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「小さき声のカノン」
鎌仲ひとみ監督の新作公開
核問題のドキュメンタリー作家

 核をめぐる3部作「ヒバクシャ」(03)、「六ヶ所村ラプソディ」(06)、「ミツバチの羽音と地球の回転」(10)を世に送り出した鎌仲ひとみ監督は、新作「小さき声のカノン」(以下「小さき声」)を発表した。核問題のドキュメンタリー作家である同監督は、最新作でも、チェルノブイリと福島原発事故を追っている。

当たり前のことの実現

母と子供 (C)ぶんぶんフィルムズ

 子供の命を守るために行動
本作「小さき声」の言わんとすることは、至極当たり前のことだ。舞台は福島県二本松市で、緑が濃い田園地帯をバックとする美しいところで、銘酒「奥の松」や「大七」でも知られる酒処でもある。登場人物は、同市の若いお母さんたちである。未来を生きる子供たちを被爆から守ろうとする、普通の母親が自分の血肉を分けた子供を心配することは、当たり前のことである。しかし、彼女らの心の声を、表に出し、行動することは、当たり前ではない。大きな勇気と深い愛情がなければ実現はおぼつかない。その彼女らを鎌仲監督は丁寧に追っている。彼女の、対象への視線は常に低い。そのため、写される対象との良好な関係が保たれている。
被爆地域では、子供のために避難する家族、あるいは、事情があって故郷を離れられない家族もいる。本作では、被爆地から離れない、離れられないお母さんたちに焦点を当てている。

避難しない人々

母たちの集い (C)ぶんぶんフィルムズ

 残る家族は、当然、更なる放射能を浴びることになる。この危険を冒しても留まる人々の中心に、二本松市内、400年の歴史を持つ浄土真宗大谷派「真行寺」の夫妻がいる。同寺では、幼稚園を経営し、夫の住職は園長とお坊さんを兼務している。彼は、預かる園児のことを考え、残留を決める。家族は自主避難するが、子供の1人が、どうしても父親と暮らすことを望み、一家は福島に戻り、最終的に被爆地域残留を決める。彼らの決断は、原発推進や反原発ではなく、すぐ隣りの原発と最低限の折り合いをつけて生きることである。
画面では、住職が汚染土を掘り起し廃棄したり、妻が子供の通学路を線量計で測り、低いところを探す作業に現れる。
被爆は覚悟の上だが、被害を最小限に留める、これも一つの生き方だ。

 

ハハレンジャー


ハハレンジャー (C)ぶんぶんフィルムズ

 そこで飛び出してくるのが、幼い子を持つ地域の母親たちの連合、ハハレンジャーと名付けた集団である。ケッタイなネーミングだが、彼女たちの行動力は凄い。今までは、お上(かみ)の言うがままに生きてきた主婦たちが、心の声を表に出し始めたのである。彼女らの活動に共鳴した人々が全国から新鮮な野菜を送り届け、それらは寺の床に並べられる。それを区分し配布するのがハハレンジャーの面々で、彼女たちを手伝いたいと、他の母親たちも野菜の分配を手伝い始める。そして、彼女たちの輪は少しずつ拡がる。両親の介護、夫の仕事の都合など、各人、それぞれの事情を抱えての被爆地暮しであるが、彼女たちは、今までの泣き虫さんを捨て、行動に出たのである。ここで提起される問題は「黙っていては駄目、声をあげて行動する」ことである。当たり前のことであるが、これが難しい。この考えは、池谷薫監督の「祖先になる」(12)の自力で被災地に家を建てた老人の姿と重なり合う。
リーダー格であり、僧侶の妻のお母さんは「被爆問題の目途がつかないのに、文科省は何故、学校を4月開校したのかがわからない」、そして、「私たちはお上が言えば、そうだろうと思うクセがついてしまったのだろうか」と嘆くシーンは、我々、日本人が「お上にしてもらう」体質を色濃く持つことの現れであり、個人が声を上げるケースが非常に少ないこととつながる。


チェルノブイリ



チェルノブイリの小児科医
(C)ぶんぶんフィルムズ
 本作は、チェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)の撮影取材中に、福島原発事故に遭遇した鎌仲監督が、両事故を合わせて1本の作品にまとめた。
福島原発事故の原型たるベラルーシ共和国のチェルノブイリ原発事故の検証は必要不可欠であり、偶然とはいえ、両事故と、日ロの関係者の在り方を知る上でも興味深い。
チェルノブイリ原発事故では、多くの青少年に甲状腺異常が見られ、日本からは医師で、現松本市長の菅谷昭の、現地での5年に亘る治療のエピソードは広く知られている。ロシアの原発対策と日本のそれとの比較は、我々に参考になるが、チェルノブイリの事例が、必ずしも日本に当てはまらない。チェルノブイリ原発事故後、時の政府は強制的に、被爆住民への避難を促したが、我が国では、強制避難はあるが基準があいまいである。チェルノブイリ原発事故後も、政府の命令に従わず住み続けた住民たちのドキュメンタリーは、本橋成一監督の「ナージャの村」(98)に詳しく描かれ、同じことが二本松市でも起きている。

保養という考え方



 被爆半径30km以内の住民を強制避難させたチェルノブイリでは、被爆した子供たちに小児性甲状腺ガンの発症が5年後、10年後に現れた。この事態に対し、当時のソ連は、保養を始めた。子供たちを、汚染外の地へ一時避難される措置で、避難地域全域の子供たちに適用された。これにより、放射線量が大幅に減る効果が確認され、保養という考え方が定着し、現在も続いている。これは、子供にとりバカンスであり、親にとり、線量の医学的減少という好結果をもたらせた。日本でも、この保養という考え方の提案はあったが、費用の問題で政府は腰を上げぬまま現在に至っている。この保養のシーンで、鎌仲監督が撮り続けたチェルノブイリの現在が写し出される。その中心の、ロシア人小児科の女医の尽力が伝えられる。彼女は、老齢だが、現在も小児性ガンと闘っている。このガンは被爆後5−10年後に発症するとされ、我が政府は手をこまねいている現状は、人道的観点から看過できない。そして、やたらと安全を吹聴する、いわゆる有識者の存在の胡散臭さが、作品から感じられる。子供の命を守る母親たちは、今までお上の言うことに何も疑問を抱かずにきた泣き虫母さんたちと呼ばれたが、今や頭と時間を使っての行動に出た。



伝えたいこと



鎌仲ひとみ監督 (C)ぶんぶんフィルムズ
 原発事故汚染地域の母親に焦点
本作の主眼は、人の命の尊重であり、それをどのように実行するかにある。子供の命を守ることを使命とする母親たちが、自らの考えを実行に移す、その裏打ちがチェルノブイリ事故の被爆と、その後の保養の考え方である。
チェルノブイリという負の遺産から、学習することが、日本国民にとり必要であり、そのために立ち向わねばならない。
タイトルのカノンは、元来、建築や音楽用語である。本作では、声が皆に届く意味として使われている。
鎌仲監督の描き方は平易であり、難しいことを易しく説いている。そして、溢れんばかりの優しさに満ちている。





(文中敬称略)

《了》


3月7日(土)よりシアター・イメージフォーラム他、全国順次公開中

映像新聞2015年3月16日掲載号より転載


中川洋吉・映画評論家