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「雪の轍」
人間の魂の暗部を描き出す
トルコの代表的監督作品が本邦初公開
カンヌ映画祭で最高賞を受賞

 2014年の「カンヌ国際映画祭」でパルム・ドール(最高賞)を獲得したトルコ作品、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の『雪の轍(わだち)』が6月27日より公開中である。既に、彼の作品は世界各国で上映され、高い評価を受けている。しかし、日本では本作が初公開で、今後、他の秀作の公開が待たれる。

カッパドキアのホテル

主人公アイドゥン
(C)2014 Zeyno Film Memento Films Production Bredok Film Production Arte France Cinema NBC Film

  画面の隅から閃光のような一条の光が、暗闇の中から浮かび上がる。トルコが誇る奇岩、地下都市で世界的に知られる観光地、カッパドキアを走る車のヘッドライトである。ここから、作品の舞台である奇岩のカッパドキアへ誘われる。ジェイラン監督持ち前の映像感覚が冴える。本作を見てこの地へ旅する人は間違いなく出るであろう。
トルコ中央部アナトリア高原に広がる大奇岩地帯のカッパドキアは、世界遺産で、観光的に馴染みの深い景勝地である。このロケーション、『雪の轍』の影の主人公でもある。
ホテルの前に止めた車から、1人の初老の男が降り立つ。ホテルのオーナーである。ホテル名は「オセロ」、元舞台俳優であった主人のアイドゥン(トルコを代表する国民的俳優ハルク・ビルギネル)の思い入れの命名である。


物語の始まり

主人公アイドゥン
(C)2014 Zeyno Film Memento Films Production Bredok Film Production Arte France Cinema NBC Film

 オーナーのアイドゥンは、父の遺産を受け継ぎ、店舗や家作を持ち、悠々自適の生活を送る知識人で、現在は、地元紙へ寄稿し、将来的には「トルコ演劇史」について執筆する希望を持つ。家庭には若く美しい妻ニハルと出戻りの妹ネジラ、他に番頭役の使用人夫妻がいる。
物語の始まりの事件は、彼が街へ使用人と車で出た折、1人の少年から投石を受ける。
少年の父は、彼の借家人で、家賃滞納で、彼の雇う弁護士の手により家具を差し押さえられ、幼い息子が投石に及んだ。その子供を取り押さえ、車で送り届けたところ、差し押さえを根に持つ父が逆ネジを食らわせ、おまけに、その弟のイスラム教導師まで絡み、混乱を招く。イスラム導師の弟が、色々とかき回し、大家のアイドゥンをいささかうんざりさせる。


家庭での姿

主人公の妻ニハル
(C)2014 Zeyno Film Memento Films Production Bredok Film Production Arte France Cinema NBC Film

 ホテルのオーナーのアイドゥンは、実業にはあまり関与せず、1日中書斎にこもり、文人のような毎日を送っている。その彼に対し、出戻りの妹ネジラは不満の様子で、彼の新聞連載のエッセーを酷評し毒づく、まるで自身の不平不満のうっぷん晴らしの様だ。この毒のある会話、人間の心の中の隠れた部分をえぐり出す。



妻の慈善活動

主人公の妻ニハル
(C)2014 Zeyno Film Memento Films Production Bredok Film Production Arte France Cinema NBC Film

 アンドゥンは、若く、美しい妻ニハルとも心のすれ違いを積み重ねる。そして、彼女は、それぞれの道を歩むべきとし、別れを迫る。その引き金が、彼女が主宰する慈善活動である。夫の財産を使っての活動であるが、夫の関与を妻は拒む。更に、夫にとり不快なのは、活動仲間の男性と妻が親しく言葉を交わすことであった。この一件の後、夫は相当額の金を残し、家を出てイスタンブールへ、深い雪の中、出発する。
妻の夫に対する姿勢が非常に厳しい。彼女は夫婦間の誠実さに飽き足らず、もっと、心と心の結び付きが必要と訴える。過剰とも取れる妻の要求に、明らかに夫は扱い兼ねる様子だ。

女性の描き方

冬のカッパドキアのホテル
(C)2014 Zeyno Film Memento Films Production Bredok Film Production Arte France Cinema NBC Film

