「イロイロ ぬくもりの記憶」
シンガポールの新人監督長編第1作
少年とメイドの心温まる交流 |
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日本では馴染みの薄いシンガポール映画が公開される。「イロイロ ぬくもりの記憶」(以下「イロイロ」)である。監督のアンソニー・チェンは若干30歳と若く、長篇第1作が本作であるが、その完成度の高さは並ではなく、まさに、末恐ろしい新人の出現だ。
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少年とメイド
(C)2013 SINGAPORE FILM COMMISSION, NP ENTERPRISE(S) PTE LTD, FISHEYE PICTURES PTE LTD
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「イロイロ」の舞台はシンガポールで、登場人物は同地の平均的勤労者階級の一家、少年と両親、そして、フィリピンからのメイドで、この4人がドラマを織り成す。女性の社会進出が進むシンガポールでは、共働きで、メイドを雇う家庭は珍しくない。
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少年とメイド
(C)2013 SINGAPORE FILM COMMISSION, NP ENTERPRISE(S) PTE LTD, FISHEYE PICTURES PTE LTD
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冒頭シーン、一家の少年は、1人だけ教室ではなく、別の部屋に居るところが写し出される。そこに教師が入ってきて、両手を差し出すよう命じる。いわゆるバナナと呼ばれる手の平へのムチ打ち罰である。少年は何かイタズラをやらかしたのである。いざ、ムチ打ちとなると彼は大声を出して騒ぎ始め、その上、先生の腕をかじる。怒り心頭の先生は、早速、母親へ連絡し、緊急出頭させる。どうやらこの呼び出しは初めてではなく、少年は母親の悩みの種である。彼女は勤務先の上司の手前、子供のいたずらで学校からの呼び出しとは言いづらく、同僚の女性に頼み、こっそり会社を抜け出す。
この彼の悪ガキ振りに手を焼く母親は、彼のお守りと家事のためにフィリピン人のメイドを雇い入れる。共働きで、経済的に余裕のある家庭は、安い賃金でフィリピン人のメイドが簡単に雇えるようだ。同じフィリピン人でも、香港を働き場所とする女性は多く、最近では主に介護職としてイスラエルへ渡る人も増えているそうだ。物語はこの悪ガキとメイドがどのように向き合うかに焦点を合わせている。
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一家の墓参り
(C)2013 SINGAPORE FILM COMMISSION, NP ENTERPRISE(S) PTE LTD, FISHEYE PICTURES PTE LTD
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メイドが一家へやってくる。彼女はフィリピンのイロイロという島からやって来た。彼女の出身地の地名が本作のタイトルになっている。
慣習通り主婦は、メイドのパスポートを預かる。メイドの寝室は悪ガキと一緒の相部屋で、ベッド脇の引き出し式サイドベッドが彼女の寝場所。当然ながら悪ガキは仏頂面、メイドとは口を利かずイタズラを仕掛けたりと意地悪な行動に走る。メイドも負けず、少年をとっちめる。親身に少年の面倒を見る彼女、洋服をぬらした彼の着衣を脱がし、体を洗ってやると、丸裸にされた彼は恥ずかしがる。そこで、彼女は「おばさんはもっと大きいのも知ってるんだ」と凄んで見せる。
このような小さな出来事が重なり、2人の距離は徐々に縮まり、少年にとり彼女は頼りになる存在となる。
この少年、またまた学校で騒ぎを起こす。同級生からメイドの悪口を言われ、反論し、取っ組み合いのけんかとなる。その現場を教師に見つかり、本来ならば喧嘩両成敗となるところが、相手の少年が壁に頭をぶつけ、怪我を負う。そこで、少年の母親へ通報が行く。勤務先の母親は、仕事で席を離れられず、電話を受けたメイドが急きょ学校へ馳せ参じる。度々、先生たちの手を焼かせた悪ガキは、今度こそとばかり、退学処分を宣告される。それに対し、メイドはお坊ちゃまの一大事とばかり、ひたすら懇願し、何とか退学処分を免れる。そこへ、やっと仕事に一段落をつけた母親が駆け込み、メイドのくせに余計なお世話と言わんばかりの態度を取る。
経済危機
1997年にアジアを襲った経済危機、シンガポールも例外ではなかった。父親は営業職で、会社訪問をし割れないガラス板を売り歩く。意気揚々と、同社製品のプレゼンテーションで、試しにハンマーで叩くと割れないはずのガラスが割れてしまうくだり、そのバツの悪さが伝わる。このシーンは、少年の悪ガキ振りと併せて笑え、チェン監督の笑いのセンスの良さが光る。この赤恥事件、そして、経済危機のあおりで父親はリストラされ、今までのダブル・サラリーが半減する。おまけに、父親は、ちょっと余裕のある時期に仕込んだ株が大暴落し、スッテンテン状態に陥る。収入が減り、メイドを雇うことも難しくなり、やむなく、彼女に暇を出す。今や、彼女と気持ちを通わせあえる少年は、メイドの帰国を大いに悲しむ。辛い別れである。
少年とメイドとの交流を芯とし、物語はラストまで、家族、少年の成長、移民・階層、経済危機に触れながら進行する。この話の運びが実に巧みであり、とても新人監督とは思えない完成度を見せる。脚本もチェン監督の手になり、人間関係以外のシンガポール社会の一面も描いている。この作風、韓国や、フィリピン映画に見られる、汗のしたたるようなリアリズムや毒々しさがない。筆致がスマートなのだ。国際性豊かなシンガポールのもつ特有の体質であろうか。
2013年のカンヌ映画祭で、本作は併行週間の監督週間に出品され、最優秀新人監督賞カメラドール賞(金のカメラの意)を受賞した。同部門審査委員長はフランスの映画監督アニエス・ヴァルダで、全員一致の授賞とのこと。最初は意外であったが、実際に見ると、中々味わい深い佳作で、新人監督の一作目であることは驚きであった。
シンガポール初のカンヌ映画祭受賞作品であり、同映画祭は新しいアジアの星を発掘したのであった。
シンガポールは、国土が東京23区の大きさで、建国50年と国家としての歴史は浅い。人口は約540万人で、そのうち200万人が外国人と、アジアの中でも、異色の都市国家で、英語が良く通じる国でもある。今まで、シンガポール映画は、日本では全く注目されなかったが、本作を契機に隣国マレーシアとともにアジアで重要な映画国となるであろう。カンヌ映画祭におけるアジア映画の選考は、中国、韓国、イラン、日本をメインとしてきたが、ここ数年、選考の眼が、東南アジアへと向けられ始めた。タイ、フィリピン、インドネシア、マレーシア、そして、シンガポールと、アジア諸国の地域性を買ってのことであろう。アジア映画が益々面白くなっており、世界の潮流の一つに組み込まれてきている。
等身大の生活感溢れる人物像と泥臭さを押し出す他のアジア映画と比べ、「イロイロ」は、映画的センスが光る作品であり、敢えて比べるなら、良質な香港の文芸作品になぞえることが出来る。メインの少年とメイドとの交流、その背景にシンガポールの発達した男女均等社会、移民・階層社会から派生するメイドの存在、そして、1997年にアジアを襲った経済危機がきっちり描き込まれている。ハートウォームな感動があり、娯楽的要素を併せ持つ、現代シンガポールを写し出す、良質な作品だ。
(文中敬称略)
《了》
12月13日(土)K's cinemaほか全国順次ロードショー
映像新聞 2014年12月1日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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