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「しあわせへのまわり道」
ミスマッチな中年男女の出会い
良質なメロドラマに仕上げる

 ニューヨークを舞台とするイザベル・コイシェ監督の新作『しあわせへのまわり道』(原題 "Leaning to Drive")は、人生について考えさせる、良質な1作である。彼女を一躍有名にしたので『死ぬまでにしたい10のこと』(03)である。余命、数か月の若い子持ちの主婦サラ・ポーリーが、残す子供のためにすべきことを箇条書きに、例えば、「娘たちが18歳になるまで、誕生日のメッセージを贈る」など心優しくも厳しい現実との向き合いを描いている。コイシェ監督作品となれば見なずばなるまい。


人生の暗転

教習中の二人
(C)2015,BPG Releasing,LLC.All Rights Reserved.

 ニューヨーク、マンハッタンのアッパー・ウェストサイドの高級アパルトマンに住むウェンディ(パトリシア・クラークソン)は著名な文芸評論家で、対外的には押しも押されぬ勝ち組である。幸せな家庭、名声とそれに伴う収入、何ひとつ不自由のない境遇だ。その彼女が、ある日、突然、21年間生活を共にした夫が若い女性の許へ走り、絶望のどん底に落とされる。想像だにしなかった激変に、彼女は悲しみと悔しさを味わう。
文壇で活躍する彼女は、自己中心に振る舞い、夫の存在をないがしろにし、読書とPCに向う日常であった。これでは、何のための結婚生活か、夫が不満を募(つの)らせるのも無理からぬ話である。彼女は、自身の、他者に対する思いやりと気遣いを置き忘れ、輝く成功に酔い、結婚生活を過ごしてきた。
この主人公の設定が、物語として非常に重要である。ハナシとしては、そこで、何らかの手段で乗り越えねば、物語は成り立たない。そこで、小道具をして妙案が編み出される。


布石の小道具

母と娘
(C)2015,BPG Releasing,LLC.All Rights Reserved.

 ウェンディの状態を心配して遠路はるばる車で駆けつけるのが、1人娘のターシャ(グレース・ガマー、出演作「フランシス・ハ」[12]、大女優メリル・ストリープの娘)である。ウェンディは、田舎の娘宅へ身を寄せるにも、今まで夫任せで自らハンドルも握らず、自身が免許証を持たないことに気付く。この免許証こそ、物語の布石である。
ある時、ウェンディはタクシーに忘れ物をするが、ターバンを頭にした中年のドライバー、ダルワーン(ベン・キングスレー)が、わざわざ自宅へ届けてくれる。これが、普通であれば出会うことのない、2人の最初の出会いである。
ウェンディは、知識階級に属する裕福な「エエシ」の奥様、ダルワーンはインドのシク教徒の移民、ターバンにひげの中年男だ。出自の全く異なる2人の男女の出会いこそ、物語を弾ませる。
高級住宅街のインテリ女性と、インド人独身男性だけの共同生活のダルワーンとの対比が面白い。しかも、ダルワーンは故国では大学教授で、移民先では、生活のためにタクシーと教習所教官の掛け持ちだ。
彼の信仰するシク教は15世紀にインドで起きたヒンドゥ教改革派、宗教界全体では少数派で差別の対象となり、アメリカへ移住、その多くは、社会の下層部分に属し、主人公のダルワーンも例外ではない。


教習所教官

インド式結婚式
(C)2015,BPG Releasing,LLC.All Rights Reserved.

 自身、無免許で、1人で動けない不便さを悟ったウェンディは、取り敢えず、たまたま知り合ったダルワーンから運転教習を受ける。人生、総てに投げやりな彼女、教習もあまり身が入らない。教官のダルワーンは、単なる移民の教官でない風格を漂わせ、キングスレーの知的で思慮深い演技が光る。知的で上品なウェンディ、さして豊かでない、インド移民のダルワーンのコンビのミスマッチが作品の骨格となっている。
彼は、彼女に、「運転中は平常心を保つことが大事、勿論、実生活においても」と、哲学者のように説く。落ち込む彼女にとり、この誠実でインテリジェンスをたたえた男の助言は、ムゲに否定しようもなかった。
さらに重要な台詞は「人生に何が起きようと、運転に持ち込むな。今を生きる君の人生こそ、大事にして欲しい」とアドヴァイスする。胸に染入る一言だ。



節度と抑制が大きなテーマに

海岸の2人
(C)2015,BPG Releasing,LLC.All Rights Reserved.

