このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



「アラヤシキの住人たち」
人間性を尊重した心豊かな暮らし
不便な山奥の集落を舞台に1年撮影

 写真家で映画監督でもある本橋成一の、6年振りの新作「アラヤシキの住人たち」が完成し、5月1日から公開される。「ナージャの村」、「アレクセイの泉」でチェルノブイリを捉えた彼が、今回、長野県北安曇郡の真木集落を撮影の舞台とし、茅葺き農家〈真木共働学舎〉で寝食を共にする人々の1年の生活を追った。

共働学舎とは

茅葺き農家
(C)ポレポレタイムズ社

  以前に、自由学園のOBの先生が、障害者の働ける場として信州の山奥に作業場を造り、共同生活をしている話を耳にした。それが、宮嶋眞一郎らによって創設された共働学舎である。但し、障害者のみを対象とした施設ではない。彼は40年前に、経済偏重の日本社会の歪みに警鐘を鳴らし、「競争社会ではなく協力社会を」の理念の元、共同社会の建設に乗り出した。当時、〈登校拒否〉や〈非行〉が問題になり始め、創設者・宮嶋眞一郎は、点数評価による教育、競争主義、経済力偏重の社会を批判した。そして、誰もが、それぞれの持味や能力を出し合い、力を合わせれば、自分たちの生きる場が作れるとしたのが、共働学舎の基本的構想である。住人たちは、農業中心の自給自足の生活である。勿論、この学舎は、健常者、障害者を分け隔てはしない。


自由学園

共働学舎での結婚式
(C)ポレポレタイムズ社

 共働学舎の構想の根元には、自由な校風で知られる自由学園の存在がある。キリスト教の教えによる、小学校から大学までの一貫教育校である。東京の東久留米市にある同園は、クリスチャンである羽仁もと子、吉一夫妻により1921年に創設され、個の尊重、多様性の受け入れを基本理念とし、生活即教育を掲げ、文字通り自由な精神の教育の実現を目指している。
皆で助け合い生活し、例えば、学生がパンを焼くことは学園生活の一端として行われる。
私事だが、高校時代、サッカー部に属し、同園との試合をしたことがある。終了後、パンとお茶のもてなしを受け、それも生徒たちの手作りと聞き、大変驚いた経験がある。
この学園の英語の先生で、晩年失明された宮嶋眞一郎が共働学舎を立ち上げた。本作の監督、本橋成一は自由学園育ちで、中学の時に同氏から教わったそうだ。このように、自由学園と共働学舎の関係は切っても切れない。


ラジオ体操 農家で共同生活する人々追う

ラジオ体操をする住人たち
(C)ポレポレタイムズ社

 冒頭シーンは信州の山の中、数軒の農家の中で一際大きい茅葺きの2階建農家が、目の前に現れる。朝、その前で、数人がラジオ体操を始める。何か、かったるそうな動作で、ピリッとせず、号令をかける人間も居ない。彼らが真木共働学舎の住人である。そして、山の中、山羊を連れた一行3人の男女が歩く姿が写し出される。昔から車が入ることの出来ない真木集落へは山道を1時間半かけて歩くより方法がなく、生活物資の運び込みは人力に頼らざるを得ない。
当初は電気も水道もない廃村で、農家アラヤシキ(新屋敷)に宮嶋眞一郎が同志と住み始め、現在は20代−60代の男女十数人が犬、猫、山羊、鶏と共に暮らしている。とにかく、アラヤシキは山のまた奥であり、この上もなく不便な所である。
余談だが、真木集落は今村昌平監督の「楢山節考」(83)のロケ地でもある。



住人たち

朝の一服
(C)ポレポレタイムズ社

 十数人の住人たちは、身体的、精神的、或いは、境遇上、様々な差異を持つ人々である。早起きのえもさんは犬をあやしながら座って、先ず朝の一服、山羊当番は瑞穂さん、彼は能楽師の家の生れ、薪割のくにさんは百葉箱を36年間記録し続けている。3人とも中年に達し、えのさんは言語障害があり聞き取りにくいが、周囲は一向に気にしない。同学舎には、保護する者とされる者の縦関係はない。各個人が持つ個性や能力を尊重する。
リーダー格の宮嶋信は、宮嶋眞一郎の次男であり、長男は北海道の共働学舎で働いている。父、眞一郎の教育、信念を、2人の息子が継いだ形だ。また、彼は今年91歳で、真木集落の麓で夫人と暮らしている。

四季の営み

 撮影は春の田植えから翌年の田植えまで、約1年かけて行われた。
学舎のある真木は、山奥の緑が濃く、自然に抱かれる心地良さがある。ここでの住人たちの暮らしと四季の変化が本作の描くところだ。
朝は、2階の板木が鳴り、「オ・キ・ロ」「ゴ・ハ・ン」で朝食が始まる。食堂の小さな黒板には、メンバーの名と動物の名前も書かれている。春の仕事のハイライトは田植えだ。全員、水田に入り苗を植える。このシーンで、各人の個性が現われる。手際良い人、仕事がはかどらない人が混じり合っている。
仕切り屋は1人もおらず、各人が自分のペースで仕事を進め、経済効率は二の次だ。これが真木共働学舎の働き方だ。
夏は、稲が青々とし、蝉の鳴き声が響く。そして、季節柄、真木集落への訪問者が多く、大いに賑わう。住人たちは土壁を直し、茅葺屋根を修理する。
食事も、大人数で楽しい一時だ。取りたての野菜、そして、卵かけご飯用の卵が鉢一杯食卓に並ぶ。
秋は、稲刈りシーズン。自分で植えた苗を収穫する。
収穫祭のバーベキュー後は、宮嶋信たちによるチェロ2重奏、豊かな時間が流れる。山羊の交配は終わり、後は新しい生命の誕生を待つばかり。
豪雪の冬がやってくる。クリスマスは、キリスト教信者の集団である学舎に「きよしこの夜」が響く。こうして季節が巡り、新春を待つ。
一見、何でもない日常だが、一つ一つの出来事は丁寧にすくい上げられ、作品自体にメリハリをもたらせている。


学舎での議論

 日常の活動以外の事件といえば、夏にふらりとやって来た青年が、出かけたまま帰らず、突然、冬に戻って来たことだ。不思議なことに、普段はあまり議論をしない住人たちは、戻った青年の受け入れを巡って意見を述べ始める。皆、彼の復帰を望むが、1人が釈然としない気分を口にする。最後に議論を引き取った宮嶋信は「ここは完璧なところではない、しかし、また帰って来たいと思う時に帰って来れるところ」と締めくくる。彼の発言は、真木共働学舎そのものについて語る上で大切な言葉だ。


心豊かな生活

 競争社会を否定し、人間持てるものを出して、互いに補い合いながらの学舎の共同生活が写し出される。描かれる日常と、奇をてらわない住人たちの生き方に、古くて新しい社会を見る思いだ。不便極まりない山の生活、それは決して貧しいものでなく、住人たちの納得した様子を目にすれば、人間性を尊重する、心豊かな共同生活であることがわかる。




(文中敬称略)

《了》


2015年5月1日より、ポレポレ東中野ほか全国順次公開

映像新聞2015年4月27日掲載号より転載


中川洋吉・映画評論家