「顔のないヒトラーたち」
「アウシュヴィッツ裁判」題材に描く
若い検察官らの勇気ある活躍 |
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ナチス・ヒトラーの戦争犯罪を扱うドイツ映画『顔のないヒトラーたち』(ジュリオ・リッチャレッリ監督)は、実話をベースとしたフィクションで、奇をてらわず、ヒトラーの煽動に進んで乗ったドイツ国民に対する考察でもある。近年、若い世代が年々、ヨーロッパ映画を見ない傾向があり、これに風穴を開ける意味でも見て貰いたい作品だ。戦後70年の今年、われわれがいまだ知らなかった、戦後ドイツの(正確には東西分裂後の西ドイツ)の隠されたナチス戦争犯罪と対決する権力内の試行錯誤が掘り起こされ、戦後ドイツ初期の現代史の一端が提示される。
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ヨハン検事
(C)2014 Claussen+W?bke+Putz Filmproduktion GmbH / naked eye filmproduction GmbH & Co.KG
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敗戦によりドイツは東西に分割され、西独は経済復興のためソ連(現ロシア)と対峙し、逸早くアメリカの後ろ盾によるNATO(北太平洋条約機構)に加盟し、フランス、英国などの旧敵対国との友好をはかり、ヨーロッパ内で驚異の復興を遂げた。たとえソ連を敵に廻してもアメリカ、ヨーロッパ諸国との友好関係をバネに、荒廃した国力を回復し、東西ドイツを統一させ、今やフランスと並び、EUの盟主となった。
その間、ナチスがもたらした戦争犯罪に対し、賠償と謝罪をし、周辺諸国からドイツの脅威を取り除いた。賠償、謝罪は、人道的視点から行われたが、国益の増大にも大きく寄与した。この政治性、ドイツのしたたかさが見られる。
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ヨハン検事(左)とマレーネ
(C)2014 Claussen+W?bke+Putz Filmproduktion GmbH / naked eye filmproduction GmbH & Co.KG
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『顔のないヒトラーたち』の時期は1958年、終戦から13年後と設定されている。当時、敗戦による壊滅的打撃を受けたにも拘らず、経済復興の順調な進展により、ナチスの戦争犯罪は過去のものとする風潮が根強かった。物語はジャーナリストのトーマス・グルニカが、元アウシュヴィッツ収容者であった友人のシモンから驚くべき事実を聞かされる。小学校の運動場の前を通り過ぎる冒頭のシーンである。彼は、校庭での元ナチス親衛隊SSの現在の教師姿を目にしたのだ。
当時のドイツでは、元ナチスは法律により公務員になれなかった。驚いたシモンはこの事実をグルニカに話し、シモンに代わりジャーナリストが検察に苦情を申し立てるが、誰一人として訴えに聞く耳を持たなかった。
多くの西ドイツ国民は、戦争の記憶を過去のものとして忘れ去ろうとしてきた。元ナチスの公務員禁止にも拘らず。わざわざ寝た子を起こすことはないとする、いわゆる大人の対応である。日本では、戦前の軍幹部は自衛隊に入り、細菌戦争の実行犯たる軍医上層部の1人はミドリ十字幹部となり、薬害エイズ事件を引き起こし、散々、人々を苦しめた憲兵や特高、警察幹部は社会の中に潜ったままである。例えば、作家、小林多喜二(代表作、「蟹工船」)を拷問死させた特高の責任問題はうやむやである。
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チーム・ヨハン
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1人のジャーナリストの苦情申し立ては顧みられず、ただ1人この件に注目したのが、新人検察官ヨハン・ラドマン(アレクサンダー・フェーリング)である。若い彼は、主として交通違反ばかりやらされ、腐り気味であった。本人はやる気十分の正義漢であり、交通事故を起こした若い女性に罰金を求刑するが、彼女に支払能力がないことを知り、一部を立て替える堅物の人情家でもある。
この若い女性マレーネ・ウォンドラック(フリーデリーケ・ベヒト、『ハンナ・アーレント』では若い時代のアーレントを演じている)は、後にヨハンの恋人となる伏線がある。
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ヨハン検事(左)、グニルカ(ジャーナリスト)
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元親衛隊員が公職に就いている事件が1958年に発覚したが、検察はナチスの戦争犯罪には触れたがらず、臭いものに蓋のタブー視を続けた。そこを若い検事ヨハンの孤軍奮闘で、閉ざされた門がこじ開けられた。あたかも、ヒトラーの死でナチスが全滅したかのように、一般ドイツ人は思いたがり、触れたくない、忘れたい、の心情である。
