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「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」
キューバ作品が最優秀賞
長編部門 ノミネート12本を上映

 「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2015」(主催=埼玉県、川口市、SKIPシティ国際映画祭実行委員会ほか/以下、Dシネマ映画祭)が、7月18日(土)から26日(日)の9日間、川口市のSKIPシティ彩の国ビジュアルプラザおよび産業技術総合センター多目的ホールなどで開催された。今年で12回目を迎えた同映画祭は、地元川口市にすっかり定着した。コンペ長篇部門では日本を含め75の国と地域から合計469本の応募があり、海外9本、国内3本の12作品が選出・上映された。


Dシネマとは

 この映画祭のタイトル「Dシネマ」とは、デジタルシネマの略で、発足当時はまだまだフィルム撮影の時代であり、デジタルは少数派であった。しかし、現在は、大部分の作品はデジタル仕上げであり、フィルム作品の方が珍しい時代となった。出品資格は長篇4本未満の製作と制限され、対象は新人監督と言ってよい。また、埼玉県という地域性を踏まえ、同県出身監督作品を鋭意取り上げている。


群を抜くキューバ作品

「ビヘイビア」
(C)RTV COMERCIAL, Ernesto Daranas & Alejandro Perez

 今年の選考作品の中で、一際目を引いたのが、キューバ作品で長編部門最優秀作品『ビヘイビア』(エルネスト・ダラナス・セラーノ監督)である。
現在のキューバが写し取られ、その点でも注目に値する。映画祭の大きな魅力1つは、作品自体の持つ地域性にあり、本作は、まさにそのものズバリといえる。ただし本作の舞台は、つい先頃結ばれた、米・キューバ国交回復以前のキューバである。この回復により、今後、より多くのキューバ作品や作家の、映画大国アメリカとの交流が盛んになるであろう。
『ビヘイビア』の主人公たちは、貧しい都市住人である。主人公の少年は小学校の高学年の生徒であり、彼は、薬物中毒の母親との2人住い。冒頭、彼が自宅の屋上から鳩を放すシーンは、大島渚監督の『愛と希望の街』(1959年)の鳩売り少年を思い起こさせる。監督は、ひょっとしたら大島作品が頭にあったのではなかろうか。何か少年の行く先を暗示するシーンだ。
この母子家庭と同時に、重要なのが、彼が通う小学校である。この二つの世界を少年に往来させるのが脚本の仕掛けである。
少年は、精神状態の不安定な母親を抱え、いつもイライラし、反抗的な性格の持主である。彼は少しでも家計の助けと思い、知り合いの男が手掛けるモグリ闘犬の手伝いをし、小遣いを稼ぐ。ここで、少年の生活状況が示され、サイドが固められる。


困難な状況下で示す教育の原点

 メインの物語は小学校であり、最大の主人公はベテランの女性教師カルメラである。彼女は、定年を過ぎても職にあり、少年少女たちの教育に力を注ぐ。このベテラン教師は、子供たちの個を引き出すことを教育の根幹とし、それ故に、子供たちも彼女になつくが、時として、子供たちの行動に問題が生じると、「ダメなものはダメ」と、毅然たる態度で接する。
ここに、在るべき教育の姿が提示される。クラスでの少年は、乱暴者として通り、問題児扱いである。
ある時、カルメラが体調不良を訴え、しばらく休み、新任の女性教師が代行となり、少年を施設へ送り込む話が出て、カルメラの意を知る教職員の間で賛否の議論が起きる。規則通りの、無難な官僚的処分を主張する管理職や若手教員たちの立場に、現代キューバ社会の官僚主義が嫌でも浮かび上がる。少年が思いを寄せるクラスの少女の父は、パレスチナの移民で、市場で小商いをしている。彼は、住居制限され、都市を去らねばならない。ここにも政治が顔を出す。決して反体制ではないが、現代キューバの問題と矛盾点が現われている。
作品で強く言わんとすることは、教育における人と人とのつながりの尊重で、これは教育の原点だ。それを、カルメラを頂点とする少年のクラスの人間関係へと視線を向けさせている。
「Dシネマ映画祭」の選考作品は一般配給が極めて難しいが、本作の日本公開を是非望みたい。



