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「恋人たち」
3人の男女の物語で構成
確固たる姿勢で描く「人間の優しさ」

 今年の日本映画の傑作の1本に推奨したい、橋口亮輔監督の『恋人たち』が、14日から公開されている。同監督の7年振りの新作で、彼が好んで採り上げる人間の優しさが、見る者を惹きつける。140分と長尺ではあるが、密度が濃く飽かずに見せる腕力がある。日本の中堅・若手監督作品に見られる脆弱(ぜいじゃく)さとは縁のない、作り手の確固たる姿勢が橋口作品にはある。
 
若手の期待の星とうたわれた橋口亮輔監督も53歳と、今や押しも押されもせぬ中堅実力監督の位置を占めるに至った。原作・脚本は監督自身で、タイトルの『恋人たち』は、3人の男女の人生である。橋口監督は中心の3人の周辺をすくい取ることにより、日本の今の風景を描くことを狙いとしている。
その3人の物語は一筋縄ではいかぬ起伏に富む人生であり、そこに作品としてのドクとコシの強さが見られる。物語構成は時系列で3人のそれぞれの日常を追う。すべてインサート形式で展開され、話のつながりに戸惑いを感じる部分はあるが、多分、演出の意図であろう。すなわち、1つの方向性を外し、収斂(しゅうれん)させない手法である。しかし、筋自体は決して難解ではなく、見る側にとり受け入れ易い。


過去から逃れられぬ男

アツシ
(C)松竹ブロードキャスティング/
アーク・フィルムズ

 冒頭シーン、暗い中に中年男のアップが現われ、誰かに訴えるように、妻とともに過ごした彼の唯一無二の楽しいひとときをとうとうと語り始める。彼、アツシ(篠原篤)の妻は通り魔に殺された。彼は妻の死が自身の中で受け止められず、結婚前に2人で書いた、慣れない履歴書の記入について「あのようなたのしいひとときはなかった」と述懐する。
彼は都内首都高速道路の橋梁(きょうりょう)点検で、毎日トンカチ片手に橋の土台部分を叩き、コンクリートの劣化を調べるのが仕事だ。アツシの容姿は顔が大きく髭面で、不器用さと実直さを併せ持ち、その存在感に並々ならぬものがある。
ほかの主人公と同様、橋口監督の主宰する若手俳優ワークショップ出身であり、プロの俳優にありがちなクササがないところが彼らの魅力である。


不運の天使

瞳子と詐欺師
(C)松竹ブロードキャスティング/
アーク・フィルムズ

 2人目の主人公高橋瞳子(成島瞳子)が、アツシと同じ位の存在感がある。彼女は、どこにでもいそうな専業主婦であり、皇太子、雅子妃のご成婚のビデオを見るのが何よりの楽しみ。若い時の彼女は雅子妃の追っかけで、ミーハー的性格の描写として面白い。彼女に子供はおらず、夫と姑(しゅうとめ)(木野花)だけの普通の主婦だ。
夫も姑も彼女に全く関心がなく、冷たい家庭だが、さして気にするふうでもない。食事の支度、洗濯と朝の家事を片づけ、パートの弁当工場へ自転車で出勤。帰宅後は夕食と後片付けが彼女の日課である。時折、夫からの夜の営みを求められ、無表情に夫の上にまたがる。終わると、背を向ける夫に対して「よかった」と一声掛ける。すべて他人のために生きる瞳子の天使のような性格が集約されるシーンで、ここに橋口監督の醒めた視線が見られる。


俺サマ弁護士

四ノ宮(右)
(C)松竹ブロードキャスティング/
アーク・フィルムズ

 3人目の主人公は、若い弁護士の四ノ宮(池田良)で、彼もほかの2人同様、監督の俳優ワークショップ出身者である。彼は、存在感のあるアツシ、瞳子と比べるといささか軽い。弁護士特有の重々しさ(時に鈍重さ)に欠け、若者固有の俺サマ気分が前のめり気味で、作品を弱くしている。
彼はゲイで、パートナーと共に暮らす何不自由のない身である。自己の優越感を抑えられず、パートナーには常に上から目線だ。そして他人に甘えてみせるのも、自分の愛情と勘違いしている。その彼は、若いパートナーに愛想を尽かされるが、その代わりに昔の同級生のゲイとヨリを戻そうとする。結婚した相手は彼に対し、何か距離を置く態度で接する。どうも同級生の娘に対する四ノ宮の小児性愛癖が原因らしい。彼はくどくどと弁明するが、友人との溝は深まるばかり。ゲイの女児に対する小児性愛は考え難いが、あらぬ疑いをかけられた若手弁護士は当惑する。
その彼の職業人としての人生に、アツシが登場する。彼は妻を失い、もんもんと毎日を送るが、アツシの妻を殺した犯人は、精神鑑定の結果、措置入院となる。怒りを抑え切れぬ彼は担当弁護士だった四ノ宮を訪ね、損害賠償の訴えを依頼するが、弁護士は「このまま訴訟を続けると僕が傷ついてしまう」とアツシの依頼を平然と拒否する。
自己中心のエリートと、四面楚歌の肉体労働者の真反対な境遇の対比はインパクトがある。



