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「ゆずり葉の頃」
故岡本喜八夫人が76歳で初監督
母から息子へ伝える思い

「ゆずり葉の頃」
(C)岡本みね子事務所

 故岡本喜八監督夫人、中みね子が、76歳で監督第1作「ゆずり葉の頃」を撮り上げ、5月23日から岩波ホールで公開される。元々が映画少女であった彼女、喜八監督が東宝を離れ独立プロを主宰したが、そこで、永年プロデューサー業を務めた。夫の片腕として活躍した彼女、夫の没後5年の歳月をかけ脚本を書き上げ、旧知の友人やスタッフの協力を得て、第1作「ゆずり葉の頃」を完成させた。

 
ゆずり葉とは、若い葉が芽吹いた後、役目を終え、譲るように落葉することから、親が子を育てるたとえになぞらえられてきた。
タイトル通り、子供が親の思い出の跡を辿る物語である。八千草薫扮する母親の市子の
幼年時代の「思いを貫く」道筋を息子の進(風間トオル)を通し、母の現在と過去を追う展開となっている。この物語に八千草薫や仲代達矢が芯を通し、優秀な技術陣が映像的に下支えをしている。

子の知らぬ親の一面

仲代達矢と八千草薫
(C)岡本みね子事務所

  海外赴任の息子は、一時帰国し、羽田から1人暮らしの母へ電話するが、電源が切られ、つながらない。心配となった彼は、母の住居訪ねるが、不在で、隣家の主人は「旅行のようです」と教える。不在の家で彼は母のふみ箱を開け、書きかけの彼への手紙を目にする。そこには「話し合う時期」としたためられ、さらに、新聞の切り抜きと、軽井沢で開催されている展覧会の案内も見つける。
母の旅先は軽井沢で、どうやら美術展を見に行くことだけはわかり、息子も現地入り。しかし、「話し合う時期」と書かれた一行は、彼にとり見当がつかない。
母の旅の目的、宿泊先もわからず、2人は同じ場所にいながらスレ違いの連続である。
彼女の目的は高名な画家、宮謙一郎(仲代達矢)の作品の一枚を見ることであり、そのため軽井沢まで出向いた。
だが宮謙一郎について、一切の事前の説明はない。会場へやってきたテレビ取材班は、彼とのインタヴューを希望するが、何故か、美術館側は書面での質問しか受けないと、取材を断る。ここで、画家の輪郭がようとしてつかめない状況が設定される。母も、お目当ての一枚「原風景」を見たいのだが、展示はなく、個人所蔵のため、見る機会もないだろうと、美術館員は申し訳なさそうに話す。
思いあぐねた彼女は、とりあえず、街のクラシックな作りの喫茶店「珈琲歌劇」で一息入れる。そして、近くのお寺への行き方をマスターに尋ねる。このマスター(岸部一徳)が人生のコンシェルジュのような人物で、親切に行先の地図を書いて渡す。


回想シーン

八千草薫と風間トオル
(C)岡本みね子事務所

 物語の核心を回想シーンが写し出す。市内からバスに乗り、古びた寺に着く。そこには龍神池と呼ばれる大きく透明な池がある。そこが、彼女の思い出の場所だ。ここから、回想の世界へと見る者を誘う。
まず、透きとおる池に写る母の着物姿、この映像が良く極っている。そこには、幼少時代の、向き合う2人が池の縁にいる。
時代は第2次世界大戦中、子供2人は空襲を避けての疎開児童。少年は、この寺の息子の謙一郎、少女は幼い時の母。少女は少年に淡い恋心を抱く。向き合う2人、年長の少年は彼女に飴玉を握らせる。戦時中の食糧難時代、甘いものが不足し、飴玉一つが大変な貴重品である。敗戦となり、少女の家は没落、彼女は嫁ぐが夫は亡くなり、忘れ形見の息子進を、女手一つで育てる。生活のため、彼女は和裁を習い、着物の仕立てで、生計をたてる。現在は生活にゆとりができ、その和裁は趣味となる。少女時代からの宮謙一郎への「思いを貫く」のが、母の晩年の心のよりどころとなった。


再会

八千草薫
(C)岡本みね子事務所

 軽井沢の珈琲店のマスターの好意で、母は地元の人たちとも交流ができ、その中の1人が、宮謙一郎が会っても良いとの伝言をもたらす。
天にも昇る気持ちの母は、村人の軽トラックに乗せてもらい、軽井沢近郊の彼の自宅を訪ねる。フランスで成功し、現在は軽井沢に居を構える宮謙一郎宅である。訪れると、フランス人の奥さんが彼女を迎える。主人の画伯は、緑内障で視力を失い、母の市子を識別できない。昔の疎開のことには触れず、2人でぽつりぽつりと話をしている時、前から見たいと思っていた「原風景」が飾ってあることに気付く。彼はこの画を手放さず、所蔵していたのだ。母は彼にも会え、待望の画まで見、満足する。そして、彼が突然、ダンスを申し込むが、目の見えない彼のことを思い躊躇する。しかし、「壁にぶつからないように支えてください」の一言で、2人は踊り始める。このシーンが作品のハイライトであろう。老いの情熱が伝わる。帰り際、彼女はお得意の和裁で作った布袋を彼に渡す。その中には、あの飴玉が入っている。この飴玉を手にとり、彼は、彼女が昔、池の縁で会った少女と知る。この話の展開がしゃれている。
母は自身の「思いを貫く」ために、息子の知らない昔を伝える。親子といえども、生前に深く話をせず、親のことを知らないケースが多いことは、人、皆、体験的に知るところであり、本作ではその記憶の継承が大きなテーマとなっている。



物語に芯を通す主演の2人

仲代達矢
(C)岡本みね子事務所

 主演の八千草薫抜きにしては本作「ゆずり葉の頃」は存在しない。彼女の凛としてたたずまい、そして、軽井沢の人たちとの交流に見られるおおらかさ、自分を持った老いという役柄を上手く表現している。もう80歳代の彼女には、美しい老いがある。彼女自身、故谷口千吉監督夫人であり、谷口組の助監督が岡本喜八である。この師弟関係のおかげで、本作の中監督(彼女は岡本ではなく旧姓を使う)は、八千草薫と長年の付き合いがある。互いの意志の疎通は全く問題にならなかったと、彼女は語っている。
もう1人の主役、画家を演じる仲代達矢は、岡本夫妻にとり古き友人である。彼は、特に岡本喜八監督とは仕事以外、私的にも親しく、妻みね子監督のオファーを快諾した。彼のコメントを読めば、岡本夫妻との交友関係の深さが良くわかる。
本作では、仲代達矢の露出箇所を絞り込んだフシが見られる。彼の近作、小林政広監督の「春との旅」(10)、「日本の悲劇」(12)に見られる演技は重すぎで、それを避けた作り手の狙いは成功している。

過去を振り返ること

子供時代の2人
(C)岡本みね子事務所

 ゆずり葉のような母市子と息子進の物語であり、母から子へ伝えるべきことをしっかり残すことの大切さが強調されている。この意図は世代を越え、人の思いは伝わり、また、伝えねばならぬということである。人生の蓄積というべき思いが見る者に伝わる物語の面白さが「ゆずり葉の頃」にはある。
しみじみとした、味わい深い作品だ。



(文中敬称略)

《了》


「ゆずり葉の頃」は、6月19日まで岩波ホールでロードショー公開中

映像新聞2015年6月1日掲載号より転載


中川洋吉・映画評論家