「夢は牛のお医者さん」
テレビ新潟のドキュメンタリーが映画
素直に伝わる夢に向かう思い |
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一地方テレビ局のドキュメンタリー番組「夢は牛のお医者さん」が映画化され、公開の運びとなった。地方局のテレビ・ドキュメンタリーの放映回数は2、3回であり、一度見逃せばいくら地元の番組でも2度と見る機会はない。そのような番組が映画化され、地域以外の広範囲で見られることは、映像視聴の新しい可能性として期待される。
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「夢は牛のお医者さん」
子牛を抱く少女(小学生時代)
(c)TeNY
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思う一念の素晴らしさを実感させる作品が「夢は牛のお医者さん」である。元がテレビ・ドキュメンタリーの本作は、テレビ番組としては異例の映画化である。
企画の発端は今から27年前の1987年(昭和62年)まで遡る。場所は新潟県松代(まつだい)町莇平(あざみひら)地区、日本でも有数の豪雪地帯である。同地の山間(やまあい)の生徒数9人の小学校が舞台。その小学校に3頭の牛が入学した。9人だけの生徒では寂しすぎると、先生の配慮で子牛3頭が送り込まれた。子供たちは、牛たちの世話をすることにより、人と動物の交流が始まる。このニュースが地元テレビ新潟の報道記者の目に留まり、ローカルニュースとして採り上げられた。子供たちは牛と仲間のように接し、育てるが、卒業の時には、泣く泣く手放すことになる。それならばと、最後に牛の卒業式が執り行われ、人と動物の泣きの別れとなる。この、牛に寄り添う子供たちをテレビ新潟が追い、番組が成立。その後、木造校舎の小学校は廃校が決まり、番組は、一応廃校までで打ち切り。数年間、お休みの状態が続いた。
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「夢は牛のお医者さん」
牛舎での主人公
(c)TeNY
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ある時、番組ディレクター時田美昭が、牛の世話をしていた当時の卒業生、高橋知美へ電話連絡をしたのが撮影再開のきっかけとなった。彼女は、牛のお医者さんになる夢を持ち続け、電話をした時は、故郷を離れ、下宿をしながら、高校で猛勉強中であることがわかり、改めて密着取材を始める。実は、彼女は、高校入学当時は学年でビリに近く、卒業時は、猛勉強の甲斐があり、学年のトップ15に入るほどになった。このエピソード、聖徳太子を「セイトクタコ」と呼んだ女子高生が慶大に現役入学したエピソードを綴った、最近話題の「学年ビリのギャルが一年で偏差値を40上げて慶応大学に現役合格した話」(角川書店)を思わす痛快な話である。
高校時代3年間テレビを封印し、猛勉強に励んだ甲斐があり、国立岩手大学農学部獣医学科に合格した姿は、夢の実現へと一歩近づく。卒業し、国家試験に通り、獣医師としての出発、故郷、上越市の家畜診療所に就職。30歳の時に結婚し、2児をもうけるが、仕事は以前同様続ける。絵に描いたようなガンバリ人生である。幼時の夢を実現し、仕事を淡々とこなす彼女には何の気負いもない。
主人公の故郷、松代町は2004年に中越地震で大被害を被った地域である。孤立した農家の牛がヘリコプターで救出されるテレビ映像で知られる山古志村にボランティアとして参加した。
彼女の日常は、上越市内や近隣地区の牛農家への往診が主である。往診先の農家では、牛舎に入り、牛のお尻に直接腕を入れ、妊娠を確認する。農家はその彼女の仕事振りを信頼し、彼女自身も使命感に燃えている。しかも、農家の人たちは、昔からの知り合いである。そのうちの1人は、卒業後にクラスの牛を引き取った農家であった。年長者に対し、医者然とせず、実に丁寧に接しているあたり、彼女の人柄を感じさせる。
1人の少女が大人になり、獣医師となる過程を本作で描いている。その出発は地方テレビ番組であった。それが系列のキー局NTVのNNNドキュメント03」(2003)で全国放映され、大きな反響を呼んだ。たくさんの視聴者の声が寄せられ、一躍、全国的にこの話は伝えられた。しかし、彼女に密着取材することは、夢のスタートラインに立つことで、制作者は、その夢をさらに追うことを決意するに至る。テレビ新潟のディレクター、時田美昭にとり、もっともっと撮りたい対象であったに違いない。
映画化の企画が検討される頃、東日本大震災が起き、新潟県にも多くの人々が東北から避難してきた。その時に、この新潟のテレビ局が手掛けた、牛と少女の話を、被災地、そして、全国の人々に見て貰いたいとの思いが、制作者サイドに出始めた。キー局NTVの「ドキュメント'03'」で全国放映されが、それは一回限りの放映であった。そこで登場したのが、テレビ番組を映画化する構想である。自社制作番組のノウハウがない地方局にとり、リスクが多過ぎ、企画の実現は難航した。社内の意思統一ができたのは、同じく、地方局の自社制作番組の映画化で何とか採算が取れるとの話に触れた後であった。その番組とは、松山市の南海放送がビキニ環礁水爆実験の被爆をテーマとした「放射線を浴びたX年後」(12)であった。
テレビ番組は、消えものと呼ばれる一過性のものであり、再見は極めて難しいのが現状である。それを克服する一助となるのが映画化である。良質な番組を観客に届けるために、今後、テレビ局が本格的に映画化に取り組むことが望まれる。
「夢は牛のお医者さん」は、市井の少女の夢とその実現の物語である。取り立てて、金箔付の偉人伝でもなく、スポーツ番組に多く見られる誇張と感動コミコミの美談でもない。ひた向きな少女の思いが素直に伝わるところに、人は引き込まれる。大好きな牛さん、その実現の過程、学年で超低空飛行の少女の頑張りと国立大学入学、獣医師資格の取得と、1地方少女のひた向きさに打たれる。ドキュメンタリーの王道である感動と事実の伝達がきっちり盛り込まれている。それは、主人公、高橋知美からの「とにかく最善を尽し、納得の行く人生を送ろう」という、生きる希望のメッセージなのだ。
新潟の1少女が頑張りましただけでは絵にならない。そこで、仲介役の登場が必要となる。それがテレビ新潟の制作スタッフであり、彼らの足かけ27年に及ぶ熱意を形にしたのが本作である。
映画化への過程について述べたが、一過性のテレビ番組が多くの人々に残せる道筋がつけられた。これが映画化の副産物であり、貴重な試みである。
「夢は牛のお医者さん」の主人公、高橋知美の命あるものへの変わらぬ愛情が、見る側の心に確実に届いている。本作は1人の少女の成長の記録であり、見る人々の胸にすんなり溶け込む心地良さがある。
(文中敬称略)
《了》
2014年3月29日(土)より「ポレポレ東中野」で公開中。
新潟でも同時公開中、「新潟シネ・ウインド」、「十日町シネマパラダイス」、「高田世界館」にて。
他全国順次。
映像新聞2014年4月7日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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