ヨハンたちの作業は困難を極めた。上層部はいい顔をせず、検事総長フリッツ・バウアー(ゲルト・フォス=主として舞台で活躍した名優で、彼の表情を変えない懐の深い演技は絶品)は、殺人の確固たる証拠がない以上、訴追不可能との判断を伝える。
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取り調べ
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事件の発端となった元収容者の証言の後、たまたまシモンのアパルトマンを訪ねたヨハンは、親衛隊員の名簿を発見する。証拠文書の一端が見つかり、検事総長からのOKサインが出るが、チーム・ヨハンは同僚の検事1人と、ベテランの女性秘書だけと余りに手薄な人員である。この3人が力を合わせ、気の遠くなるほどの書類と格闘することになる。
彼らの仕事に対し、検察内には反発するグループも当然存在する。彼らは「君(ヨハン)のせいで若者が父親世代を、犯罪者だったかを問い詰めることになってもいいのか」と迫るのであった。
この脅し文句、フランスの68年5月革命の時、保守派から革新派の若者たちへ投げかけられた「父親たちは戦時中何をしていたか」との問いと同類である。ナチス協力者「コラボではなかったか」の意である。フランスの場合は、家父長制度、縦型社会システムへの若者たちの突き上げを批判する言辞である。
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ヨハンとマレーネ
(C)2014 Claussen+W?bke+Putz Filmproduktion GmbH / naked eye filmproduction GmbH & Co.KG
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チーム・ヨハンは当時、西ドイツに駐留していたアメリカ軍への接触の結果、彼らは60万人分の親衛隊のファイルを保持していることが判明する。この中で、アウシュヴィッツで働いていた8000人の生存を調査するという、膨大な作業をドイツ全域の電話帳から割り出さねばならなかった。
その中には「死の天使」と呼ばれた、アウシュヴィッツの医師で人体実験をしたことで知られるメンゲレ医師の名前もあった。彼は南米へ逃亡し、時々、故郷の家族の許を訪れている事実を掴むが、ドイツ情報機関の協力が得られず、取り逃す痛恨事があった。
多くのナチスの幹部たちが南米へ逃れたが、これにはカトリック教会の関与があったことがコスタ・ガブラス監督の『ホロコースト−アドルフ・ヒットラーの洗礼−Amen』(02)(日本未公開)でも明らかにされている。
その中で最大の成果は、イスラエルの情報機関モサッドが南米アルゼンチンに潜伏中のアイヒマンを逮捕したことだ。イスラエルまで秘密裡に移送し、裁判にかけ、1962年に彼を死刑に処している。この裁判の影響もあり、63年12月からアウシュヴィッツ裁判が開かれ、収容所でホロコーストに携わった22人のナチス戦犯を裁いた。
この後、ナチスの犯罪を二度と繰り返さない意識が芽生え、ドイツ国民の共通認識となった。しかし、被告たちは、自らの犯罪を認めず、「自分は命令に従っただけ」と主張し、後味の悪さを残した。
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米軍代表
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戦後のドイツでは、ナチスの戦争犯罪に目をつむり、矮少(わいしょう)化する傾向があり、政府機関にも多くの元ナチスが働いていた。それが1人の若い検察官の地道な努力により、悪しき社会的傾向が正しい方向へと道筋を変えたことを本作『顔のないヒトラーたち』は述べている。
戦前のドイツにおけるナチスの台頭を黙認し、それを支えた多くのドイツ人の存在は『あの日のように抱きしめたい』(拙稿8月24日号)で描かれている。その後、アウシュヴィッツ裁判により、ドイツ国民の歴史意識が変化するきっかけを、本作が描き出した。勇気ある事実の告発、公表である。
監督はイタリア生まれで、ドイツで活躍する今年50歳のジュリオ・リッチャレッリで、彼の第1回長篇作品である。大した力業だ。
本年度の洋画のベスト作品の1本であることは固い。
(文中敬称略)
《了》
公開、10月3日(土)、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開
映像新聞2015年9月28日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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