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「リスボンに誘われて」
偶然の旅が男の人生を変える
1冊の本が結ぶ過去と現在く

 ビレ・アウグスト監督の最新作「リスボンに誘われて」が公開される。カンヌ映画祭最高賞パルムドールを2度受賞した同監督の演出手腕もさることながら、ジェレミー・アイアンズを始めとする円熟した俳優陣の厚みに唸らされる。
人間、一度は総てを捨て、旅に出たくなる誘惑に駆られるとする思いが本作に流れている。


旅の発端

「リスボンに誘われて」
(主演のジェレミー・アイアンズ)

  スイスのベルン市が最初の舞台となる。主人公は研究一筋の学究型人間であり、初老の高校の古典文献学の先生ライムント(ジェレミー・アイアンズ)である。その彼、学校への出勤の途中、雨中の橋から身を投げようとする赤いコートの若い女性を救い、とりあえず、自分の教室へ連れて行き、彼は授業を始める。この女性の正体がラストで判明するが、運命の糸をほぐすような物語展開が実に巧い。突然、女性は教室を出て行く。慌てたライムントは後を追うが、姿を見失う。たまたま手にした彼女の赤いコートのポケットに文庫版大の本が入っており、その中から一枚の鉄道切符が落ちる。行先はリスボン。駅に駆けつけるが彼女の姿はない。彼は何も考えずに、引き込まれるようにリスボン行列車に乗り込む。車中、女性の残した本を読み始め、その虜となる。この出だしが、物語の、そして、旅の出発点となる。また、どんよりと暗いベルンと陽光燦々のリスボンとの明るさの対比が、この偶然の旅を引き立てる。


現在と過去の旅

美しい中年の女医マリアナを演じた
マルティナ・ゲデック(左)

 ライムントは、「言葉の金細工師」と銘打たれる本に魅入られる。「我々は今、ここに生きる。以前、別の場で起きたことは過去であり、忘れ去られる」の一節を目にし、作者への強い関心が湧き上がる。早速、著者を訪れるためリスボン市内を彷徨する。彼の住所を訪ねると、妹(シャーロット・ランプリング)が喪服で応対、兄について色々語る。本業は医師で、上流階級に属していたこと、本は彼女が兄のノートから数多くの文章を引用し100部印刷されたことを知るのであった。しかし、本の著者であるアマデウ(ジャック・ヒューストン)には会えず仕舞いであった。運の良いことに、立ち去り際に、老家政婦が、彼の墓地へ行くことを、そっと勧める。そして、墓地での故人との対面となる。墓碑には「独裁制が事実なら、抵抗する権利がある」と刻まれている。


原題は「リスボンへの夜行列車」

リスボンの夜景

 原作者のパスカル・メルシエはスイス出身、ベルリン自由大学で哲学の教鞭をとった人物。定年後は、作家活動に専念する。1944年生まれで今年71歳。原作は2004年ドイツで出版され、200万部の売上げを記録し大ベストセラーとなる。世界31か国で翻訳出版され、全世界累計販売部数は400万部を超える。我が国では早川書房から「リスボンへの夜行列車」として刊行されている。

カーネーション革命

 物語はライムントの突然のリスボン行を契機とし、未知の書物「言葉の金細工師」を手掛かりに、アマデウへの関心が頭をもたげ、彼の関係者を訪ね歩き、アマデウの半生をひも解く構成である。若い日のアマデウと彼の仲間たちの激しく、哀しい青春譚でもある。時代は1974年4月で、ポルトガルは独裁者サラザール政権を無血革命で倒した、カーネーション革命と呼ばれる歴史的事件が背景となっている。
単調な学究的生活ですっかり覇気が失せた、ライムントが、アマデウの周辺の若者たちの生き方を見詰めるうちに、退屈な自分自身の内に生気の蘇りを覚える。