詐欺師の登場

アツシ(左)と友人
(C)松竹ブロードキャスティング/
アーク・フィルムズ

 瞳子は勤務先で出入り商(光石研)と知り合う。だんだんと彼に心を傾け、今までの失われた人生を取り戻すために、彼への思いを募らせる。
この光石演じる正体不明の男は、愛人(安藤玉恵)であるスナックのママのヒモ的存在で、彼女が客に押し売りするインチキミネラルウォーターの販売の片棒を担ぐ。この愛人、昔の準ミスを鼻にかけ、常に怪しげな商売を企てる。
橋口監督が好んで描く、女のイヤラシサを全身にまとうエゲツなさは噴飯もので、作劇上のドクとしては一級品である。面白い女優の起用だ。イカガワシさ一杯の光石の怪演は堂にいったもので、瞳子を性の対象、ひょっとしたら金づると狙う。光石は彼が買いたいと思っている養鶏場へ瞳子を案内し、前金の支払いを持ち掛ける。突然の思いもよらぬ要求に混乱した瞳子が、野原で放尿する姿が写し出される。このショッキングなシーンから、女性の大胆な行為を強調し、女性の自然な性格とおおらかさを浮き彫りにする橋口監督の意図が読み取れる。瞳子は自己主張を持たない存在だが、人生をしぶとく生きるタイプで、今村昌平監督作品『赤い殺意』(1964年)の春川ますみを彷彿(ほうふつ)させる。


踏み出さねばならぬ人生

元準ミスのスナックのママ(左)
(C)松竹ブロードキャスティング/
アーク・フィルムズ
 弁護士に逃げられ、八方ふさがり状況に追い込まれたアツシは、絶望の淵をさまよう。亡き妻への弔い合戦としての訴訟も頓挫し、もう彼にはすがるべきものは何もない。過去から脱け出せない自身に対するもどかしさ、負け組人間へのさらなる過酷な仕打ちが重なり、リストカットをはかるが、生きることへの執着が未だ残り、未遂に終わる。
彼を救ったのは、いつも心優しくアツシに接する橋梁検査会社の先輩であった。彼は、何故か片腕がない。ある時、アツシは思い切って彼に質問する。「ロケットだよ、皇居へ向けて打ったのが失敗してね。昔は左翼だったんだ」という答えが返ってきた。
不自由な身で生き、社会の偏見と闘ってきたに違いない先輩のひと言に、今までの自分を見直すきっかけを得たのであった。
瞳子は、一端は男を頼って家出するが、詐欺師まがいの本性を見極め、最後のよりどころである家庭へ戻らざるを得ない。そこで、無関心な夫から子作りをにおわされ、家族への関心がよみがえる。これは彼女にとり一条の光である。
弁護士の四ノ宮は、昔の同級生との復縁を執拗(しつよう)に迫る。この無駄とも思える行動が彼の再生への希望なのかもしれない。





冴える中堅実力監督の観察眼

 三者三様の人生へ立ち向かう姿勢に、橋口監督の主張する「人は生きねばならぬ」とする強い思いがはっきりと見える。ここに、社会から取り残された悲しい人々への慈しみが溢れるが、これは、橋口監督作品の持つ優しさである。
人は皆、悲しく、いとおしいものとする確信がにじみ出ている。人生の生き難さに対し、卓越した日常の描写、そして人間への鋭く、時に突き放しながらも優しく包み込む観察眼が冴えている。
見応えのある作品だ。





(文中敬称略)

《了》


11月14日よりテアトル新宿ほか全国ロードショー

映像新聞2015年11月16日掲載号より転

 

 

 

中川洋吉・映画評論家