧倒される |
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「レッド・ファミリー」
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世界各国からの参加があり、コンペに15作品が選考された。全体を見れば、アジア作品の力(りき)が抜きんでていたのが今年の特徴と言える。今回のベストとして「レッド・ファミリー」、「オルドス警察日記」そして、「ある理髪師の物語」を挙げる。特に観客賞を得た「レッド・ファミリー」のもつ、韓国映画のパワーに圧倒される思いであった。
新進イ・ジュヒョン監督の「レッド・ファミリー」、今や韓国を代表する国際的監督、キム・ギドクがプロデューサーと脚本を担当している。キム・ギドクのネームヴァリューに惹かれる観客は多いが、今作は、それ以上にストーリーそのものにインパクトがある。
舞台はソウルと覚しき、韓国のある都市、登場人物は、対照的な2組のファミリー。一組は折り目正しい北朝鮮工作員ファミリー、他方は言い争いが絶えない韓国人ファミリー。この2組、隣人同士で、言い争いの絶えない夫婦が笑いを取る。北朝鮮ファミリーは祖国からの指令で、脱北者たちの暗殺の任務を担っている。偶然に秘密を見られた工作員たちに、上部から隣家のファミリーへの暗殺命令が下る。作品の底流として、南北統一の理念が据えられ、家族の絆が大きなテーマとなっている。冷酷な南北対立の下で生きる工作員にとり、言い争いの絶えない、もう一つのファミリーこそ、人間的な生き方をする本当の家族の絆を持つのではないかとの問い掛けが投げかけられる。そして、この絆こそ、時にイデオロギーを超えるものと捉えられている。命令と絆の間で苦悩する工作員たち、ここに南北統一の困難さが透けて見える。ここに、統一を自分たちの問題とする強い意識が前面に押し出され、社会的存在として、人々は政治を抜きに生きられない現実がきちんと描かれている。「レッド・ファミリー」は今映画祭の収穫だ。
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「オルドス警察日記」
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「レッド・ファミリー」と並ぶ収穫は中国のニン・イン監督(「北京好日」(02)でTIFFヤングシネマ東京ゴールド賞受賞)の「オルドス警察日記」だ。内モンゴルの地方都市オルドス市の人々に愛され、若くして逝った警察官の物語である。見る前は、官製の美談ではなかろうかと一寸疑っていたが、杞憂に終った。辺境の地、内モンゴルをバックに、そこに生きた正義感が強く、他人のために働き続けた彼の人生が、縁(ゆかり)の人々の証言により構成され、エピソードの一つ一つに密度がある。
事績の描き出しにより、現代中国の社会的問題、汚職、賄賂、労働者に対する搾取問題などが提起されている。更に、興味深いのは、社会性だけでなく、主人公の警官の生き方に、ニン・イン監督の情の世界が垣間見える。このため、ストーリーとしての画一性が排され、人間性が強く浮彫りにされている。中国映画に見られる普遍的なテーマの展開に説得力がある。
フィリピンの「ある理髪師の物語」は、1965年以来、反共主義で独裁政治を敷いたマルコス政権下での、片田舎が舞台となっている。
主人公の女性は理髪師の夫の死去後、家業を継ぐ、ごく普通の女性。保守的な田舎で、彼女の価値基準も周りと同じだ。そんな女性が、自分が名付け親となった青年が、反マルコス運動の活動家になったことで、徐々に、自ら生きる環境に疑問を持ち始め、変わって行く様を描いている。社会で生きることは、政治という空気の中で存在することであり、自覚的にならざるを得ない面は否定できない。つまり、状況と向き合い生きることが否応なく求められ、その点を今作は述べている。アジアの監督には、状況を自身の問題として取り込む積極的な姿勢があり、今作も例外でなく、時には踏み込んで生きねばならぬことを教える力(りき)のある一作だ。
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「ウィ・アー・ザ・ベスト」
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最高賞の東京サクラグランプリは、スウェーデン作品「ウィ・アー・ザ・ベスト」に決まった。アジア作品の秀作が揃っていただけに、審査結果は一寸意外な印象を受けた。
話は面白い。3人のパンク女子中学生、その内2人はコテコテのパンクスタイル、男の子と見違うほどだ。この3人組が、楽器もないのにバンドを結成したり、1人の子の頭を虎刈りにし、母親から警察に訴えられそうになったりと、ネタは揃っている。しかし、ストーリー全体につながりが悪く、弾みがない。この点が不満だ。
最優秀監督賞は、アイスランド作品「馬々と人間たち」のベネディクト・エルリングソン監督が受賞した。小さな火山島、アイスランドの木1本生えぬ荒涼とした原野に生きる人々の暮らしと、寄り添う馬々を描くもの。同島の荒々しく、寒々とした自然の存在感は圧倒的で影の主役と呼ぶに相応しい。人間の方は、演劇的芝居で、自然との噛み合わせがスムーズでないところが気になる。馬々の表情のアップを多用し、人間に使われ、用済みとあれば殺される動物の悲しみが強調され、何とも心痛い。厳しい自然の中の人馬の営みが淡々と描かれる透明感を持つシンプルさが見どころ。
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「ルールを曲げろ」
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イランから出品の「ルールを曲げろ」は、イランの現実の文化状況を伝えている。過去にもバフマン・ゴバディ監督の「ペルシャ猫は誰も知らない」(09)やジャファル・パナヒ監督の「これは映画ではない」(11)に見られる、表現の自由を制限する壁に翻弄される人々を描く作品があったが、今作も、若い劇団の海外公演を巡る、保守的な父と、海外へ行きたい娘を通しての一般の人々の意識の乖離をテーマとして取上げ、2人の対立を軸とし、イラン国内の文化的状況が語られている。今作のユニークなところは、表現の自由に制限を加えるのが、ゴバディ作品やパナヒ作品のように政府ではなく、家長と家族の対立に視点を向けているところにある。イスラム社会では、家長が絶対的権力者で、家族は彼の支配下にあることが、当然視されている。いわゆる、庶民レベルでも、この家父長制度に対する異議申し立てが成されているところに「ルールを曲げる」の価値がある。
ベフナム・ベフサディ監督は、イラン新世代監督の一翼を担う期待の新進であり、イラン映画界の層の厚さを改めて感じさせる。
フランス・メキシコ合作の「エンプティ・アワーズ」は、メキシコ人若手、アーロン・フェルナンデス監督による、メキシコの保養地ベラクルスを舞台とした、少年と若い魅力的女性との短い交遊を描く作品だ。少年は、季節外れの閑散とした海岸沿いのモーテルの管理を叔父の入院中任される。ホテルといっても、いわゆる連れ込み宿で、少年は客に無関心であることを言い渡される。
その中、いつも、男に待たされる、魅力的な浅黒い肌の若い女性と言葉を交し、徐々に仲を深める。淡々と流れる時、ゆったりした2人の接近、女性の旅立ちと、短い交遊は終わる。ここでは少年が大人になる過程がはっきりと見られ、淡々とした流れの中に人生の一端が込められている。人物造型の描き方で見せる、興味深い作品だ。
(文中敬称略)
《つづく》
映像新聞2013年11月4日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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