「第28回 東京国際映画祭」(1)
社会と向き合う強い姿勢
世界の厳しい現実反映した作品群 |
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第28回を迎えた今年の「東京国際映画祭」は、快晴続きの10月22日−31日、六本木会場を中心に開催された。後発の国際映画祭だけに、世界各国からの作品集めは例年厳しいが、努力の跡はここ数年ずっと見られる。世界的知名度の高い監督作品は難しくとも、世界中で年間5000本が製作され、無名監督作品でもレベルの高いものはある。そう思わねば作品集めはやっていられないはずだ。
東京グランプリ(賞金5万ドル)を競うコンペ部門は16本、そのうち日本からは小栗康平監督の10年振りの新作『FOUJITA』を含め3本が選出された。アジアからはイラン、中国、タイからの3本、現在好調の南米からは2本と、全体的な目配りが効いた選考であった。
審査員に関して、中堅実力派監督を網羅し、よくここまで揃えたものと思わず唸らさせられる陣容だ。
審査委員長のブライアン・シンガーは、日本が世に出した監督である。1993年に当時の大映(現KADOKAWA)が、世界の若手監督向けコンクールを1993年に催した。世界各国の新人のシナリオを国際公募し、入賞作には製作資金を与えるもので、第1回の93年はシンガー監督の『パブリック・アクセス』が選ばれた。同作は現代のSNS社会を予言する意欲作であり、同年のサンダンス映画祭で審査員大賞を受賞した。
その後、彼は『ユージュアル・サスぺクツ』(95年)によってハリウッドで注目され、新作『X−MEN:アポカリプス』が2016年公開待機中である。なお、『パブリック・アクセス』は、アメリカでは1993年、日本では97年に公開された。
ノルウェーの注目すべき監督、ベント・ハーメルだが、『1001グラム ハカリしれない愛のこと』が現在公開中である。発想のユニークさ、優れた映像感覚の持ち主だ。
デンマークの女性監督スサンネ・ビアは、アフガン帰還兵の帰国後の悲劇を描く『ある愛の風景』(2004)でその存在を知らしめ、近作には『真夜中のゆりかご』(14年)がある。
アジアからは『シクロ』(05年)でべネチア映画祭金獅子賞を獲得した、ベトナム生まれのトラン・アン・ユンが加わった。彼は村上春樹の『ノルウェーの森』(10年)を監督している。
日本の大森一樹監督(近作『ベトナムの風に吹かれて』[15年])など、シャープな感覚の人材が一堂に会した。
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「ニーゼ」
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ブラジルからはホルベルト・ベリネール監督の『ニーゼ』が、文句なしの受賞(東京グランプリ、最優秀女優賞)を果たした。長篇2作目の新人監督作品であり、社会と向き合う彼の姿勢が一際生彩を放っている。
時代は1940年のブラジル。主人公の女医ニーゼ(グロリア・ピレス)は精神科医であり、彼女は、ある精神病院に着任する。そこで最初に目にした光景は、精神疾患患者に対する暴力的な電気ショック療法であった。患者の脳へ電流を流し、無気力な廃人にする、人権無視もはなはだしい治療である。
これを見たニーゼは、この治療の廃止を上層部に進言するが無視され、逆に彼女は、専門とは異なる作業療法室に配属される。当時の社会的因襲と、医師たちの無関心のため、手に余る患者を大人しくさせるための療法が何の疑問もなく通用していた。
事なかれ主義の男性社会に対し、ニーゼは従来の療法を否定し、新しく芸術療法を用い、患者と接し始めた。今まで、単なる変質者扱いの統合失調症患者たちに、絵画や犬などのペットを用い、治療を成功させた。
患者たちの内なる美的意識や生きる意欲の再生は無意識の領域を重視するユング理論によるものだ。ニーゼの孤立無援の、長く、辛抱強い戦いぶりと併せ、彼女の勇気と他者への愛情が作品に貫かれ、見る者の感性を揺さぶる。
主演のグロリア・ピレスはブラジルで有名な大女優で、知性と強い意志を持つ役を演じるが、中年に達する彼女であればこそのはまり様である。
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「地雷と少年兵」
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最近目にするドイツ映画で、ナチスの暴力支配に対し、一般ドイツ国民が片棒を担いだ事実の暴露を試みる作品を目にする。例えば、『あの日のように抱きしめて』(15年)、『顔のないヒットラー』(15年)などだ。
『地雷と少年兵』(デンマーク=ドイツ合作、マーチン・ピータサンフリト監督、最優秀男優賞)は、これまで採り上げられなかったデンマークにおける、ナチス少年兵に対する加害について描く力作である。戦後、大量のナチス兵が捕虜となり、デンマークでも少年兵たちが捕われ、ナチスの撒いた地雷撤去使役のために、少年兵たちに危険な作業を強制した実話に基づく作品である。
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「ガールズ・ハウス」
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イランからの『ガールズ・ハウス』(シャーラム・シャーホセイニ監督)は、賞の対象外だが、採り上げるに値する作品である。
冒頭シーン、楽しげに買い物に興じる女性たちの姿が実に華やかなのだ。彼女たちは、翌日に控えた結婚式前の、女だけの買い物で大騒ぎしている。その中の1人、花嫁になる女性が突然亡くなり、急遽結婚式はキャンセル。思いがけないことに、友人をはじめ周囲はただただ驚くばかりである。
そして、友人2人がその死因を調べ始める。しかし、新郎の家族は非協力的な態度で、彼女たちの前に立ちはだかる。2010年以来のイラン映画は、家族関係のもつれを描く作品が増えているが、本作『ガールズ・ハウス』はその系譜に連なる。
花嫁は、新婦側の親戚に強引に医者に連れて行かれ、処女検査をされ、その屈辱のあまり自動車に飛び込み、自殺を図った。社会的慣習を楯に、伝統と宗教を誤用するイスラム社会の犠牲である。女性にだけ厳しい性の戒律と社会意識の後進性に、新婦の誇りと尊厳は大きく傷ついた。現代のイスラム社会の女子教育を含めての、女性問題の根幹を問いただしている。
問題作であり、検閲の厳しいイランからの出品、価値ある東京国際映画祭上映だ。
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「カランダールの雪」
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最近、トルコ映画の海外進出が目覚ましい。
今年のカンヌ映画祭のパルムドール(最高賞)、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の『雪の轍』はその代表格だ。『雪の轍』以外にも秀れた作品が目立つ。
トルコから出品された『カランダールの雪』(最優秀監督賞)もその1本で、山奥の電気も水道もない僻地で暮らす、一家の物語である。家業以外の鉱脈探しや闘牛に入れ込む、困った父親とその家族の貧しい生活を追った人間ドラマである。トルコ映画伝統のリアリズムにのっとった作風であり、描かれる内容は深刻であるが、どこか、巧まざるユーモアが散りばめられる。
今年のコンペ作品は、闘う姿勢を強く押した秀作が揃った。やはり世界の厳しい現実を反映し、「映画とは時代の証人である」との意を強くした。
(文中敬称略)
《続く》
1映像新聞2015年11月23日掲載号転載
中川洋吉・映画評論家
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