 互いに信頼を寄せる2人、会話は格段に弾み、互いの身の上について語り合う。
ウェンディは、元々の富裕階層出身でなく、ニューヨークの低所得者層が多く住む地区出身と、男性は、自身がシク教徒であるが故に故国で差別にあい、そのためにアメリカに亡命した過去を話す。この期に及び2人には互いを理解する大人の友情が芽生える。しかし、そこには互いを尊重する節度と抑制がある。
この節度と抑制が、作品の大きなテーマとなる。独身の彼は故郷から、彼らの習慣通り、嫁を呼び寄せる。同族以外の結婚を認めたがらないユダヤ人社会と似ている。

 

向き合う2人
(C)2015,BPG Releasing,LLC.All Rights Reserved.

 2人の親近感は、ハッピーエンドと落ち着くのが定番である。しかし、本作では、従来のハリウッド方式をひっくり返す。いわゆる、ハリウッド風の「男臭いノリ」の否定である。
暴力性を否定し、2人の静かな信頼に基づく、大人の分別が前面に押し出され、男社会のもたらす荒さやガサツさを切り捨て、互いの文化を尊重し、生き方を受け入れる。非ハリウッド風の感性が清涼感をもたらす。
腕力や性愛に頼らず、人間性を謳いあげ、2人の主人公が持つ上品な聡明さと、慎み深い教養の高さが、クラークソンと、キングスレーにより、しみじみと演じられている。ここに、コイシェ監督の、女性特有の奥深い視線が感じられる。


老いの予感と自覚

ウェンディ
(C)2015,BPG Releasing,LLC.All Rights Reserved.

 ウェンディとダルワーンの間柄から発せられるのは、それぞれの老いの予感と自覚である。確固たる地位を既に築いた文芸評論家の彼女には、当然、後がない焦燥感にさい悩ませることは疑いの余地がない。
恵まれた容姿を持つ女性にとり、老いへの恐れは大きい。自身の容色の衰えと、離婚によるダブルパンチで内面的な打撃を受け、自信が揺らぐのは当然である。
その揺らぎを乗り越え、再生につなげる作業は、女優クラークソンと監督コイシェの共同作業([注]一般的にコラボレーションと呼ぶが、コラボとは第2次大戦中のフランス人の対独協力者コラボを指すもので、筆者は混同を避けるために使用しない。)の良い面が出ている。
そして、自己の再生へと立ち向かう彼女を支えるのがキングスレー扮するシク教徒移民のダルワーンの存在である。彼自身は、新妻を迎えての「まっさらな」人生へと向き合い、ウェンディへの好意を抑える様(さま)は、男性の侠気を滲ませている。一言でいえば、恰好が良いのだ。コイシェxクラークソンxキングスレーの知的作業が好稼働した結果である。勿論、原作の持つハナシとしての良さと、2人の中年男女に絞った脚本の良さも効いている。


ニューヨークライフ

タクシーの2人
(C)2015,BPG Releasing,LLC.All Rights Reserved.
 既述のように、男臭さを前面に押し出すハリウッド方式を離れたところで、『しあわせへのまわり道』の清々しいスタイルが生み出され、作り手の狙いがすんなりと極まるところに本作の良さがある。それは、男女の機微を描く良質なメロドラマである。メロドラマは、映画の原点であることは否定できない。
最後に特記したいことは、背景たるニューヨークの都会の喧騒感と活気は粋で、良い雰囲気の醸成に寄与している。



 



(文中敬称略)

《了》


8月28日(金)よりTOHOシネマズ日本橋&TOHOシネマズ六本木ほか全国公開中。

映像新聞2015年9月7日掲載号より転載

 

 

 

中川洋吉・映画評論家