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「FOUJITA」
パリ画壇の人気画家「藤田嗣治」
戦前と戦後の生き様を描く

 藤田嗣治(ふじた・つぐはる/1886−1968年)といえば、戦前のパリ画壇の人気画家、当時の日本における数少ない「セカイ」の枕詞(まくらことば)が通じる存在であった。その彼の戦前と戦後にスポットを当てた作品が『FOUJITA』(小栗康平監督)である。2005年の『埋れ木』(第43回カンヌ国際映画祭監督週間上映)以来8年振りのメガホンであり、同監督の演出感覚が光る。

資産家の息子

戦時中の藤田
(C)2015「FOUJITA」製作委員会/ユーロワイド

 藤田嗣治(オダギリ・ジョー)は、東京の飯田橋と神楽坂の中間にある新小川町生まれであり、父親嗣章は陸軍々医総監(作家の森鴎外も同職)と、裕福な家庭の子弟である。高師附属小中(現・筑波大学附属)から東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)に入学、西洋画を専攻。彼の主任教員が、日本洋画界の大物黒田清輝であった。この子弟関係が、藤田の画風決定に反面的教師の役割を果たしたと思われる。
27歳で渡仏、当時の海外留学生は官費留学が主で、藤田嗣治の場合は、資産家の子息という恵まれた境遇であった。
結婚に関しては、生涯5人の女性を迎えた。渡航前に日本人女性と結婚し、その後離婚。そして、在パリ中にフランス人女性3人と結婚、離婚を繰り返すが、パリ画壇で生きていくためにフランス人伴侶を必要としたとも考えられる。5人目は日本人の堀内君代(中谷美紀)であった。


画風

パリ時代の友人との交流
(C)2015「FOUJITA」製作委員会/ユーロワイド

 日本で西洋画を学んだ藤田は、渡仏後は、日本的手法を駆使し始める。彼を一躍有名にした乳白色タッチの裸婦像は、日本の筆で描かれる線描であり、それが彼の画風となり、エコール・ド・パリに確固たる地位を築いた。
1917年の渡仏後、ほかの多くの画家と同様、モンパルナスにアトリエを構え、夜はヴァヴァンのカフェ・レストラン「ロトンド」にたまり、多くの未来の大画家たちとの交友は有名である。当時の画家仲間にドンゲン、キスリング、スーチン、ザッキンがいた。
彼は、当時流行の丸い眼鏡とおかっぱ頭をトレードマークとし、名を売ることを第一とする生き方を選んだ。また、有名なモデル、キキも彼らのグループで、彼女をモデルに『ジェイ布のある裸婦』(22年)を制作し、徹底した乳白色の線描は、ひと目で藤田作品とわかる独自性があった。


自己演出

パリ時代の藤田
(C)2015「FOUJITA」製作委員会/ユーロワイド

 彼は、自身をより前に押し出し、「ワタシ、ツグハル、帝国陸軍ノムスコ」と自己紹介をする逸話があるが、手口としては、かなりいかがわしい。
劇中、友人たちが彼を「フー、フー」と呼ぶが、彼は、ホイホイとそれを受ける。「フー」とはフランス語の「FOU」で「ばか」の意であり、彼の演出されたお調子者振りが誇張され、見ている方がイタイ思いをする。
西欧人の中に入り、やたらハイテンションに振舞う東洋人がいるが、小栗康平監督は、そのあたりをきちんと押さえている。



2部構成

戦時中の藤田
(C)2015「FOUJITA」製作委員会/ユーロワイド

 小栗康平監督は『FOUJITA』の前半を1920年代、フランス・パリ、後半は1940年代の日本と、2部構成としている。それぞれが全く異なる画調で、時代背景がきっちり描かれ、それが違和感なく、物語のトーンが貫かれている。
日本における藤田嗣治の足跡を知る上で、彼の動きを編年体でとらえると分かりやすい。1938年に日本海軍省嘱託画家として中国に派遣される。一端、パリへ戻るが、同年9月に第2次世界大戦が勃発し、翌年5月にナチス占領前のパリを脱出。ここに、彼の在仏異邦人の姿が見える。連合軍の敵国である日本人として、パリに生きることの困難さに直面し、最終的に日本帰国を選択する。かなり、目端の効いた動きだ。42年に、陸海両省から南方に派遣される。
43年に「アッツ島玉砕」を発表する。これが有名な戦争協力画であり、この作品により後に戦争責任が問われた。
「アッツ島玉砕」は、戦場の白兵戦を生々しく描く、リアリズム絵画である。お国のために戦う兵隊を描く好戦性は当然あるが、あまりの生々しさに目を覆う厭戦(えんせん)気分を催させる面もある。
藤田嗣治としては、黒田清輝を頂点とする日本的洋画界に異を唱え、乳白色調を編み出したが、戦争画により、ドラクロワに代表される洋画の王道をゆく作品を手懸けることにより、乳白色調画家とは違う意図を誇示する狙いがあったのであろう。


2人の藤田嗣治

製作中の藤田
(C)2015「FOUJITA」製作委員会/ユーロワイド
 作中、小栗康平監督は2人の藤田嗣治を描いている。パリでは、自己を認知させるために奇矯に振舞う東洋人を演じる。他方、戦時中、戦後を日本で過す彼には別の性格を与えている。3人のフランス人女性と結婚した後の彼は、1人の日本人妻君代とひっそりと暮らす。地味な性格付けで、パリ時代との対比が鮮やかだ。
彼の日本帰国は、パリの成功により、日本の洋画界での最高位を狙う野心が見え隠れする。枯れた風情の彼だが、急に、自身が軍より与えられ少将待遇を誇示するかのような軍服姿をまとう。ここに、藤田嗣治の屈折した心情が窺(うかが)える。
最終的に、彼自身、戦犯問題と、日本画壇の重鎮、安井曽太郎や梅原龍三郎の確固たる存在のため、もはや日本残留の意味を見出せず、再びフランスへ戻る。





時代と人間

 光る演出感覚
 小栗康平監督は、俗物性と権威主義を持つ藤田嗣治を描くが、演出の視点はもっと深く、時代そのものを強調している。藤田嗣治は、あふれる才能がありながら、東洋人としてパリ画壇に溶け込むために、あえて強烈な自己顕示をいとわなかった。
後半は、戦争協力画作成の過程を中心に物語が展開される。前半と違い、狙いとしてのリズム感の緩さと暗い画調とをメイントーンとしている。ここでの藤田嗣治は、日本の洋画界を一気に駆け上がる野心を内に秘めながらも、平穏な生活を送り、世の中の反応を見極める気配がある。
同一人物による2つの画家像を通し、作品は、戦前、戦中を含めての戦後という時代への関心が読み取れる


練り上げられた映像

 『埋れ木』以来、小栗康平監督はデジタル映像に注目し、本作『FOUJITA』でもデジタル映像の良さを最大限に引き出している。
特に、後半、戦時中の疎開シーン、日本の田園風景、川、水田などがインサートで挿入され、そのブルーのトーンに目を奪われる。
また、後半のオダギリ・ジョーと中谷美紀の十三夜のシーン、一方を暗く、生けたススキだけを明るく浮かび上がらせる光線設計は、練り上げられている。映像(撮影監督・町田博)が時代を包み込み、作品の奥行きを深めている。






(文中敬称略)

《了》


11/14(土)より角川シネマ有楽町、新宿武蔵野館ほかにて全国公開

映像新聞2015年11月2日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家