昔の同志

 独裁政権下のポルトガル社会に生きるアマデウと彼の仲間は、政権転覆のために地下活動に従事する。仲間の1人は、秘密警察PIDEの拷問により指の骨を折られる。その拷問者は後に、民衆の怒りによるリンチで瀕死の重傷を負うが、アマデウが医者として彼の治療に当たり、敵たるPIDEを助けたと仲間や周囲から非難される。更に、グループの仲間の一女性エステファニア(メラニー・ロラン)は無類の暗記力で、地下運動者リストを次々と覚え、証拠書類を隠滅する。
地下活動の会合で、アマデウとエステファニアは一目で恋に落ちるが、問題は、彼女が、アマデウの親友で同志でもあるジョルジュの彼女であり、恋の三角関係が生じる。しかも、特殊能力を持つエステファニアはPIDEに狙われ、2人は、国境を越えスペインへ逃げる。しかし、国境でポルトガル警察の検問にひっかかり、危ういところを、アマデウは咄嗟に、PIDEのチーフで、仲間の指を折る拷問をし、リンチ後、アマデウが命を救った男に電話をし、有無を言わせず検問をくぐり抜けるくだりは、スリル満点だ。リスボン市内でのライムントの調査で、過去のポルトガル革命に生きた若者像が再発掘される。彼自身の物語と、彼が探し当てたアマデウの「言葉の金細工師」の世界は二重構造になっている。100部しか印刷されなかった小さな著作が、ポルトガル革命下の大きな青春像を引き出している。

大人の恋

 ライムントは、リスボンで、自転車に当て逃げされる。メガネを壊された彼は眼医者に行き、美しい中年の女医マリアナ(マルティナ・ゲデック)の診察を受ける。この女医の叔父がアマデウの地下活動の仲間であり、彼女の紹介により、面会し、詳細を聞き、ラストへと物語は流れ込む。
アマデウの調査が終り、ライムントはベルンへ、マリアナが駅で見送る。このシーンが実に洒落ている。握手もハグもなく、無言の2人、そして、女性が「残ったら」と一言発する。生きる元気を得た彼に対し、その元気をリスボンに残したらの意で、いづれ、彼が戻ることを暗示している。2人の、ロングで逆光の凝った光線設計の画面、大人の恋を見せてくれる。名場面だ。

赤いコートの女性

 ラスト前に、ライムントは、彼の前から姿を消した女性と再会する。彼女はPIDEの拷問者の孫娘であることが判明、また、別れた恋人エステファニアへのライムントの訪問で明かされるその後の事実、ミステリーの締めの醍醐味がある。
− 厚みのある円熟した俳優陣
主人公ライムントのインテリジェンスを感じされる風貌、兄の死を認めない妹アドリアーナ(年老いた役)の冷静さと芯の熱さ、老いた恋敵を演じるかつての地下活動の仲間にブルーノ・ガンツ、神父にはドラキュラ役で有名だが、手堅い脇役としても知られるクリストファー・リーの、ドラキュラのイメージを覆す役作り、ライムントが心を通わす女医のマルティナ・ゲゲックの美と聡明さを併せ持つ柄など、皆、決して若くはないが、実に綺麗に年を重ね、見る者を贅沢な気分にさせる。しかも、メインの俳優たちが英独仏と、アメリカ映画とは異なる雰囲気が醸し出されている。

 

オーソドックスな演出

 ビレ・アウグスト監督は「ペレ」(87)、「愛の風景」(92)で、前述のように、カンヌ映画祭パルムドールを獲得した監督(日本の2度の受賞者は今村昌平監督)である。彼の演出はクラシック仕様で、派手ではなく、奇をてらわない、直球勝負の作風である。普遍性や実在性へのこだわりを持ち続ける監督の1人である。
終映後も、そのままじっと座って、余韻に浸りたくなるような作品が「リスボンに誘われて」である。時代の違う2つの世界で起きる、青春と旅のもつ、良さと苦さがない交ぜされ描かれる。作品のもたらす感銘は、原作の力によるところが大であるが、脚本構成の巧みさにも負っている。
作品は、人は誰もが青春と旅による覚醒が存在することを教えてくれる。恐らく、本年度ベスト3に入る作品であろう。




(文中敬称略)

《了》


9月13日よりBunkamuraル・シネマにて公開

映像新聞2014年9月8日掲載号より転載

 




中川洋吉・映画評論家