このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



「FIPA 2014」報告@
欧州最大の国際テレビ映像祭
注目の秀作ドキュメンタリー

 27回目を迎えた「国際テレビ映像フェスティヴァル」(略称FIPA−フィパ)は、1月21日(火)から26日(日)まで、フランス南西部、スペイン国境に近い、風光明媚な高級リゾート地、ビアリッツ市で開催された。ヨーロッパ一の質と規模を誇る同映画祭、今年もヨーロッパを中心に多くのテレビ映像がフィパ金賞へ向け覇を競った。

温暖なリゾート地として知られるビアリッツだが、今回は雨続き、時として強風を伴う嵐が吹き抜ける毎日であった。最近はフランス全体に気候の異常が見られ、気候は確実に変わってきている。どうも、この異常、フランスだけのものとは思えない。
フィパの創設者のピエール=アンリ・ドゥロ総代表が引退して数年たち、同映像祭も少しずつ変わり始めている。本選は、今までのドラマ、シリーズもの、ドキュメンタリー、ルポルタージュに加え、今年からスマート・フィパ(スマートフォン映像)が加わり、コンペ部門は各部門から10本内外の作品が本選へのノミネート作品として選考された。準本選部門の「フィパテル」は今年から廃止され、作品の上映の場としてライブラリーが創設された。しかし、今までの100台のモニターは今年から30台と大幅に減った。これらは、ネット映像時代への対応と思われる。


ドキュメンタリー作品を中心に

 フィパで一番応募数が多いのは、ルポルタージュ、ドキュメンタリー2部門を含めたドキュメンタリーである。日本からの出品も、この2部門が圧倒的に多く、日本のテレビ局の応募のほとんどがこの部門に集中している。今年、日本から選ばれた作品は、音楽・スペクタクル部門にNHKからのドキュメンタリー「涙の書」であった。

ルポルタージュ部門フィパ金賞

「コンゴ、ビジネスのケース」

 同部門の金賞は、オランダ作品「コンゴ・ビジネスのケース」であった。わかりやすい図式で描かれた作品であり、主人公の白人青年のキャラクターが面白い。彼はコンゴ在住のFAO(国連食糧農業機関)の職員であったが、お役所仕事に嫌気がさし辞職し、起業家へと転身する。コンゴは巨大な穀倉地帯となりうる可能性があると彼は読み、そのために、その日暮しの農民たちの経済観を変えることが必要と考えた。農民は主食であるタピオカ(その原料がマニオク)を生産し、彼はそれを買い集め粒状にして付加価値を付け売りさばくというかたちで、市場経済の原理を農民たちへ吹き込んだ。「お前らはマニオクを掘り出し、俺がそれを売りさばく」との論理である。自給自足経済の中で生きてきた農民には現金収入をもたらし、青年も富を手に入れる。しかし、この起業、順風満帆のように見えたが、彼は一言も残さず、突然帰国する。伝統的な農民固有の生活を壊し、新たに始めた自由経済がはたして農民を潤したかの疑問が残った。帰国後の青年はその疑問に答える形でコンゴ・ビジネスを振り返る。非常にシンプルな形での問題提起であり、インパクトはある。

 

ヒズボラの現在


「背教者」

 多様な視点で迫る中東問題
ヒズボラについて描いた「背教者」は見どころのある作品だ。ヒズボラとはレバノンを拠点とするイスラム教シーア派の反イスラエル組織であり、イランの資金援助を受けているとされている。この組織、シリア内戦では、イランと共にアサド政権支持に廻り、ほかの、特に反アサド政府を支持するパレスチナのハマスとは同じ反イスラエル組織でありながら対立する、複雑な関係にある。
レバノン国内で圧倒的な力を誇るヒズボラに13歳で徴兵された実在の人物、ラミ・オライックに焦点を当てている。少年兵として同組織の一員となった彼は、組織内で出世し、幹部となるが、組織の方針に違和感を覚え、アメリカの大学へ留学し、組織を抜ける。これがタイトルの「背教者」の意である。留学後、再び故国レバノンに戻るが、「背教者」故に、命の危険にさらされるが、その間に本作品の元となった著作を発表し話題となる。レバノンの支配層の一翼を担う権力に対峙した彼の作品は、大きな話題を呼んだ。その彼の主張は、過去との和解と未来への準備である。時の支配者に抗う発言であるが、パレスチナ−イスラエル問題を考えるうえで、貴重な問題提起だ。作品は、中東問題に強い関心を抱く2人のフランス人ジャーナリストの共同監督となっている。そのメッセージは、武力以外の問題解決の提言と受け取れる。武力に頼るイスラエルの高圧的態度を越えた発想が、反イスラエル側からも模索されている様子が理解できる。


イスラエルの力の論理



 「殺しのライセンス」は、2011年に起きたイスラエル軍による誤認殺人を巡る物語だ。この殺人に対し、力に頼るイスラエル軍関係者からの証言で物語は構成されている。イスラエル側は誤認は認めつつ、止むを得ない行為と反省の色はない。この強弁が、タイトルの「殺しのライセンス」である。彼らは、戦時であり、殺しの権利は常に保有すると主張する。しかし、この力の論理、出生率でアラブ諸国に、10年、20年後に追い抜かれることは明らかであり、はたして、イスラエルがこの論理をいつまで保持できるのか、疑問が湧く。視点の突込みの良い作品だ。監督のエグモント・R・コッホはフィパ・ドキュメンタリー部門の常連作家であり、ドイツのドキュメンタリー界では知られた存在。

母娘の半世紀に亘る葛藤



「昔、母は」
 壮絶な歴史追う作品
ドキュメンタリー部門の見るべき作品として、オーストラリア作品「昔、母は」があげられる。戦前、戦後に亘る母娘のフィクションのような実話。物語の主人公は50代に達した女性のドキュメンタリー作家と、今や記憶が定かではない、老いた母の2人。娘は7歳の時、豪州のアデレードの孤児院に預けられ、母に見放された娘は、ずっと母を恨む。50代に入って、母を探すことに踏ん切りがつき、再会を果たす。母はポーランド人で、第2次世界大戦中に、ポーランドを併合したソ連によりシベリアの強制収容所に送られる。戦後、想像を絶する2人の長旅が始まる。幼い子を抱えた母は、ソ連を離れ、イランのパース、アフリカのローデシア、そして、豪州のアデレードに辿り着く。子連れの母は、仕事に就くため、幼い娘を泣く泣く孤児院に預け、2人は半世紀後にやっと巡り会う。母娘は故郷のポーランドに旅し、過去の記憶を確かめようとする。この旅で心のわだかまりが徐々に溶け、彼女たちにやっと平穏な日常が戻る。なぜ、自分の子供を捨てねばならなかったかの調査から、母の足跡がわかり、戦争に翻弄された2人の運命が明らかになり、壮絶な歴史体験が淡々と述べられる。そこには、映像の持つ強さが遺憾なく発揮されている。今回のフィパ・ドキュメンタリー部門の傑作である。


 



(文中敬称略)

《続く》






中川洋吉・映画評論家