『ヴィオレット−ある作家の肖像−』
フランス女流作家の魂の記録
2人の女性の愛憎を軸に展開 |
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一体、どれだけの人がフランスの女流作家ヴィオレット・ルデュックを知っているだろうか。6月の「フランス映画祭東京2015」(東京・有楽町朝日ホールなどで開催)で映画『ヴィオレット−ある作家の肖像−』(以下ヴィオレット)は上映されたが、日本人観客の認知度は皆無の印象を受けた。この知られざる作家の魂の記録が本作であり、その人生の伴走者が『第二の性』(1949年)で世界的に知られる、シモーヌ・ド・ボーヴォワールである。
物語は、ヴィオレットとシモーヌの文学的交流、2人の女性の愛憎を軸に展開される。
監督のマルタン・プロヴォは、時系列の手法を用いた。簡潔な構成で事実関係をきちんと掌握し、説明の省略をせず、時系列の錯綜(さくそう)を排除している。時代の流れのとらえ方も正確だ。
プロヴォ監督は、家政婦画家の半生を描いた『セラフィーヌの庭』(2008年)で、既にその実力が高く評価されているが、本作も同じ手法により全体をまとめ、極めてオーソドックスな作りをしている。
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ヴィオレット
(C)TS PRODUCTIONS - 2013
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主人公のヴィオレット・ルデュック(1907‐72年)は私生児で、自らの出生についてのトラウマに一生悩まされ続ける。
貧しく、教養もない彼女が書けることは、自分に関心の薄い母親をテーマにすることしかなく、1946年に処女作『窒息』を執筆。その後、『破壊』(53年)では、自身の生と性を赤裸々に書き、そのエロティックな描写の削除を出版社から求められる。当時の女性が性を語ることを許さない一般的風潮の中で、本は売れず、精神を病む。
しかしシモーヌの助言により、集大成ともいわれる大著『私生児』(64年)を書き上げ、彼女が序文を寄せる。晩年は、書くことでやっと心の平安を得て、プロヴァンスに移り65歳で死去した。
映画は戦時中、42年から始まる。森の中を走り逃げ回り、捕まる若い女性(エマニュエル・ドゥヴォス)の後ろ姿がとらえられる。この後姿がラストシーンを導く伏線となるうまいアイディアだ。
彼女は、自分を私生児として生んだ母ベルトに終始恨みを持ち続ける一方、母を何とか自分へ振り向かせることに腐心する。母は、母性よりも女が先立ち、子供の存在が煩わしく、自分の欲望を優先させるタイプである。
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ボーヴォワール
(C)TS PRODUCTIONS - 2013
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冒頭の、森の中を逃げるヴィオレットは、闇物資商売で警察に追われる身である。このシーンは第二次世界大戦終結直前の物のない社会状況を写している。
彼女は、ゲイで挫折した作家と、ノルマンディの田舎に疎開するが、同棲の相手は全く彼女に関心がない。そんな彼にヴィオレットは執着するが、最後にうるさがられ、男性の口癖である「悩みは書くことで吐き出せ」と捨て台詞を残し去る。これを契機に彼女は物を書き始める。
これが処女作の『窒息』である。名前だけは知っていたシモーヌ・ド・ボーヴォワール(サンドリーヌ・キベルラン)を待ち伏せ、自作を読むことを懇願する。このシーンのインパクトが強く、後の物語展開の端著となる。シモーヌは見知らぬ若い女性の突然の依頼に困惑しながらも、必ず読むと約束し、足早に立ち去る。
ここまでが導入部で、時代相、執筆への動機が明かされる。ちょっと長い前段であるが、大変分かり易い。ここで見ず知らずの人間の作品を、必ず読むと約束するシモーヌの律義さが、後の展開で効いてくる。
作家ヴィオレットについては、代表作『私生児』と『ボーヴォワールの女友達』(48年)の2作しか邦訳出版されていない。彼女の存在は、日本では未知に近いことは当然だろう。
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ジャック
(C)TS PRODUCTIONS - 2013
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シモーヌはヴィオレットの原稿を読み、その文才を認め、出版の支援をすることを決意、当時、既に著名だったシモーヌの助言で処女作『窒息』が天下のガリマール社から出版される。
