「ドライブイン蒲生」
名カメラマンが75歳で初メガホン
芥川賞作家の原作を映画化
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日本を代表する撮影監督たむらまさき(田村正毅)の初監督作品が「ドライブイン蒲生」である。後期老齢者が颯爽とメガホン取る、ベテラン撮影監督の監督第一作である。しかも、素材は芥川賞を始め数々の賞を得た中堅作家、伊藤たかみ(43歳)の同名の原作小説である。2人の作家のもたらす世代差と感性の差が、どのような化学反応をおこすかが見どころである。
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黒川芽以(右)と染谷将太
(C)2014伊藤たかみ/キングレコード株式会社 |
ある一家の冴えない物語をつづり、家族の再生を狙った作品である。作者、伊藤たかみは、恐らく、何の変哲もない田舎町を想定している。
舞台は、街道筋のガレージのだだっ広い一軒家のドライブインだが、今はすっかり寂れ、客足が途絶えている。
店には客は居ず、ヤンキーの娘(黒川芽以)、姉を慕う弟(染谷将太)。
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永瀬正敏(右)と染井将太 (C)2014伊藤たかみ/キングレコード株式会社 |
彼らの父は、若き性格俳優として相米慎二監督の「ションベン・ライダー」(83)、山田洋二監督の「息子」(90)などで若手トップスターの地位を獲得した永瀬正敏、最近では小林聖太郎監督の「毎日かあさん」(11)で実力の片鱗を見せた。今回は以前の彼とは思えぬ太めの違う男振りを見せ、その存在感には特別な凄味がある。今回は主役でなく、友情出演として脇に廻っているが。主演の若い2人も、永瀬正敏の域に達するまでには長い年月が掛かるであろう。もし、彼らが今後とも役者稼業を続けるのであれば。
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ドライブイン内部
(C)2014伊藤たかみ/キングレコード株式会社 |
一家の舞台は客もまばらなドライブイン、店の壁には「お酒」「焼酎」「ビール」「カレーライス」とパッとしないメニューばかり、客足が遠のく理由が良くわかる。店内の隅には女幼児(ヤンキーの娘)が絵本で遊び、センターのテーブルにはヤンキー風の姉と弟の高校生、母、そして、父が厨房におり、家族以外、誰もいない。お先真っ暗な状況の中に、互いの不平をぶつけ生きている。しかし、誰1人としてその場から遠くへ行こうとはしない。現代のぬるま湯なのだ。姉はDVの夫から逃れ、一時帰宅だが、決着をつけるために娘を連れ、夫の家へと乗り込む。女性の方が行動的なのだ。
このたらたらした親子関係、三度の飯が食えるから可能であり、これが、食糧難の、戦後昭和20年代の上野ガード下の浮浪児の生活であれば、起こり得ない現象である。格差社会といいながら、貧しい若者や女性を置き去りにしたお国の発展の一方で、たらたらと生活が出来、それが、普通のことと受け取られるところが、原作者伊藤かずみの描く世界である。
ここには、明らかに、若い世代の現実感が流布されている。他人とは、密に関係を持たず、自分たちは、自分流に生きるのに何が悪いとする開き直りである。これも現代の潮流である。底辺の人々や、年配世代からすれば、釈然としない生き方だが、このような生き方、若い世代にとり居心地が良いことは確かである。
彼は岩波映画製作所で、ドキュメンタリーの大物カメラマン鈴木達夫の助手として就き、その後、社会的ドキュメンタリー・カメラマンの第一人者として、小川伸介監督の「三里塚シリーズ」で、彼の評判を不動のものとした。しかし、ここで、満足しないのが同監督真骨頂で、新人監督、黒木和雄、藤田敏八、柳町光男の劇作品でパン棒を担当、カメラマンの職域を広げた。彼の組んだ監督たちは、スタジオ育ちでない一匹狼たちで、崔洋一、石井聰互、伊丹十三、高橋伴明と、その後の日本映画を代表する俊英たちであった。その後、新しい世代として青山真二、黒沢清、河瀬直美の長篇デビュー作「萌えの朱雀」の面々の映像を手懸けた。河瀬作品ではカンヌ映画祭カメラドール(新人監督賞)(97)を獲得したが、今までの八ミリ映画育ちの河瀬は、カメラに関しては、たむら監督におんぶにだっこ状態の撮影実話がある。
たむら監督のフィルモグラフィーを見ると、メジャーと一線を画す有望新人、後の大物監督との付き合いが広く、彼自身の作家的興味が多岐に渉っていることが理解できる。この幅広い個人的体験が、75歳にして、カメラから前へ出て演出に手を染めたのであろうと思える。ただし、以前から、監督業の野望を暖めていたことも容易に想像できる。
「ドライブイン蒲生」は、たむら監督の両世代への目配りと、己の体験と若手監督との交友と彼らへの理解の具現化といえる。「何かへ向って生きる」、「世の中を良くしたい」と、生きた世代の人間にとり、新世代は「何でなの」、「ちゃんちゃらおかしい」と反応するであろう。その理由付けと若い世代の生き方にも理解が及ぶ彼は、カメラマン時代のレンズの奥から見極めたのであろう。若い世代の行動と考え方には、自発的な連帯感と個の尊重が明らかにあり、それが行動と結びついている。その点に一番着眼したのであろう。旧世代も以前から連帯感はあったが、それは縦関係のものではなかったろうか。そこが、たむら監督の狙いなのだ。
たむら監督の「ドライブイン蒲生」は、異次元を瞬間接着剤で強引に貼り付ける作業ではない。共通できる範囲の気持ちを、あえて言うならば、かなり辛抱強く結びつけたフシがある。極端な例を持ち出せが、結びつくはずのない水と油を、錬金術風に、監督の感性という鼻の油でくっつけて見せる手品であり、これは誰でもできる芸ではなく、一代芸、一瞬芸なのだ。その芸が上手く融合しているところに作品の良さがある。
(文中敬称略)
《了》
8月2日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか 全国順次
映像新聞2014年7月28日号より転載
中川洋吉・映画評論家
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