『第16回東京フィルメックス』
世界的に著名な監督作品を特別招待
粒ぞろいのアジア映画上映 |
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「第16回東京フィルメックス」は11月21日−29日、東京・有楽町朝日ホールを中心に開催された。以前、東京国際映画祭アジア部門選定ディレクターだった市山尚三が「オフィス北野」へ移籍し、立ち上げたのが本映画祭である。当初は3000万円の予算で、先行きが危ぶまれた。しかし、国内映画祭の中で一番選び手の顔が見え、伝統的なアジア映画愛好家に、実験的作品ファンが加わり、回を重ねることは快挙に近い。
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「オフィス」
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今年はコンペ作品は8本。その中にはネパール、スリランカからの出品もある。特別招待は6本で、ジョニー・トウ監督の『華麗上班族』(「オフィス」)(香港)、ピーター・チャン監督の『最愛の子』(中国)、ジャファル・パナヒ監督の『タクシー』(イラン)、ツァイ・ミンリャン監督の『あの日の午後』(台湾)など、世界的に著名な監督作品が上映された。
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「山河故人」
(c)Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano
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さらにオープニング作品は園子温監督の『ひそひそ星』、クロージング作品はジャ・ジャンクー監督の『山河故人』(原題)(市山尚三プロデューサー)と粒ぞろいである。
特集上映は、ホウ・シャオシェン監督の初期作品3本とツァイ・ミンリャン監督の長篇6本、短篇4本の2本立て。例年開催される日本映画特集はなかった。
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「ベヒモス」
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現代中国の内奥に迫る力作
中国作品『ベヒモス』(チャオ・リャン監督、審査員特別賞)は、現代中国の内奥に迫る力感あふれる作品だ。舞台は内モンゴル自治区の鉱山で、主人公は鉱山の労働者である。豊かな鉱物資源が中国各地から多くの出稼ぎ労働者を引き寄せる。
映画は巨大な鉱山の隅に1人の裸の男が横たわるシーンから始まり、次いで、鉱山全体の巨大な穴が映り出る。大自然と豊かな資源、見た目の富の潤沢さ、巨大さに驚かされる。
一方、負の面として自然破壊、環境問題が必然的に出現する。ましてや、現代の中国は急速に国富を増やす段階である。その状況が継続し、世界第2位の経済大国となり、産業の発展に伴う環境破壊、大気汚染が顕著となっている。ちょうど、1970年代の高度成長期の日本の公害問題と同根だ。
地底の暗闇を進む労働者を乗せたトロッコは、王兵監督の9時間のドキュメンタリー『鉄西区』を思い出させる。
この鉱山労働者の描き方がユニークで、リャン監督の美的センスが際立つ。労働現場の人々ではなく、彼らのポートレートを画面に並べたのだ。彼らの表情から労働そのものが伝わる。現代アートへの造詣の深い監督自身の優れた造形感覚だ。
鉱山という大規模な存在に対し、アリのように映る労働者群、この対比は鮮烈だ。だが、リャン監督の視点は、日常を支えるこの小さな集団こそ、人間であることを主張している。13億6700万人の人口を抱える中国の産業優先の現状批判と受け止められる。
作品のつくりもユニークだ。本作はドキュメンタリーであるがナレーションではなく、字幕のみを使用している。この手法で、作品の流れが良くなる感がある。
ただし、本作に限ってのことで、監督自身は上映後の質疑応答で「言葉に頼らず、ビジュアルがものをうい狙い」と説明している。以前、同映画祭に『北京陳情村』(09年)を出品、現場密着スタイルは変わらぬが、よりアーティスティックな仕上がりとなっている。
作品では、中国の大自然と人間の表裏一体の関係が捉えられている。
日本のNHKにあたる「フランス・テレヴィジョン」の1部門であるINA(イナ)が出資し、制作は仏独共同教養テレビのARTE(アルテ/公共放送)が担当。既にフランスでは放映済みである。ドキュメンタリーに力を入れるARTEの後ろ盾を得ることはアート系作品にとり心強い。
タイトルの『ベヒモス』とは、旧約聖書に登場する陸に住む巨大な怪物である。
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「タクシー」
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パナヒ・ジャファル監督は政府より映画製作禁止処分中であり、イランから出国出来ない。この彼が編み出した一手が、今回の『タクシー』で自らタクシー運転手となり、乗客との対話を車内のカメラで写し取るもので、ホームムービーに近い。
運転手に客が話すことは、海賊版DVD、女性差別などで、日本であれば運転手との会話は成り立たないのが普通であるが、日本人と比べ話す量が圧倒的に多いイラン社会だから可能な裏技である。
ある乗客は旧知の女性で、「あら、ジャファルさんじゃないの」と驚きを隠さないシーンはいかにも手作り風で楽しい。このような、お上が文句を付けにくい、ジャファル流のソフトな反抗振りは痛快だ。
今や、カンヌ国際映画祭コンペの常連であるジャ監督は、いろいろなテーマを繰り出すが、今回の彼の視線は20−30年後の中国だ。
地方都市在の若い女性と2人の男性は、幼友達である。成人後、男性2人はお決まりの恋敵となり、女性は商売で成功した男性を選び、恋破れた青年は地方都市から去る。ここで描かれるのが、現代中国の普通の若者の日常であり、少し長い導入部であるが、ここが面白い。
成功した男性は、離婚し1人息子と共に豪州へ移住、そこでも成功し、年ごろの息子は現地の英語社会の中で育つ。母親はずっと地方在住だが、そこで実業家となる、1人の女性の26年に亘る半生が描かれる。発展する中国の近未来までも取り込む着想に引き込まれる。
コンペ8作品の中で、日本からの『クズとブスとゲス』(奥田庸介監督)が唯一選考された。
無気力な青春を若い世代の監督らしい感性で描き、全編が平板で、暴力で起伏をもたせる手法だが、現状に逗留(とうりゅう)する姿勢ばかりが目立ち、それを突き抜ける作り手の思いが伝わらず、映画を撮る覚悟が足りない感がある。多くの人々に公の場で見せる映画祭においては、明らかにレベル以下の水準である。
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「タルロ」
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コンペ大賞は実験的手法で難解
フィルメックスの大きな特徴として、アジアの若い才能の発掘がある。これは本映画祭の功績であり、他の映画祭では取り上げない作品が見られる機会でもある。しかし、この路線が上手く機能しない年もあり、今年はそれに当たるようだ。
グランプリ作品『タルロ』(中国、ペマツェテン監督)の製作意図は非常に興味深い。中国辺境のチベットの青年が町へ出て、そこで今までとは全く違う現代中国の有様に触れる物語で、現代中国の都市と地方の格差が作品のテーマとなっている。
問題は映画的手法である。若い世代の映画人が好む、説明を省略し、全編を平坦に描く手法が採られており、物語のしんがひどくつかみづらい。激しい睡魔との戦いのうちに上映は終了するちんぷんかんぷんな作品である。
スタイリッシュで実験的手法を好むプログラム・ディレクターの市山テイスト全開なのだ。ほかに何本かのちんぷんかんぷん系作品がコンペ上映されたが、見る側にとり難儀だ。
(文中敬称略)
《了》
映像新聞2015年12月21日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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