本格スパイ映画「誰よりも狙われた男」
際立つ主演ホフマンの存在感 |
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本格的なスパイ映画「誰よりも狙われた男」(アントン・コービン監督)が公開される。46歳の若さで逝ったアメリカ人俳優、フィリップ・シーモア・ホフマン(以下ホフマン)の遺作であることで話題となった作品である。
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フィリップ・シーモア・ホフマン
(c)A Most Wanted Man Limited / Amusement Park Film GmbH
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自然体で人間味を滲ませる演技
大変良く出来たスパイものであり、何よりも主演のホフマンの存在感が際立つ。
最近のアメリカ映画でトップクラスの演技力を持つ男優の1人と評価され、「カポーティ」(05)ではアカデミー主演男優賞を獲得している。この1作で彼の演技力に対する評価が確立した。
ホフマン自身、ずんぐりし、小太りの、美男子系とは程遠い容姿の持主である。その彼は、その容姿を生かし、名声を博した。美男子系俳優は、概して、芸域が狭く、年齢に見合った芝居が出来ない。しかし、彼は、自身の柄を充分に生かし、名優の域に達した。この容貌の不細工さが、多様で幅広い人物像を作り上げたのだ。美男・美女が選び抜かれる米国映画界にとり、彼は自身の弱点を逆手にとったのである。もし、存命であれば、益々、彼の演技の幅は広がり、自然体で人間性そのものを表現出来る俳優としての域に達したことは想像にかたくない。
「カポーティ」の彼は奇矯で、握手をすれば、汗ばんだ、ふわっとした柔かい手で握り返すような、不快感を感じさせる。この様な気持ちの悪い柄が演じられるのは、美丈夫な俳優では先ず無理であろう。彼が演じれば、どのような人物像となるか、見る側としては楽しみな存在である。夭逝した彼の直接の死因は薬物の過剰接取とされているが、他人と異なる個性を自覚的に演じてきた彼らしい逝き方ともいえる。
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レイチェル・マクアダムス(右)
(c)A Most Wanted Man Limited / Amusement Park Film GmbH
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原作は、元々英国の諜報機関出身のジョン・ル・カレの手になる2008年刊行の小説であり、タイトルと同じ「誰よりも狙われた男」(08)である。
彼は、ドイツのボンの駐英大使館書記官、そして、ハンブルグ領事を勤め、舞台となるハンブルグに精通している。その彼が、体験を基に書き上げたのが本作である。スパイ小説家としては既に「寒い国から帰ったスパイ」(映画化〈05〉)、「ナイロビの蜂」(映画化〈05〉)があり、広く知られている。
スパイ活動とは、95%の公的資料の検討調査、5%の秘密行為から成るとされており、原作者ル・カレは、その5%の枠の世界を描いている。原作が映画、小説化されれば、実際よりも誇張され、面白く、おかしくなるのは当然で、人を引き付ける要素を意図的に盛り込まねば,ハナシとして弾まない。本作でも、かなり誇張された部分はあるが、ここが原作者の描くスパイものの醍醐味であろう。
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ウィレム・デフォー
(c)A Most Wanted Man Limited / Amusement Park Film GmbH
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アメリカ映画は基本的に敵を作り上げ、善玉と悪玉の戦いを見せる勧善懲悪の傾向がある。古くは西部劇のインディアンの存在が白人の敵であり、戦後はその役割をナチスが担い、その後の冷戦下ではソ連のコミュニストであり、現代は専ら、イスラム国家のテロリストがアメリカを脅かす悪玉として登場し、彼らは、白人やアメリカ国民の存在を脅かす絶対的悪として採り上げられている。まるで、悪玉の存在なしでは、アメリカ映画は成立しない一面がある。
