このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



「パプーシャの黒い瞳」
ポーランドの知られざる現代史
ジプシー初の詩人が主人公

 ポーランド映画らしく、シリアスなテーマを正面から押し出す「パプーシャの黒い瞳」(以下「パプーシャ」)が4月4日(土)から、神田・岩波ホールで公開される。
今まで、ほとんど触れられなかったジプシー社会について述べたもので、ジプシーの女性詩人パプーシャ、そして、これまで知らなかったポーランド現代史の一面を描く重厚な作品だ。

シリアスなテーマを正面から描く

パプーシャ
(C)ARGOMEDIA Sp. z o.o. TVP S.A. CANAL+ Studio Filmowe KADR 2013

 現在、ジプシーは差別語とされ、ロマに置き換えられている。しかし、ジプシーとは多様な少数者集団を指し、ロマもその中の1つである。従って、作品と同様に、全体的な視点からは、ジプシーが相応しく、呼称はジプシーとする。
ジプシーの起源は15世紀のインドやエジプトと、諸説あるが、16世紀には、既にドイツやパリで彼らの存在が知られている。
本作のポーランドのジプシーは、16世紀に神聖ローマ帝国から迫害を逃れ、移動した集団であり、移動生活を主とし、独自の伝統と文化を持っていた。「パプーシャ」は20世紀のポーランド史とも重なり合い展開される。
20世紀初頭のポーランドは国家として存在せず、周辺のプロイセン、オーストリア、ロシアにより分割され、1918年にポーランド国家は復活したが、1939年のナチス侵攻と占領を経て、1945年に待望の独立を回復した。このポーランドの苦難の歴史の中に生きた、ジプシーを主人公としている。

息を呑む冒頭シーン

冒頭シーン
(C)ARGOMEDIA Sp. z o.o. TVP S.A. CANAL+ Studio Filmowe KADR 2013

 冒頭、遠景で、湾と海に面する家々が写し出される。モノクロの濃淡が強く、かっちりと海辺を浮かび上らせ光と影の絵画のような美しさだ。最初から、これはただの映像ではないと思わせる力がある。
カメラは子供を抱く女性に寄る。この子供こそ主人公の「パプーシャ(人形の意)」である。時代は、ポーランドが分割されている1910年、女性はジプシーであり、呪術師は「この子は恥さらしな人間となるかも知れない」と不吉な予言を口にする。

 

刑務所の中のジプシー詩人


パプーシャとフィツォフスキ
(C)ARGOMEDIA Sp. z o.o. TVP S.A. CANAL+ Studio Filmowe KADR 2013

 刑務所の横に止められた自動車から、1人の女性官吏が降りベルを押す。物語の出だしだ。彼女は収監されている、鶏泥棒のジプシー女性の釈放の大臣命令を携えている。そして、ある音楽会へ連れられる。会場には着飾った人々が彼女の登場を今や遅しと待ち構えている。彼女こそ、60年後のパプーシャであり、ジプシー初の詩人なのだ。
音楽会場で女性歌手によりパプーシャの詩が歌われる。ここで、観客は彼女の本当の姿を知る。


若い男性詩人との出会い



 1949年に幌馬車で移動中のジプシーの許に、1人のよそ者であるポーランド人青年フィツォフスキが加わる。彼は官憲から追われる身であり、ジプシー集団に逃げ込んだのだ。パプーシャは、彼が持っている本に注目した。ジプシーは元来、文字を持たない民族であり、本は彼女にとり初めてのものであった。この本との出会いで、彼女の詩人人生が始まる。

パプーシャの好奇心



 字を持たないジプシー社会の環境の中で、文字を学んだパプーシャは、後に、大変な辛酸をなめる。彼女は、文字が知りたい一心で鶏を盗み、それを授業料として、雑貨店の女主人に教えを乞う。元来、聡明な彼女は、たちまち文字を会得し、詩人としての第一歩を踏み出す。



口からこぼれる詩



 字を持たないジプシー社会の環境の中で、文字を学んだパプーシャは、後に、大変な辛酸をなめる。彼女は、文字が知りたい一心で鶏を盗み、それを授業料として、雑貨店の女主人に教えを乞う。元来、聡明な彼女は、たちまち文字を会得し、詩人としての第一歩を踏み出す。


ジプシーの苦悩



 移動生活を好むジプシーたちは、政府側からみれば野放し状態で、厄介な存在である。時の権力者は、定住策として、子供の学校への通学、落ち着いて住める住居の提供などを持ちかけるが、ジプシー社会は受け入れない。彼らは、たとえ厳しい自然の中での移動でも、放浪生活の習慣を捨てようとしない。そして、時の権力者たちに金を握らせ、自分たち独自の暮らしを守ってきた。政府は、頑ななジプシーに対し、家を貸すことを禁止し、移動を制限したりと、圧力をかける。
後に、徐々にジプシーたちは定住する生き方を選び始める。
社会的に見てジプシーは周縁部集団で、貧しく、差別され、一段低い人間として蔑まれる存在であり、この風潮は現在も変わらない。



パプーシャが生きた時代



 彼女は独学で読み書きを学び、最後には、詩人として百科事典にも載り、ポーランドで最も重要な60人の女性詩人の1人に数えられている、知識人である。
彼女を見出し、その後、ジプシー文化に光を当てたフィツォフスキとの交友と別れ、愛のない年上男性との結婚、ジプシー一族の禁忌を破り、追放の憂き目にあうパプーシャの80年に亘る不幸な一生が綴られる。



作り手の2つの狙い



 文字を持たないジプシーにとり、文学や詩は無縁な存在であり、パプーシャ自身、詩の創作はジプシーの生活を写すことであり、彼女の詩作活動は秘密の暴露行為として集団から追放される。彼女にとり、読み書きができることが、彼女自身を不幸に陥れたと考え、詩人であることを否定し続ける。
この問題、ジプシー社会を通して、特定の階層や集団での知的活動の困難さを衝いており、ここに作り手の第一の狙いが込められている。世界中、勉強したくとも、貧困や差別で出来ない多くの人々が現在でもなお存在することに対しての異議申し立てが、映画「パプーシャ」で成されている。第2の狙いは、パプーシャを通してジプシー文化の復権を狙ったものである。今に通じる問題を脚本、監督のヨアンナ・コス=クラウゼ、クシシュトフ・クラウゼの両監督は見る者に投げ掛けていると読める。


奥行きの深さ



 壮絶なパプーシャの不幸な一生であるが、彼女は詩という形で自身の足跡を残すことが出来た。それが、刑務所から釈放され、音楽会場へ連れてこられたシーンであり、そこに、わずかではあるが明るさを見ることが出来る。
ジプシー社会の閉鎖性を通して、現代の問題がうかがえるところに「パプーシャ」の作品としての奥行きの深さがある。
また、ポーランドの厳しい気候・風土を写し出すモノクロ画面の圧倒的な質感は、カラーでも、モノクロでもない新しい映像と思わすほど印象的だ。
決して見易い作品ではないが、見る人の心を強く掴む強さがある。一見の価値あり。




(文中敬称略)

《了》


4月4日(土)より、岩波ホール他全国順次公開!!

映像新聞2015年3月30日掲載号より転載


中川洋吉・映画評論家