カナダ巨匠の新作「デビルズ・ノット」
現代の「魔女狩り」を鋭く指摘 |
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カナダの大物監督で国際的にも知られるアトム・エゴヤン監督の新作「デビルズ・ノット」が公開される。タイトルは一見ホラー調だが、伝える内容は奥深く、社会性を持つ作品に仕上げられている。
アルメニア移民のエゴヤン監督は今年54歳、生まれはエジプトで3歳の時にカナダへ渡り、今やカナダの監督として国際的な知名度を誇り、カンヌ映画祭の常連の1人。24歳の時の長篇第1作「Next of Kin」でデビュー、相当に早い監督昇進である。彼が最初に国際的に知られたのは、カンヌ映画祭監督週間での「アジュスター」(91)や同週間の「エキゾチカ」(94)である。彼の作風は、人間、時に社会への不条理の観察、発言であり、異能の作家と思われた。筆者は両作品とも見る機会を得たが、ホラータッチの才能を持つ新人監督との印象を抱いた。しかし、彼には社会派の資質があり、その代表が「アララトの聖母」(02)である。元来、アルメニア系である彼は、自らの祖先に起きた1915年から17年にかけた、オスマントルコ帝国による150万人に及ぶアルメニア人大虐殺「アララトの聖母」を映画化した。米、仏は人道的立場から虐殺を非難はしたものの、政治的思惑からトルコへの非難を現在まで棚上げにしている。トルコ政府は一貫して、虐殺はなかったとの立場を押し通している。この作品にはエゴヤン監督の人道的立場がはっきりと示されている。余談ながら、日本公開時に、エゴヤン監督とのインタヴューで、彼は日本軍による「南京大虐殺」について知っていると語ったことが記憶に残っている。
このように、彼は、不条理性を衝き、同時に社会性をも持ち合わせた監督である。
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コリン・ファース(左)
(c)2013 DEVILS KNOT LLC. ALL RIGHTS RESERVED
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実話を基にした「デビルズ・ノット」の舞台は、アメリカ・アーカンソー州のウェスト・メンフィスと呼ばれる片田舎の、取り立てて何の特徴のない町である。事件発生は1993年5月5日から6日にかけて起きた、8歳の少年が級友2人と森へ遊びに出たまま行方不明となり、町外れの小川で死体として発見された。3人は丸裸で性器を切り取られていた。猟奇的殺人である。この事件によりアメリカ南部の小さな保守的な田舎町は騒然とし、その後の裁判へとつながる。
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リース・ウィザースプーン(左)
(c)2013 DEVILS KNOT LLC. ALL RIGHTS RESERVED
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冒頭は、少年が学校から戻り、母親が迎え、彼は宿題に取組む。そこに級友の遊びの声が掛かり、4時半には戻ることを条件にもう1人の級友と3人、自転車で森へと出かける。明るく屈託のない母親(リース・ウィザスプーン)(「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」〈06〉で大カントリー歌手ジョニー・キャッシュの妻役で、自身もカントリーを歌い、一躍注目された女優)が見送る、どこでも見られる光景である。しかし、夜遅くなっても子供たちは戻らず、母親は町の人々と周辺を探し回るが徒労に終わる。
物的証拠がなく、警察は焦る。このような場合、警察は、未解決で終われば警察の威信が問われることを極度に恐れる。冤罪発生の初期の要因は警察のメンツから起こる事例が見られ、同様の現象は日本でも多々耳にする。常套手段として、知的障害者がターゲットになる場合があり、我が国でも狭山事件が該当する。軽度の知的障害者の少年を叩き、その自供の断片を都合の良いように繋ぎ合わせ、一つのストーリーを作り上げ、それに沿って他の被疑者の自供を取り、事件を成立させる。被疑者の犯人捏造に成功すれば、南部の保守的な町の世論は納得し、警察の威信低下も免れる。もし、冤罪と後からわかっても、担当者が刑事責任を取らされることは先ずない。
この事件も、警察は、兎に角犯人をデッチ上げれば安泰と考え、取り調べ調書だけを信用する裁判所も、面倒を避け、調書を採用する。
この「ウェスト・メンフィス3」事件は、結局、犯罪の残虐性からオカルトグループの犯行と推論され、18歳、17歳、16歳の3少年の犯行とされ、裁判長も検察の云う通りの判決を下す。1人は死刑、他には終身刑を言い渡される。目を付けられたオカルト信者たちは悪魔崇拝集団であり、そのグループに連なる少年たちが犯人とされた。
作品のメインは当然、裁判シーンとなる。非常にセンセーショナルな事件であり、正義を求める南部の保守的な小さな町は、裁判一色に染め上げられる。
その中にあり、1人だけ様子の異なる男が毎回裁判の傍聴に現れる。この彼、ロン(コリン・ファース)は、調査会社代表で私立探偵でもある。死刑廃止論者として、この裁判に疑問を持ち、無償で弁護団に協力することになる。
ロンは、被告たちに物的証拠がないこと、逮捕の糸口となった少年が軽度の知的障害者であったこと、そして、検察側証人の発言の不自然さ、自白の強制などを感じ取った。しかし、裁判官は検察の側に立ち、少年3人の有罪が確定する。
この判決は、町の一方的な保守的世論を背景とし、犯人を差し出せば一見落着という古典的罪作りである。これは、受け取る人間によって真実が全く異なることを現している。ここがエゴヤン監督作品の狙いである。ロン以外に、被害者の母親も真実とは何かと疑問を持ち始める。ここで、真実の捉え方への疑問が繰り返される。
この事件が捏造された可能性について、事件の3年後に2人のアメリカ人ドキュメンタリー作家が検証を始めた。第1部が「パラダイス・ロスト」(1996)、第2部が「パラダイス・ロスト2」(2000)、第3部が「パラダイス・ロスト:Purgatory」(2011)の3部作である。ほかに映画「ウェスト・オブ・メンフィス」(2012)(エイミー・バーグ監督)が製作され、独自調査により被害者の少年の父が真犯人との結論を導き出している。しかし、再審の動きはなく、少年3人の有罪は変わらなかった。これらの映画により、事件を冤罪視する見方が広まったことは確かであった。そこで、報道記者でベストセラー作家のマラ・レヴェリットの原作「デビルズ・ノット」を基に、エゴヤン監督は本作の企画に取り組んだのであった。
私立探偵と被害者の母の疑問以外に、事件を検証するドキュメンタリー3部作、他に1本の映画が製作され、3少年は18年の服役後に突然釈放された。その2002年当時、エゴヤン監督は本作の製作を始め、その2か月後に不可解な釈放が決まった経緯があった。このことは、冤罪の疑いが濃厚となり、司法当局は3人の少年が有罪を認めることを条件とした司法取引であった。従って、小さな町では今でも真犯人が野放しにされている未解決事件なのである。
私立探偵役のコリン・ファースは本作で、物事の中で正義が失われる恐ろしさを、エゴヤン監督が衝いていることに共感したと語っている。母親役のウィザースプーンは、「誰も3人の子供を殺した犯人を真剣に捜していない非情なリアリティに惹かれた」と述べている。
エゴヤン監督は、法廷で物語が編(あ)まれ、人々がそれを信じたいと思うことが実際に起き、真実となることの恐ろしさに目を向けている。南部の保守性、地域住民の集団ヒステリー、自らが許容できない異物排除の心理から発生する現代の魔女狩りを鋭く指摘している。
(文中敬称略)
《了》
11月14日(金)より「TOHOシネマズ シャンテ」、「新宿シネマカリテ」他全国ロードショー
中川洋吉・映画評論家
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