冒頭は、ハンブルグの夜景である。ブルートーンの映像が実に美しい。作家になる前の原作者ル・カレが西独駐在領事として赴任した地である。本作の時代設定は2001年9・11の10年後であり、ドイツを舞台にスパイ合戦が繰り広げられる。現在、ヨーロッパで一番興味深い都市はスペインのバルセロナとドイツのベルリンとされており、そのベルリンを舞台とするあたり、感性の良さを感じさせる。ベルリンでは9・11のテロリストが潜伏し、作戦を練った場とされている。
物語の展開の仕方は、定石通りである。ある諜報機関がテロリスト追うが、別の組織も入り込み、内部の争いとなり、物語を複層化している。ちょうど、テレビの警察ものと同様、内部の争いで、勝ち組、負け組とがしのぎを削る手法である。
主人公はホフマン扮する諜報機関のリーダーであり、彼は練達のスパイである。ホフマンに対抗する組織が憲法擁護庁(OPC)であり、同国人同士が同じテロリストを奪い合う構図となる。物語の発端は、チェチェン過激派のテロリストの青年、彼はロシアから逃れ、ドイツに潜入し、ある人物とのコンタクトを目的としている。コンタクトすべき人物は銀行家で、青年のチェチェン人の父親が銀行に預金している蓄財を引き出すためである。この金を巡り、テロリスト側に資金として流れる動きに関与するイスラム穏健派の指導者の逮捕が、両組織の最終目標である。ドイツに潜入したチェチェン人の青年に手を差し伸べるのが、ドイツの人権派の若い女性弁護士。さらに、アメリカも絡み、CIAのベルリン支局勤務、ロビン・ライト扮する女性スパイの登場とわかり易く、人物の配置はお約束の筋立てだ。
スパイとは、自身は安全な高見から、国家の安全という名目で他人を操り、嘘や裏切りもいとわない裏のダーティな存在である。冴えない酒浸りの中年男は、スパイ中のスパイであることに違いない。しかし、弱さ、駄目さを滲ませ、人間性が強調されている。この唾棄すべき諜報の世界の中にあり、中和的役割を果たすのがホフマンの演じる人物像である。
彼は被疑者を泳がせ、頂点の大物を捕える手法を身上とするが、対抗する組織は始めから捕えに出る、猶予を許さぬ体質で、この両者の駆け引きが物語を彩る。この中で描かれるCIAの立場は、さらに狡猾なのだ。引っかき回し最後は勝ち馬に乗るものであり、そこに諜報の世界の非情さがあり、物語展開上の重要なスパイスとなっている。また、本作におけるCIAの描き方にはアメリカへの批判が感じられる。
脇役の俳優陣も魅力
ホフマン抜きに本作は、これ以上の成功は望めないことは明白である。しかし、他のキャスティングの良さも見逃せない。
女性弁護士役のレイチェル・マクアダムスは、既に「ミッドナイト・イン・パリ」(11)(ウディ・アレン監督)、「トゥ・ザ・ワンダー」(12)(テレンス・マリック監督)で認められた女優である。彼女は、心ならずも、ホフマンの恫喝により弁護する人間をはめる役柄を上手く演じている。
特筆すべきはロビン・ライトのCIAスパイで、近作、「美しい絵の崩壊」(13)で女友達の息子と関係する人妻役で印象に残ったが、今回は、冷酷・非情なスパイ役と、前作と違った魅力を発揮している。
他に、ホフマンの助手役としてドイツ映画の若手有名女優、ニーナ・ホス、同じく男優で「ラッシュ/プライドと友情」(13)のダニエル・ブリュールが脇に廻っている。彼らの作品を知る者にとり、このキャスティング、一寸、勿体ない気がする。
テロリストと諜報機関の板挟みになる、ウィレム・デフォーは従来の欲の固まりである資本家ではなく、知的で苦悩する銀行家像を演じている。これが中々渋い。
伏線に伏線を重ねたル・カレの原作、話の面白さは抜群であり、スタイリッシュな映像感覚が光るオランダ人監督のアントン・コービン監督の演出により「誰よりも狙われた男」は、第一級の良質な娯楽作に仕上げられている。
勿論、人間味を滲ませるホフマンの存在は、本作の白眉であり、脇を固める俳優陣も魅力的だ。
ただし、スパイという、目的のためなら手段を選ばぬ人間性については、いささか後味の悪さが残るのが、筆者の偽らざる感想だ。
(文中敬称略)
《了》
10月17日(金)よりTOHOシネマズシャンテ他全国ロードショー
映像新聞2014年10月20日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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