救いのない世界

「絶え間ない悲しみ」
(C)TIRISIA CINE

 第2席の監督賞は、メキシコの『絶え間ない悲しみ』(ホルヘ・ペレス・ソラーノ監督)である。本作では、メキシコの片田舎で展開される、救いのない人間模様が描かれている。
ある1人の男シルヴェストレは、人妻チェバと、自分の若い娘エンジェル2人を妊娠させる。設定自体がトンデモものであるが、物語に実在感がある。シルヴェストレは塩田労働者で、来る日も来る日も、炎天下で苛酷な労働に従事する彼には、現状からの脱出願望がある。その合間に、2人の女性と関係を持つ。
出口の見えぬ状況下での貧しい人間の生き方がリアリズム手法で描かれ、特に、選挙運動すら、ささやかなイベントと化す、覇気のない日常は驚きだ。
この突き放した描き方は、メキシコの底辺の人々の貧困を告発している。『ビヘイビア』と『絶え間ない悲しみ』には、苦悩する中南米諸国の格差社会が否応なく写し出されている。


それぞれの家族の形

「君だってかわいくないよ」
(C)Savage Productions

 第3席の脚本賞は、アイルランドの『君だってかわいくないよ』(マーク・ヌーナン監督)である。物語の発想がユニークだ。
ある中年男は、母の死により孤児となった幼い姪の面倒を見るために、刑務所から仮釈放される。彼の罪状は、少女の両親の喧嘩の仲裁での、過失致死である。
少女は性格的にクセがあり、その人物設定が面白い。彼女は、気持ちが素直に外へ出ない屈折したタイプであり、しかも、小生意気な性格ときて、叔父を手こずらせる。
住居は、片田舎のキャンピングカー、そこへ2軒隣の元教師の女性が暴力を逃れ助けを求め、深夜、突然訪れる。この男女、そして、少女との家族関係のよみがえりが作品の見所となる。閑散とし暗いアイルランド独特の田舎の風景、そこで展開される人の生き様が興味深い。


日本作品

「あした生きるという旅」
(C)Hanae Uchida
 日本作品3本中、ドキュメンタリー『あした生きるという旅』(内田英恵監督)は、SKIPシティアワードを獲得した。ALS(筋委縮性側索硬化症)の中年男性とその妻の記録。男性は徐々に全身の筋肉が萎え、目と頭脳だけが正常である厄介な症状である。
全身不随の彼は、生きることの意味を自問自答する。彼が得た結論は「明日を生きる」という、単純かつ明快なものである。そして、彼は同じ病で苦しむ人を激励するために、担架に乗り、海外にまで足を運ぶ。もちろん妻や息子、若いボランティアの助けを借りて。
映画撮影は、彼の生きた記録であり、患者自身の希望でもある。それを大勢の人々がサポートしており、大変な努力と労力が注ぎ込まれている。作品からは、造り手の患者に寄り添う意気が伝わる。この点が作品を強くしている。



提言

 長編部門は全体的に特出した作品はない。ただし、『ビヘイビア』と『あしたを生きるという旅』に助けられた感は否めない。また、アジアの中韓台を中心とする国々からの選考がないのは腑(ふ)に落ちない。
デジタル映像が主流の世界の映画界で、デジタルだけを看板にすることは今や無理があり、何らかの部門に特化する必要がある。例えば、社会派、ミュージカル、喜劇、ポリシエなど、特定のターゲットに絞り込むことを考えねば、映画祭そのものの存在が問われかねない。

 



(文中敬称略)

《了》


映像新聞2015年8月10日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家