 前作『スリー・モンキーズ』(08/本邦未公開)でも見られたが、ジェイラン作品には、女性の描き方に辛辣さがある。
妹の傍若無人と思える酷評と毒舌、そして、若い妻の、夫の財産を使っての慈善活動の在り方、その上、精神性まで踏み込む彼女の発言と、理不尽さが明白に見える。ここに、女性の独善性、身勝手さを衝き、ジェイラン監督の女性観の一端が示されているようだ。


慈悲とイスラムの誇り

 夫が家を出た後、妻ニハルは、夫が残した札束を携さえて借家人の家を訪問し、金を渡そうとする。その額は家一軒が買えるほどの大枚であるが、拒否され、その上、暖炉にくべられてしまう。施しを受けることの拒絶であり、誇り高いイスラム教信者の矜持と取れる行為だ。夫の金で施しをする妻の甘えた精神構造が露呈される、強烈な場面だ。

知識人としての主人公

 ホテルのオーナーで裕福なアイドゥンは、仕事を他人に任せ、好きな道に生きる知識人である。
宗教的には、一応、イスラム教徒だが、宗教心は薄い。彼は、むしろ西欧的知識人としての自己を追い求めている。
宗教的要素として、借家人の兄弟、特に、イスラム教導師の弟に重点を置いている。善意だが、うっとうしい存在として描かれるその導師に対し、アイドゥンは一定の距離を置くところが見られる。この距離感がアイドゥンの宗教観であろう。主人公を、宗教に馴染まない人間として描き上げられ、イスラム教世界と西欧文明との曖昧な関係の中で生きる知識人像は、ジェイラン監督自身と重なり合う。
ジェイラン監督の作風は人間の関係性の考察であり、一歩引いて物事を見る手法といえる。『雪の轍』では、彼自身、「登場人物を通して、人間の魂の暗部への探求」が狙いと述べている。


ジェイラン監督

 今やトルコ映画界を代表する監督と目されるジェイラン監督の作品だが、本作『雪の轍』が本邦初公開である。例外的にCSテレビ放映や映画祭上映はあった。
彼は1959年、イスタンブール生れで、現在56歳である。1997年に長篇第1回作品『カサバ − 町』を、ベルリン映画祭フォーラム部門に出品、カリガリ映画賞を獲得、その後、着々とキャリアを積み、2003年の『冬の街』でカンヌ映画祭グランプリ(第2席)と主演男優賞を得、この受賞で同映画祭に認知され、後の受賞へとつながる。さらに、2006年には同映画祭で、『うつろいの季節』で批評家賞、2008年に『スリー・モンキーズ』で監督賞、2009年には審査員(この年にパルム・ドールはミヒャエル・ハネケ監督の『白いリボン』)、そして、2011年には『昔々、アナトリアで』で2回目のグランプリを受賞と、カンヌ映画祭で見事な受賞歴を誇り、2014年、7本目の長篇『雪の轍』で、待望のパルム・ドールを獲得した。彼はカンヌ映画祭に育てられたトルコ人監督である。トルコ映画の受賞は同国映画100周年に花を添えるものである。また、トルコのカンヌ映画祭受賞は1982年の「路」(ユルマズ・ギュネイ監督)以来だ。



日本との関わり

 作中、カッパドキアのホテルの宿泊客として若い2人の日本人が登場するが、ここに彼の我が国へ関心を寄せていることが推察できる。
ジェイラン監督は、2007年にSKIPシティ国際D−CINEMA映画祭で『うつろいの季節』を出品し、最優秀作品賞に輝き、賞金1000万円を獲得した。その賞金が、次回作『スリー・モンキーズ』の製作資金の一部として活用され、感謝したエピソードがある。
196分と長尺であるが、たるみがなく、一気に見せる強さがある。アート系作品の範疇に入る本作、人間の内面を照射し、往年のイングマール・ベルイマン監督を彷彿させる、また、監督自身写真家でもあり、映像感覚は見ものである。





(文中敬称略)

《了》


6月27日(土)から角川シネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー公開中

映像新聞2015年7月6日掲載号より転載

 

 

 

中川洋吉・映画評論家