「黒衣の刺客」
創意工夫に溢れる見事な映像美
台湾ホウ監督の時代劇アクション |
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本年の「第68回カンヌ国際映画祭」で、台湾の国民的監督、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の8年ぶりの新作『黒衣の刺客』が「監督賞」を獲得し、アジア映画、唯一の受賞に輝いた。人間の暮らしや生き方をじっと見詰める同監督としては、全くジャンルの違う時代劇アクションだが、そのスタイリッシュな完成度の高さは見ものだ。
中国の時代ものは、背景や人物関係が複雑で、筋について行くことに骨が折れる。例えば、「三国志」がその好例で、外国人には分かり難い。
本作も、最初に時代背景が頭に入れば、チンプンカンプンに陥らない。
物語の時代は8世紀後半、舞台は唐王朝であることを先ず頭に入れて欲しい。日本で言えば、平安時代前期に当る。この頃、唐王朝の支配力が揺らぎ、野望と権謀術数の権力争いの時代を背景とし、スー・チー扮する黒衣の女刺客、インニャンを中心に群雄たちが鎬(しのぎ)を削る。
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カンヌ映画祭記者会見でのホウ監督
(C)八玉企画
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ホウ監督は、8世紀後半、唐代が終焉する時期に栄えた、女刺客が活躍する、伝奇小説から脚本の基本的アイディアを得た。元々、伝奇小説を学生時代から愛読し、出来ればスカイプで唐代とつながることを真剣に考えたそうだ。ここに、彼の物語に対する思い入れがある。
この時代のアクションものは武侠映画と呼ばれ、香港のカンフー映画、日本なら侍もの、アメリカでは西部劇と並ぶジャンルだ。
彼にとり、初めてのタイプの作品であるが、アクションシーンは飽くまで手段であり、基本的には波乱万丈の壮大なハナシを語ることを主眼としている。
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刺客 スー・チー
(C)2015 Spot Films, Sil-Metropole Organisation Ltd, Central Motion Picture International Corp.
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冒頭シーンには強いインパクトがある。小高い丘の上に2人の女性が麓を見つめている。黒衣の若い女性インニャンと彼女の師匠である女道士ジャーシン(シュー・ファンイー)で、インニャンはジャーシンに13年間預けられ、暗殺者として育てられる。
暗殺者インニャンの標的は、暴君のティエン・ジィアンで、傾きかけた唐朝の存在を危くする、各地の群雄たちの有力な1人である。女道士ジャーシンの命に従い、インニャンは丘を下り、都へと足を踏み入れる。黒装束のインニャン、白装束のジャーシンの2人の美女が、モノクロ画面の中に現れる。質感の強いこの映像は見る者を圧倒する。
観客は、出だしから「何かありそう」とワクワク感に捉われる。ホウ監督の映像センスが光り、当然ながら、その後の展開は、じっくりと総天然色で極める。この対比は視覚的に心地よい。参考ながら、白装束の女道士に扮するシュー・ファンイーは台湾出身で、若くして渡米し、世界的舞踏家として活躍する44歳の女性、しびれるほどの恰好良さが持味だ。
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刺客の仇敵
(C)2015 Spot Films, Sil-Metropole Organisation Ltd, Central Motion Picture International Corp.
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彼女に下された暗殺命令は、地方を支配する群雄の1人、ティエン・ジィアンである。彼の豪勢な館に侵入する彼女は、片割れの玉?を残し立ち去る。それに驚くのが標的たる館の主ティエン・ジィアンである。かつて2人は許嫁であったが、中央と地方の抗争の果て、敵対関係となる。
1人の黒衣の女剣士が、政敵へ放たれ刺客となるストーリーは、わが国の時代劇の元ネタとなった講談の趣きがある。これらは唐代の伝奇小説が元となっているのかも知れない。
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妻夫木聡
(C)2015 Spot Films, Sil-Metropole Organisation Ltd, Central Motion Picture International Corp.
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スーチー扮する黒衣の刺客は、当然のことながら、敵方から命を狙われ、あわやという場面で日本人青年(妻夫木聡)に命を救われる。彼は、遣唐使として唐に渡り、船が難破し、帰国の船待ちの身である。
何かとってつけたような配役で、製作側の日本マネー引き出しのようにも推測できる。人気俳優妻夫木聡は、本作では脇に廻り、若干、影が薄い。
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宮中
(C)2015 Spot Films, Sil-Metropole Organisation Ltd, Central Motion Picture International Corp.
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何度も敵に襲われる主人公だが、彼女にもチャンスがあった。しかし、そこは、相手が昔の許嫁でもあり、今一歩踏み込めない。このストーリー展開は、大衆娯楽小説の王道で、神代の昔から綿々と受け継がれた娯楽映画(あるいは小説)の定法であり、それ故に、大衆に愛されてきた。ストーリーの展開の波乱万丈振りは確かに面白く、それに華を添えるスー・チーの女刺客のキレの良さ、40歳近い彼女の美貌は凄味を帯びている。
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カンヌ映画祭記者会見でのスー・チー
(C)八玉企画
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ハナシはアクション交じりであるが、全篇ヴァイオレンスで突っ走ることを否定し、静かな中での衝動的行為としての人間の争いを見せるのがホウ監督の狙いである。さらに、コン・リーの姿を見なくなって久しい中国映画界の中にあり、今やアジアNO1女優としてのスー・チーの存在が、作品のウリとなっている。
その上、この良質で計算され尽くした本作には、映像面の工夫・創意が充分すぎるほど施され、作品の視覚的見どころとなっている。
娯楽小説の原型とも言うべき、武侠小説の映画化の効果を盛り上げる要素の一番は映像美であることを、ホウ監督は熟知している。この傾向、中国映画ではチャン・イーモウ監督、チェン・カイコー監督作品を見ても明らかである。この卓越した映像は、撮影監督であるリー・ピンビンの手腕によるところが大きい。彼は「台湾ニューウェーブ」草創期世代に属し、85年の『童年往時−時の流れ−』以来のチームメイトで、『フラワーズ・オヴ・シャンハイ』(98)、日本映画では『トロッコ』(09)(川口浩史監督)で持てる技量をいかんなく発揮している。
冒頭の質感の強いモノクロ部分、ラスト近くの登場人物がすんなりと景色に溶け込むシーンは驚きだ。また、夜景、焦点深度を効かせた室内での奥行きの深い縦構図、色彩の強調などの光線設計は精緻を極め、あたかも名人の手になる工芸品のようで、見事の一語に尽きる。台詞を抑え、映像で押す美術プランの狙いが成功している。
今年のカンヌ映画祭のパルムドールはジャック・オディアール監督(仏)の『ディーパン』に落着き、例年、必ず出現する忘れられた秀作、例を挙げるならば、ナンニ・モレッティ監督(伊)の『私の母』、パオロ・ソレンティーノ監督(伊)の『若さ』などがあった。その中にあり、『黒衣の刺客』は唯一のアジア作品であり、若干、地政学的配慮は感じるが、受賞に値する作品だ。
映像的感興の高さ、意図的なアジア的視覚を強調する『黒衣の刺客』は、良質な娯楽に徹し、映画の醍醐味を味あわせてくれる1作だ。
(文中敬称略)
《了》
9月12日(土)より、新宿ピカデリーほか全国ロードショー中
映像新聞2015年9月14日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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