ガリマール社は、わが国で例えるなら岩波書店にあたる出版社であり、ヴィオレットは最初のデビューという高いハードルをシモーヌの支援で乗り越える。
その後、ヴィオレットの著作を中心に物語は進行する。『窒息』後、作家として世に出た彼女だが、TVのない時代で、一躍人気者となるわけにはいかない。その間、『泥棒日記』(49年)などで知られるジャン・ジュネ(ジャック・ボナフェ)や、彼の友人で芸術家のパトロンでもある香水会社の社長ジャック・ゲラン(オリヴィエ・グルメ)と親交を結ぶ。
金持ちで紳士的なジャックに好意を寄せる彼女だが、彼はゲイでであるため、金銭的援助はするが愛は受け入れない。
物語は42年の『窒息』から64年の『私生児』までを扱う。その間にシモーヌの『第二の性』が挟まる。当時、シモーヌは『第二の性』の執筆に没頭、彼女への激しい愛情をヴィオレットは『ボーヴォワールの女友達』で書き、何とか彼女の関心を引こうとするが、シモーヌは米国人の恋人のもとへ旅発つ。その後、帰国した彼女は「自分に愛情を求めないでほしい」と、友人以上の親密さを求めるヴィオレットの希望を打ち砕く。
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ヴィオレット
(C)TS PRODUCTIONS - 2013
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2人の性格は正反対で動のヴィオレットに対し、静のシモーヌという設定を脚本は強く押しだす。
この正反対の2人を結ぶのが文学であり、シモーヌは、それ以上の関係を拒絶する。一方、ヴィオレットは被害者意識が強く、相手に執着するタイプであり、愛を追い求め書くと言う孤独の中に生きるが、人生は決して優しくない。
少女時代の同性愛、結婚の破局、ゲイへの恋心と、不運な巡り合わせに加え、一線を画そうとするシモーヌ、そして母親への愛憎半ばする感情と、彼女の内部には隠された、傷つきやすさが終生付きまとう。
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シモーヌ(左)とヴィオレット
(C)TS PRODUCTIONS - 2013
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一方、シモーヌは頼られることにうっとうしさを感じながらも、自身にない自然児に近い彼女の感覚で書く姿勢を高く評価する。
ヴィオレットが情緒不安定でありながら、才能豊かな人間として認め、文壇への紹介、匿名の金銭的援助を惜しまなかった。
プレヴォ監督によれば「私生児の彼女は、シモーヌに父親像を求めたのではなかろうか」と説明している。一定の距離を保つシモーヌの支援と金銭的援助は、彼女自身の義侠心であり、プレヴォ監督は、作家ヴィオレットと友情を描くことを第一義とはしているが、この義侠心には、同等の重さが感じられる。
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ジャン・ジュネ(左)ヴィオレット(中)ジャック(右)
(C)TS PRODUCTIONS - 2013
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知性、狂気、義侠心が一気に湧き出す
本作の特徴として、適材適所のキャスティングのアンサンブルが極めて良い。
ヴィオレットを演じるエマニュエル・ドゥヴォスは、アルノー・デプレシャン監督作品で知られるが、本作は、彼女の別の側面が出ている。女性特有のヌメリのある粘着体質である。この"女、女"をむき出しにする役つくりは冴えている。
一方、相手役のシモーヌを演じるサンドリーヌ・キベルランは、長身で清楚な柄を特徴とするが、これまで自身の柄を上手く出せなかった印象が強い。しかし今回は、知的で、信念の強い女性像にぴったりとはまっている。
ダルデン兄弟作品の常連である、ジャックに扮(ふん)するオリヴィエ・グルメの普通の人を演じる上手さには舌を巻く。
『ヴィオレット』は本年、日本で公開されたフランス映画のベストであろう。知性、狂気、義侠心が一気に湧き出す、目の詰まった作品だ。
(文中敬称略)
《了》
12月19日(土)より岩波ホールほか全国順次公開
映像新聞2015年12月14日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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